もう1年以上コロナ禍で女の子も思うように出勤できず、

お店も厳しい状況が続いている中、

私自身、全くお客さんを呼べておらず(コロナ禍以前も呼べていないが…)

自分でもそこがネックになっていて自己否定しては紛らわす毎日。

 

 

そんな中、昨日、ママとの面談時に「最近どうですか?」と聞かれて

無意識に出てきた言葉が「申し訳ないです。」だった。

 

 

この「申し訳ない」って言葉。

 

 

今回の私の場合は、

「力になれなくて申し訳ない」「お客さんを呼べなくて申し訳ない」

という気持ちで使っていた。

 

 

すると、ママから「申し訳ないとは思わなくていい。出来ることから少しずつでいいから頑張って欲しい。みんな申し訳ないという言葉が欲しい訳ではなく、あなたの頑張っている姿がみたい。」と。

 

 

もともと子供の頃からみんなが頑張っているとやる気を無くしたり、頑張ることはカッコ悪いと思う人間だったが、それを大人になってから改めて言われ、ハッとして、気付いたこと。

 

 

その「申し訳ない」って、裏を返せば「申し訳ない」って謝っているから

許されるだろう、という甘えが存在していたのだ。

 

 

何か努力している訳でもなく、謝れば許して貰える環境にあったから、申し訳ない気持ちで肩身の狭い想いをする必要があったんだろう。

 

 

というよりも、その方が頑張らなくて済むから無意識に申し訳なさを感じて肩身の狭い思いをしていた方が都合がいいから、自らそれを選んでいたんだと思う。

 

 

そして、どうしてそんなに頑張れないのか、頑張りたくないのかを内観した時に

出てきたのが

 

頑張ってダメだった時の

「ショックを受けたくない」「カッコ悪い思いをしたくない」

という気持ち。

 

 

その思いがどこから来るのか探ると“人目”だった。

 

 

他人から必死だと思われたくない、

必死にやってるくせに成果が出てないと思われたくない、

出来ない奴でダメな奴だと思われたくない、

 

そして、現に自分自身が一緒に働いている女の子にそう思っているから、

必然的に私もそう思われると疑いもせず信じ込んでいる。

 

 

だから、怖くて動けない。

 

 

「嫌われるのが怖いから」

 

 

この「嫌われるのが怖い」って感情が根深くて。

 

 

私の場合は、特に男性に対して強く気持ちが働く。

 

 

今回のわかりやすい対象で言えば、お客さんである。

 

 

それが男性に媚を売って愛想を振り撒いて嫌われるのを防ごうとするパターンではなく、最初から私はあなたに興味も関心もありません、なので関わらないで下さい、私もあなたが嫌いです、といった最初から予防線を張るパターンなのだ。

 

 

それは飲み屋の女の子にとっては致命傷でしかない。

 

 

そうなると必然的に相手もそのエネルギーを受け取るわけで、誰も心を開いてくれないのも助けてくれないのも当然のこと。

 

 

今ままでも気付いてはいたのだか、それを変える必要もなければ追い込まれたことも無かった訳で、ずるずる逃げることができていたけれど、ママから接客の仕方や頑張り方の指摘をされて、逃げ切れなくなった。

 

 

このコロナ禍でお店が危機にならなければ、こんなこともなくいつまでも言い訳して

「カッコ悪いことを避ける癖」「嫌われること」から逃げたままだっただろう。

 

 

30年間、身に染みたこの「恐怖」と「癖」を一気に払拭することは難しいかもしれないが、少しずつ勇気を出して克服していこう。

 

 

どんなにしようが、どんなになろうが、どうせ私は愛されているということを思い出そう。