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イケメン貴公子なのか?ヤバイ奴なのか⁇(前編)

から続く後編です。

 

半端ない上流家庭血統の貴公子で、ハンパない美男でもあったエリート官僚の杜牧(とぼく)には、波乱万丈の生涯だけでなく、彼のエピソードも桁外れだったのです。後編では、杜牧にまつわるエピソードを紹介します。エピソードというより、黒歴史に近いかも?

 

【Episode1】

まず、前編でも少し触れましたが、揚州(江蘇省)に赴任していた、31 歳~33 歳の3年間、杜牧は風流の限りを尽くした……つまり、遊びまくったわけです。

 

どれくらい遊んだのか? 上流の血筋でエリート官僚であった杜牧ですから、彼の身を案じた上司が秘かに護衛をつけていたのです。で、監察御史を拝命して長安の都に戻ることになった杜牧に、上司が見せたのが、卒が記録した3年文の護衛報告書でした。

 

  • 杜書記は張家⇒江都楼⇒彩虹閣⇒再び張家。帰宅。
  • 杜書記、張家⇒流波館へ。宴会。遊侠の徒、宴席に闖入する者あり。 取り押さえる。⇒張家⇒帰宅。
  • 杜書記、張家⇒九峰園⇒天瑞館⇒張家。路地に入り二刻を経過 して春屏原に出る。家まで同道。

(出典)『揚州夢記』

……毎日ハシゴしていたようです。「張家」とは、古なじみの妓女、張好好。監察御史東都分司として洛陽に赴任して再会。その時、張好好は19歳でした。時代が違うので断言できないけど、今ならロリコンです。

 

報告書の数は一千枚を超えていたということですから、上司に諭されるのも仕方ないですね。

 

【Episode2】

34歳の頃、眼病を患っていた弟、杜顗(とき)を見舞った際に、絶世の美少女に出会ってしまいます。年を菊と十数歳、(成長す れば、まさに天下一の美女だラブラブ)と考え、彼女の母に掛け合います。

 

結納の金を渡し“10 年経てば私は 湖州刺史としてここへ赴任して来るので、それまで待っていて下さい。10 年です。”と申し出ます。

 “でも、10 年を過ぎたなら?”と尐女の母親は心配します。二十を過ぎると、婚期を逸した と言う時代でした。

“10 年過ぎれば、仕方がない。きっと 10 年以内に戻って来ます。”と杜牧は約束します。

 

この時期は、眼病により失明した弟・杜顗(とぎ)の家族と、さらに未亡人となった妹母子など、彼の一族を養うために、中央での出世を断念して地方長官=知事になっていたため、10 年以内に戻ってくる心づもりだったのでしょう。

 

しかし、湖州刺史就任が実現したのは、850年)、杜牧が48歳の時でした。10 年以内に戻ってくるつもりが、14年が経っていました。少女は3年前に結婚し、3人の子供をもうけていました。

 

この時に読んだとされる詩です。

   ↓   ↓   ↓   ↓

  「嘆花」(花を嘆く) 

自恨尋芳到已遅 自から恨む、芳を尋ね、到ること已に遅きを 

往年曾見未開時 往年、曾って見る。未だ開かざるの時

如今風擺花狼藉 如今、風擺いて、花狼藉 

緑葉成陰子満枝 緑葉、陰を成して、子は枝に満つ

 

杜牧のエピソードを辿ってみると、ロリータコンプレックスが有ったことは間違いなさそうです。半端ない上流血統の貴公子で、ハンパない美男であり、さらに文才に恵まれていても、完全無欠って人物は極めて少ないのかもしれません。

 

今回の記事は、『晩唐の詩人・杜牧(803~852)の詩と人生』を参考にさせていただきました。有難うございました。

 

さて、七夕にちなんだ詩を探していて、杜牧に行き当たり、彼の生涯を記録しておこうと思い、この記事を書かせていただきました。最期に、七夕を詠んだ『秋夕』を添えておきます

 

 秋夕  杜牧 

銀燭秋光冷畫屏  銀燭の秋光、画屏冷ややかなり
輕羅小扇捕流螢  軽羅の小扇、流蛍を撲(う)つ
天階夜色涼如水  天階の夜色、涼水の如し
臥看牽牛織女星  臥して看る、」牽牛織女星

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