なぜデリヘル嬢は暴行されるのか?職業差別か、女性蔑視か? デリヘル嬢を襲う恐怖を描くサスペンス映画『デリバリーヘルス』

上記リンク内に記載されている作品の企画意図には、いかにももっともらしいことが書かれているが、それはこの作品を作る理由の一部ではあっても、すべてではない。
今年の米アカデミー賞の受賞スピーチで、映画監督のポン・ジュノが尊敬するマーティン・スコセッシの言葉を引用して、「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」と語っていた。この言葉には映画監督のみならず、数多のクリエイターたちが深く共感するところであろう。
映画『デリバリーヘルス』もまた、僕にとって「最も個人的なこと」を描いた作品である。

今から14年前、当時僕は映画の専門学校に通う生徒だった。
僕は極度の人見知りで、上京して行った大学では友達が作れずに、ほんの数か月で学校に行かなくなり、そのまま中退してしまった。その後、実家に帰ってフリーターをしていたが、そんな自分を見かねた母が、映画の専門学校に通うことを勧めてくれた。
一度、大学での失敗を経験していた僕にとって、専門学校に入ることは自分を変えるきっかけにしたいと思っていた。そんな意識もあってか、専門学校では入学初日から積極的に人に話しかけていった。それまでの僕には考えられない行動だったが、おかげでたくさんの友達を作ることができた。女の子とは恋愛関係にもなった。それ以前には女性と交際した経験もなく恋愛には億劫だったが、専門学校では性格が変わったかのように恋愛にも積極的だった。

映画の専門学校では、制作実習の授業が大半を占める。そこでは、1グループ10名程度の集団で1本の制作課題を作ることになる。監督、プロデューサー、撮影、照明、録音など、それぞれの役割を決めてゆき、協力して映像制作を行なってゆく。
ある授業課題で同じグループになった女の子がいた。そのグループでは僕は監督で、彼女はプロデューサーだった。監督とプロデューサーはパートナーのようなもので、制作をするにあたって、授業中のみならずずっと彼女と行動をともにしていた。必然的に彼女との距離はどんどん近くなっていった。やがて彼女は書類作成などの作業をするために、僕の家に来るようになった。夜遅くに家に来て、そのまま泊まっていくこともあった。
制作実習とは別の授業で、著名な映画作品を鑑賞して、その作品についてのレポートを提出する授業があった。その授業で観た、ある恋愛映画に僕は感動し、授業中にもかかわらず号泣して、授業が終わってもしばらく動けないほどだった。感動の勢いそのままレポートを書いて提出すると、翌週の授業で僕のレポートが優秀作品として生徒たちの前で読まれた。僕はそこに彼女のことを、彼女の名前こそ出さなかったが正直に書いた。僕はいま彼女に恋をしている、と。

そんな彼女は学費を稼ぐために風俗店で働いていた。僕は風俗に対して偏見もなく、反対する理由もなかったので、むしろ頑張っている彼女を応援した。仕事終わりの疲れた様子で家に泊まりに来ることもあったが、そんな日には余計に彼女が愛おしく思えた。
数か月後、一緒のグループになった制作実習は発表会をもって終了となり、グループは解散した。その後も彼女は何度か僕の家に泊まりに来たが、それはそう長くは続かなかった。
彼女はある日、僕の家に来ると神妙な面持ちで、突然僕に別れを告げた。彼女はいまの仕事を続けながら、僕との関係を続けることはできない、と言った。僕はあまりにも唐突な彼女の言葉にどうしても納得がいかなかった。僕は何度も彼女に考え直してほしいと食い下がったが、彼女は決して首を縦に振らなかった。そのまま彼女は二度と僕の家に来ることはなかった。

もう14年も昔の話で、彼女のことなんて遠い過去の記憶としてすっかり忘れていた。それが、今回の映画を作り始めてから、急にふとその当時の記憶が蘇ってきて、自分でもそれが何の感情に由来するのかわからないまま、ただただ涙があふれて止まらない。
なぜこの映画を作るのか、その理由はたしかに企画意図の通りなのだけれど、無意識のうちに彼女のことが影響しているのかもしれない。
今作の主人公は風俗で働く女の子である。そんな主人公の物語を見つめることで、当時の彼女の気持ちをほんのちょっとでも理解したい、と思っている。そうすることで、僕は僕自身の心の傷を少しずつ癒してゆこうとしているのかもしれない。

そんなふうにして、映画『デリバリーヘルス』は図らずも、僕にとって「最も個人的なこと」を描いた作品になってしまった。願わくば、この作品が「最もクリエイティブなこと」へと昇華してくれることを祈っている。


映画『デリバリーヘルス』監督 松嵜真一