🎍今回の記事は、初詣の歴史と移り変わりについて書きます。
どうも、占い館ルネッサンスの占い師の右京です音譜
姫路市の北隣りで、日本一小さな家が在る田舎町の片隅で生まれ育ちました。

🎍早くに父を亡くし、我が家はマイカーとは縁の無い暮らしをしていました。食料品や日用品は地元で調達し、姫路の中心部に出かけるのは年に数回で、それが普通でした。初詣も、村に在った二カ寺と鎮守に参拝する、というのが、村の正月風景でした。

🎍そして、高校は姫路駅から自転車で通うようになりましたが、部活に明け暮れていたので、基本的には中学までと同様の暮らしぶりでした。ただ、列車待ちの時間を姫路駅前に在った二件の書店で過ごすのが楽しみだったで、帰宅部生活を選んでいればはてなマーク、と思うことはあります。

🎍大学は京都市内で過ごしたので、いろんなことと出逢い貴重な時間を送ることができました。神社仏閣だけでなく、いろんなところを巡りましたが、変化し出したのは、地元に戻ってクルマで生活するようになってからです。

 

🎍初詣の定番だった地元の鎮守に参ってから、近隣の有名な神社や名所と呼ばれる社寺に足を延ばすようになりました。思い起こせば、各地の初詣の人出がニュースや新聞記事になりだしたのは、この頃からだったような。。。

 

🎍「この頃」というのは、昭和50年台の中盤あたりです。マイカーを持つ学生が珍しい存在では無く、当たり前だった時期ですから、いまの学生よりも豊かな暮らしが出来ていたのかもしれません。

🎍……とまあ、ここまでは、個人的な生活史ですので面白味も無いのですが、「初詣 歴史」で検索してみると、ウンと興味深くて参考になる話題が。。。

🎍Wikipediaによると、《初詣・初詣で(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参・初参り(はつまいり)ともいう。》……との説明から始まるのですが、「初詣」が始まったのは明治時代以降のことだったようです。

🎍それ以前は、《「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣であった。やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今の初詣の原形となった。》…… という記述とは一致しないのですが、氏子や檀家に「世話役」に選ばれた者が集落内の寺社に出向いて「除夜詣」や「元日詣」を担っていたようです。

🎍このように、《江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた。》ようで、その習慣が変化し出したのは、明治時代以降のようです。

🎍《「初詣」が、鉄道の発展と関わりながら明治時代中期に成立したとしていると。つまり鉄道という移動手段を広げるものが導入されたことで生活様式が変化し、「初詣」という新たな習慣が始まったのですね。当たり前といえばその通りなのですが、これを知って納得してしまいました。

🎍国営と民営の鉄道網が整備され、鉄道インフラが整いだしたことで、人々の移動範囲が広がったのですね。ここで鉄道各社が寺社とタイアップしたかどうかはともかくとして、割引きっぷや初詣きっぷを商品化することで「初詣」を流行らせたのですね。 

🎍昭和後半にはマイカーの登録台数が増え、自動車専用道が整いだしました。個人の生活も豊かになりだしたことで、クルマを通勤の移動手段として利用する生活に加えて、余暇を過ごすために利用する機会が増えたのです。

🎍これにバブルが加わって、消費することを美徳とする時代がピークを迎えたことで、プライベートな時間はもちろん、「初詣」の目的地や過ごし方も自由に選べました。

🎍ここまで、「初詣」の歴史をたどってみましたが、気になる話もあります。近頃は「初詣」に行かなくなっているとか、近場で済ませるという人もふえているようです。流行に流されやすい国民性に変化が見えだしたのかもしれません。

🎍そこで、占い師として気になるのは、「初詣」に行くかどうかよりも、「初詣」に行って何をどのようにするかということを考えることも重要じゃないかなと思うのです。

🎍これまで、流行や話題に乗っかることが上手い、商売上手な占い師やスピリチュアルカウンセラーが稼げる時代でした。しかし、流行やブームに乗せられない人、地に足を付けた人が増えてきだしたとすると、中身で勝負する時代がやってくるのかもしれません。

🎍見せかけよりも中身で勝負できる時代がやって来ることは、私個人は楽しみです。正直に言うと、本物だけが生き残ることには大歓迎です。このブログも、本物の中味にこだわり続ける所存ですので、来る2020年もよろしくお願い申し上げます。