と、呼ばれていた期間があった・・・

 

厳密に言えば、高校在学中

(1年3学期終了まで上差し)のコトでぁる。

 

翌年度の教職員異動で

一人を除き、それ以外の教師は

全員他校に移った。

 

強靭な帝国は滅びたかのように思えたが

魔王の側近が残っていた。

 

ぃや、真の帝王こそ彼であり

残り2年間の高校生活に於ける

我が担任に他ならなかった訳でぁる。

 

 

 

日々恐怖と立ち向かいつつも

サボらず休まず

学校へ通っていた自分自身を褒め称えたい。

 

中学の時に

立候補した学級委員も再び務めた。

 

 

しかしながら、悪いコトばかりではなぃ。

 

飴と鞭を上手く使い分けるのが

生徒指導のエキスパート。

 

叱る時は本気で叱り、

誉める時は本気で誉めてくれた。

 

 

 

年齢的にもどことなく

親に似た感覚を抱く事もぁる

教師の存在。

 

優しさだけが取り柄ならば

その優しさは必要なぃ。

 

他の要素が備わった際に溢れ出す。

 

よほどのコトがない限り、

人間のココロは

優しさだけでは満たされない。

 

欲深き生物の

(みじ) めな性(さが)とでも言おうか...

 

 

 

我が担任は

茶目っ気満載な性格だった。

 

初対面の挨拶で

『私は非常に繊細な人間です』

『ナイーブ・・・それでいてナーバス』

『どうぞ、皆さんお手柔らかに』

と云っていたのが

今でも頭から離れない。

 

彼の授業を受けた過半数に近い生徒が

「真逆じゃねーか!!」と

思わずツッコミを入れる顛末。

 

 

職員室に出席簿を忘れてきた事も何度か。

 

おっと、これは

中学時代の恩師だった。

 

 

 

フルケンの愛称で

親しまれていた彼も

定年間近・・・

 

奇しくも今年

己の歳があの頃の担任の齢と重なる。

 

 

副担任は校長になって

数年前から母校へ

戻ってきていると風の噂に聞く。

 

今更だけど、現役の当時

聞けなかった事を聞きに行こうか。

 

 

多忙を窮める毎日ゆえ

くだらぬ冗談には付き合ってられないって

追い返されるのが

関の山かもしれないけれど。

 

教頭が出てきて、門前払いの可能性も。

 

 

 

 

覚悟は決まった・・・

 

愛車の先端は

母校の方角を向いている。

 

急傾斜の坂を

学生の頃と同等に上りきれる体力は無いが

向かい風ではなく

追い風が吹いてくれるのを願って

進むことにしよう。