刀で斬り合うこと、【剣劇】とも称される。

刀で斬り合う音、及び様子を表す擬音に由来する「ちゃんちゃんばらばら」の略であり、剣戟シーンをクライマックスに置いた作劇をする日本の演劇・映画・テレビドラマ等を指す。

チャンバラという語は、時代劇映画などの剣戟シーンを真似て行う子供の遊びをも指すようになった。
この遊びでは、多くの場合は、刀(日本刀)を模した木切れや木刀、新聞紙を丸めたものなどを手に持って、複数の子供で打ち合う。
日本では古くは普遍的に見られた遊びで、当時の劇俳優などになりきる「ごっこ遊び」の延長でもあった。
現在では時代劇の人気が衰え、乱暴な遊びがあまり好まれなくなった為にめったに見かけられないが、時代劇映画が流行した1960年代頃までは、男の子が最も熱狂する遊戯の1つであった。

その特徴は、人数さえ集まれば、これといった道具やややこしいルールがなくとも遊べる簡単さにあり、子供の遊び道具が豊富ではなかった時代にちゃんばらがしきりと行われたのはここに理由があるといっていいだろう。
今日普遍的に見られるテレビゲームなどは無かった時代の話ではあるが、子供達は高価な玩具を与えられる事は少なく、もっぱら身の回りの物を遊び道具としていた時代の話である。
子供達は物が足りなくても空想や想像力で補っていた。

現在では、時代劇の子供への人気は決して高くは無いが、アニメの巨大ロボットや特撮ヒーロー、あるいはファンタジー文学作品やこれを題材とするコンピュータゲーム(コンピュータRPGなど)に、刀、またはそれに類する道具を使って戦うものも多い。
振り回して他人を叩いても怪我をしないような、安全に遊べる玩具は枚挙に暇が無く、当人らにチャンバラをしているという意識があるかは別にしても、空気を入れて膨らますビニール製などの棒状の玩具を与えられた(ないし自分で購入した)児童が、他人を突っついたり互いに叩き合ったり剣戟を真似たりなどという遊びに興じる姿は、2000年代の現代でも見受けられるところである。

チャンバラには、ルールや規則といった程のものはなく、最も簡単な場合、それぞれが自分の好きな役に扮して「刀」で打ち合うというようなものであり、手の込んだものでも、せいぜい正義の味方役と悪人方に分かれる位のものであった。
これらでは「切られたら死んだフリ」といったような単純なルールこそあったが、特に勝ち負けを競うという側面は存在していなかった。

使用する道具は、まず第一に「刀」の代わりになる木切れで、器用な子は太い枝を肥後守(プレス加工で作られた安価なナイフ)で削って立派な「木刀(ただし、剣道で使う実戦的な打撃を目的とする木剣では無く、刀のような形状をした薄い木片である)」を作ったりもした。
鉛筆削りを別にすると、肥後守が子供の生活の中で最も活躍するのはチャンバラの為の木刀作りであったかもしれない。
勿論、立派な刀を持っている子供は、他の児童の羨望を集めた。

また母親が縫いものをする為の竹の三尺ざしで代用して叱られることも多かった。
これとは別にチャンバラ遊びの為のおもちゃの刀は江戸時代後期頃から市販されていたようだが、多くの子供達にとっては贅沢品で、めったに用いられることはなかった。
市販のおもちゃの刀が一般的になるのは塩化ビニル樹脂製のものが売られるようになってからだが、もうその頃には子供がチャンバラをして遊ぶことは少なくなってきてしまっていた。

新聞紙を丸めて、棒状にして叩き合う場合もある。
この場合、怪我の心配が少なく、壊れてもすぐに作り直せるので、小学校の行事などでよく使われる。

その他に必要となるものに、刀を差すための腰紐などが挙げられるが、最も重要なのは風呂敷である。
これは本来、時代劇ヒーローの中でも特に子供に人気があった鞍馬天狗に扮する為に、嵐寛寿郎演ずる鞍馬天狗のトレードマークであった宗十郎頭巾(形状から「イカ頭巾」などと俗称された)を真似る為に用いられたものであった。

風呂敷は後に、洋画・アメコミなどの影響によって、正義の味方のマントとしても用いられた。
これには『黄金バット』や『スーパーマン』のイメージが強かったと思われるが、刀で打ち合う伝統的なチャンバラのスタイルは崩れなかった為、1970年代頃からのチャンバラ遊びでは、正義の味方は風呂敷のマントに木刀を腰に差すという和洋折衷スタイルも登場した。
いずれにしろ、風呂敷はチャンバラ遊びに於いて正義の味方の表象であることが多く、特別な意味を持っている。