・・・いっそ「本音と建前」で(以下略)

何かしらに対する人の感情と態度との違いを示す言葉である。悉く日本人論に見出される言葉でもある。

本音は、何かしらの事柄に対して、個人や集団に共有される意識に内在する感情や欲求を含む価値観に照らして心に抱かれるものであり、これはまったく自由な心の働きによって形作られる。同義語には『本心』が挙げられ自身に対する偽り(嘘)を含まない。

ただこういった本音は、他者から求められるものと食い違ったり、表に出すことで批判を受けたり、あるいは外聞が悪かったりする場合もある。そこで対外的に表現を穏やかにしたり、あからさまに批判を受けそうな個所を隠したりといった外部向けに表現を制限する。
その結果として、表に現されるのが建前である。

この中では儒教思想に於ける『由らしむべし知らしむべからず』(本来の意味は、『民を為政者の定める方針に従わせることは容易いが、その理由を全てに理解させることは難しい』)のまま、誤解を含む解釈に関連し、国会の内閣総理大臣が行う施政方針演説に於いては、しばしば建前論が述べられる。

なお、建前という語は『建物の主だった骨組みを作る』ことや、あるいはその骨組みが出来上がった時点で行われる儀式も指しているが、特に、本音と建前で言うところの建前は、実際の意味として『立前』とも表記される方の語で、こちらは棒手売や大道商人(→実演販売等)の商品を売る際の口上を指している。調子の良い商人ともなると、この売り口上で有ること無いことをさも尤もらしく吹聴する訳であるが、結果的に耳朶に心地良く他を不快にさせないよう表現や内容が選ばれ、また商品の欠陥や瑕疵を口にしない等、ある意味での嘘も含まれる。