今日1日を振り返ろう

凄まじい夜更かしの後、(深夜3時に)寝た

午前中、朝食を取り、そのあと寝た

寝つつ、動画見つつ、寝た

午後になって、昼食を取り、そのあと寝た

夕方まで動画を見つつ、寝た

お夕食を取り、そのあと寝た

動画を見つつ、寝た

そして今で・・

このあとお風呂に入ったあとに寝る

 

お出かけする用事がなくなった途端に

ダラダラし始める・・。

日頃からのエネルギーは回復できたけど

1日がなくなった感覚を毎週味わうのは、

もったいない感覚。

疲労を残して、休日後の出勤ができるかと言えば、

少し難しいか・・。

 

動画も見納めの勢いで、観すぎた感はある。

もう観るものがないものなぁ。

自分の人生が大事なら観る必要がない。

 

 

夜、起きてる間に考えてたこと

 

ワークライフバランスの悪さで、

よくありがちな「たまの休日はダラダラさせてよ」となってくる。

そのバランスの悪さが、挑戦意欲を欠いて、

周囲への好奇心が狭くなり、より良いアイデアが浮かびにくい。

その場合、連帯経済に集中しやすいが、停滞を起こしやすい。

 

ワークを見直して、自由を与えすぎたら、

行動経済学が優位に働きすぎて、連帯経済を壊してしまう。

 

しかし、その行動が起こせないほどの賃金の安さで、

挑戦意欲がわいてるのに、ヤキモキして諦めるパターンのほうが多い。

 

束縛と自由のバランスが良ければ、挑戦意欲がほどほどになって、

不用意なゴミの発生しない行動と連帯の経済が生まれるか。

そのバランスを保てそうだと確信できる状況ほど・・

SNSや動画などで「ノイズ」が発生して前進できないパターンも多い。

 

「ノイズ」は、

誰かの模倣や迎合でしかないような中身のない批判や肯定。

どちらの意見も乱すような汲み取りたくもない内容など。

「民主主義の声」に達しないほどの集団の迎合、デモよりも陰湿。

 

色んな派閥のようなものができたように見せかけて、

そこまで派閥はなかったりする。

SNSのせいで誇張されてるだけ。

スカッとする人についていく傾向にあるSNS民。

その中の数人がノイズになり、

得意分野で自慢げに動画などで披露したがる。

 

熊の問題もその一つだろうと思う。

ツルの一声が出せるような人がいないから、そうなった。

あるいは、ツルの一声が出せる人がノイズでかき乱された。

 

ようは、社会の問題に向き合ってる風に見せかけてるが、

集中するのが面倒なので迎合して、自分を優先して自慢をしたがる。

「最近、政治家に興味を持ってる人が多い」と・・誰が思ってるのか。

正味の「自分の意見を持ってる人」は、10人程度じゃないかなぁ。

そもそも自分の意見を持ってるから、政治に興味がないのよね。

身近な人は合わせるんだろうと思うぐらい。

動画と同じで、近寄って興味を持つ人は少ないのよね。

「生活に直結する」と言われても日々のことで必死だからね。

興味どころではないのよ・・

興味を持つぐらいなら、自分の趣味を構築したいわってなる。

 

その趣味の答えが、動画の文化で見れてしまうから、

知的好奇心がわいてこなくて、趣味をする楽しみがないのも事実だと思う。

動画ほど、行動経済学の「楽しみ」の部分の「ノイズ」になってる。

答えが見えてるから趣味の継続力がわかないのはありそう。

行動経済学を利用して経済を促しても停滞するのは当然。

このまま動画を野放しにしてると、趣味や文化の継承も滞ってしまう。

行動経済学の「楽しみの楽しみ方」すら無感情になる。

 

どんな経済学を投じても、動画で全部答えをバラシてしまってるから、

経済は停滞し続けるだろうなぁ・・。

大量生産で物資的に飽和状態を始末しないでハイテクを目指すのも、

部分的には成長しても、過去の後始末がないから、一過性。

「ノイズ」だけで成長しただけマシ。

 

もしも話

 

インターネットに心酔する人を2007年の段階で規制していれば、

「失われた30年」という必要がなかったかもしれないのに・・。

今は政治家の責任みたいになってるが、民間企業も・・。

政治家は、票とお金が大事だから、その責任で無駄な争いになってる。

 

2007年の段階で規制していれば・・

ユーチューブが流行ることはなく、アマゾンも成長しなかっただろうし、

マインクラフトも、USJも、そこまで激しいものではないし、

無所属の歌い手が、表に出ることもなかったし、

海外からのオンラインゲームも遮断出来て、

自分の人生の選択を迷う人が逆に多くなってるかもしれないが、

国内の市場(販売業)だけで、ほぼ良い感じ経済を回せていたかもしれない。

小売店やショッピングモールがつぶれる必要もなかったからね。

スマホやキャッシュレスなんて、

まだまだ先のことと思えるほどの出来事になる。

 

動画による目移りがなく、趣味の変化・楽しみが大幅に変動するから、

行動経済学が大きく活きてくる。

好奇心や時間がある分だけ、個人の趣味講師も増えるから、

ますます良くなる。

大量生産も無駄な生産が減るから、連帯経済も良くなっていた可能性もある。

そのときに多くの工場はつぶれても、

温故知新で技術や生産量の制御ができる工場が増えていた可能性もある。

AIの必要もない社会になっていたかもしれない。

乗り物だけしか、AIを積まない。

 

個人活動者は、窘められて存在は薄いだろう。

今でさえアニメのアニバーサリーでコンサートが流行ってるが、

そのコンサートもないだろうね。

転売もないから、チケットレスの考えもないと思う。

アニメの細切れ文化も流行らないから、声優も知らない人が増える。

大幅に文化が違えば、亡くなる人も大幅に違ってくる。

 

ここまでのことは起きないだろうけど・・。

 

こんな分岐点に戻ったとして、

知って良かったと思えるものも、そこで消えてしまうが、

人生は分岐点が多いから、どこかでまた繋がってくる。

遅かれ早かれ、でも・・一度「良い」と進んだことは

制御・抑制がしにくいから。

少なくとも、

今の「大人の試し行動」を窘めない社会のままとは

違っていた時間軸かもしれない。

 

「悔しい」と「侮る」のバランスが悪いともいえる。

アメとムチ的なことよ。

デタラメな「侮り方」をしてるから思想が荒れる。

「悔しい」という感情と知的好奇心への意識がない。

 

実際のところ、「2007年にインターネット規制」が起きていたら

「今の社会はどうなるのか」、そういうの小説ないよね・・。

 

政治の動き、経済の動き、国際情勢、ゲーム業界、エンタメ業界、

地域経済や文化の動き、産業の動き、学問の動き、個人の動き。

この9点の視点を想像した本。

 

なければ・・と考えても・・

私は時間がかかることは嫌だし、語彙もないから書かないけど・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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