ukureのブログ

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個人的な趣味の部屋です。ブログは全くの初心者で、「まずは一歩を踏み出してみる」状態。さてどのように推移していくことやら…。

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さて、Kindleである。
今のところ、快適!便利!作品の印象が変わった!というのが手短かな感想だ。

Kindleにして良かった点の1番は目に優しく、自分の視力に合ったフォントサイズと行間を選ぶことができるということか。

前回のブログにiPad Airや、その他のものと比べながら散々迷い続けたと書いた。

が、こうして使ってみると、判断基準はそもそも非常にシンプルかつ明白なものだったことに気がついた。あくまで自分にとってのことではあるが。

電子書籍は本なのだ。
自分の習慣では、ひとたび読書を始めると、3~4時間よみふけるというのは普通だ。本というのはそういう利用に仕方をするものなのだ。
ということは、自分が電子書籍に求める最優先するべき要素はこの点で良かったということが、今更ながら分かった。
PCやiponeやiPadなどにKindleアプリをダウンロードして実験的に試し読みしてみたが、一番の問題はすぐに目が疲れて痛くなる。これは自分には合わないなぁ、と感じることで、即ちKindleは合わないという印象が刷り込まれてしまっていた。
ところが、いざ本物のKindleで読んでみると、紙の書籍以上に読みやすい。つまり、視力に合った活字を目に負荷をかけない媒体で読めているということだ。

 レザーカバーなどをつけずに持てば、軽い。片手で持ったままページめくりもできるので、寝そべっても、コーヒーを飲みながらでも、ページが戻らないように紙面を押さえるひと手間も省ける。

 カラーではないし、書籍としての機能以外は、他の媒体の方が遥かに便利なのは確かだし、だからこそこれだけ迷ったのだけれど、多分他の媒体ではこんな風に長時間読み更けるということは、自分の目のコンディションではできないと今は確信している。

単純なことだけど、これは使ってみて初めて分かった。もっと早くから使うべきだったなぁと、ちょっぴり悔やまれる(笑)

さて、肝心の書籍だが、早速英語の多読練習として児童図書を3冊読了。ペーパーの3倍くらい早く読めている。
ついでに無料で手に入るシドニー.シェルダンに突入。ペーパー版を数冊読んで読み易さは体験済みだが、紙媒体以上に読むテンポがあがり、結果面白さが増す。

更に、予想外の発見があった。
気分転換に読む為に、同じく無料でダウンロードできる和書を検索して、長い間遠ざかっている夏目漱石を一通り読み直すことにして、三四郎から始めてみた。

なんと、漱石の文体やテンポの良さはシェルダンとそっくりなんですね。
同時並行で読んでいて、全く違和感がない。そもそも漱石は英語教師であるから、彼の文体には英語的な思考や表現が色濃く反映されているので尚更なのだろう。
漱石の思想、人生観、時代への考察、人間観察の細やかさと生き生きした表現などを改めて堪能するいいきっかけになりました。

表示されるフォントを変えたり、紙面から電子媒体に変わることで、視覚的な印象にも真新しさが加わり、新鮮な読書体験が始まっている。

もちろん、受け止め方や価値観は人それぞれなので、多くの方が私とは全く異なる評価をされるかもしれません。
ご自分で納得するまで事前の吟味をされるべきかと思いますが、私には、Kindle、合いました!

 失敗を厭わないのであれば、お試しあれ!
検討に検討を重ね、迷いに迷った結果、私の環境と一致する過不足のない選択はKindle paperwhiteと判断し、よしっ!と決めた瞬間、アマゾンの購入ボタンをクリックし、それがもう夜中だったのに、翌日の昼には配達されてきました。
なに、この便利さ。

 早速充電を開始。と同時に今までに本で購入しようとチェックしていた英語の多読練習用のKindle版を5冊、安いのばかりを選んでダウンロード。ダウンロードにかかる時間はwi-fiで、それぞれ1分もかからなかったので、本体を購入するのと、5冊の本を手に取る為に必要な時間は10分程度ということになります。
もっとも、Kindleってどんなんかな?って興味を持ったのはもう何年も前で、いろいろな電子書籍やタブレットも実際に使ったり、比較検討したりするのに数年かかっているのですが。

 読書はやはり紙の本でしょ!あの一枚一枚をめくるトキメキ。気にいったフレーズに線を引いたり書き込みをしながら、読み進むにつれて残りベージが減っていくのをある本は励みに、ある本は寂しく感じながら、ベース配分を体感しつつ、読み通す。読了した瞬間の満足感!
そして、読み終えた本を書棚にいれて背表紙を繰り返し眺めつつ、繰り返し余韻に浸る。この感覚は電子書籍では代用できないだろう。

ついつい、そんなことばかり考えるので、結局迷った挙句に、やっぱりやめた!と先延ばしにしてきた電子書籍の購入だったが、今回踏ん切ったのは、英語の多読には
こちらの方が断然便利だと確信したからなんです。
わからない単語は、指を触れるだけでたちどころに意味や例文が表示される。ほかにも便利な機能が多々あるし、やはり不満な点も使うにつれ出てくるが、とにかくどんどん、読み進むことができ、何百冊もがこの1冊分の枠に収まり、目が疲れない。

まあ、経済的に余裕がある方は、Kindle voyageが更に便利だろうというのは使ってみて感じはしますが。

 自分にはそれだけで今は十分満足できる。書棚の本も順次減らしていける。

新しい読書の楽しみ方が手に入り、心が子どものようにはしゃいでいる。

たわいもないことです。はい。
試しにiponeにkindleを入れて1冊英書を読んでみた。なかなか使い易い。
特に、調べたい語彙はその語を長押しすれば、たちどころに説明が表示されるので、読む速度は数倍にあがる。
便利なものなんだねぇ。
ただ、iponeで読書は流石に苦しい。両目が鼻側に寄ってきはしないかと心配になるので、読書には読書に適するサイズがあるだろうし、KindleかiPad Airが良さそうな印象があり、メリット、デメリットをしらべているが、文字通りどちらにも両面がある。
 どなたかいいアドバイスをいただけないだろうか?

 コストバフォーマンスとの兼ね合いもあるし、読書以外の使用頻度とも関わるから自分の好みで決めるしかないのだろうけど。

ipadで長い時間読書するとやはり目が疲れますかね?

以上、自問自答でした。
昨日、今日と知人の日本語がわからない英語のネイティヴスピーカーの為に、役所に相談する福祉サービスの説明書を作成している。昨夜、今朝と6時間ほどかけたが、まだ途中で、なかなか大変な作業になってしまった。

ネットで調べながら翻訳すれば、チョチョイのチョイだろうとたかをくくっていたら、なんと役所でもどこでも、ホームページなどの翻訳はほとんどすべて自動翻訳ソフトを使うためのリンクボタンが添えられているだけか、それすらない。
自動翻訳ソフトの訳は昔より前進はしているものの、やはりでたらめでお話にならない。
 結局、専門用語の語彙検索さえ当てにならないので、一つ一つ検証しながら自分で訳していくしかない。

これだけ海外から日本に来て生活している方たちが増えているのに、これではいかんだろう!と、心の中でブツブツボヤキながら、とにかく今日中に仕上げなければいけないので、休憩後に取り掛かるつもりだ。

せめて役所などの公的なサービス機関は担当者を置いて、自前の翻訳をホームページにアップしていただきたい!

と、ここでお願いしても何の効果もないのだけど。(苦笑)

英書多読マラソン

The Giver ( 記憶を伝える者)

アマゾンで興味を惹かれて購入した本は保管すべき本の上位に位置しており、これを順に読み進めるの

が何ともいえず楽しい。本のジャンルは多種だけれど、「大人向け」と「児童文学」を交互に読むと脳と心の

の「筋肉」がほぐれるようで心地がよいと感じている。

で、今回は児童文学。 アメリカの作家 Lois Lowryによって1993年に発表されている。

物語の舞台となるのは近未来の「コミュニティー」。犯罪、飢餓、悩み等のないユートピアを目指して作られ

た管理社会である。

けがや病気をすれば苦痛が伴い、不安や恐怖や悲しさがつきまとう。骨折するような事故に遭えば、考え

たくもない激痛におそわれる。

自然は人間に豊かさをもたらす反面、命を奪い、苦痛も与える。

人との出会いは喜びをもたらす反面、死ぬことも含めて必ず別れも待っており、つらさ、さびしさ、悲しみが

先に待っている。

人間同士の争いや諍いは避けられないのが現実だが、もしそういうもろもろのマイナスの側面だけをすべ

て取り除くことができれば理想郷(ユートピア)をじつげんできるのではないか?

そのような表現は一言も書かれてはいないが、そういう仮定の下に築きあげられたのが物語の場面(コ

ミュニティー)である。

すでにできあがったコミュニティーを維持していくためには、徹底的な管理が不可欠となる。

人々が不満をいだかず、完璧な平等を享受するために、細かな規則が定められ、違反することは社会か

ら排除される(とも書かれていないが、人々の知らない所で、「抹殺される?」)と暗示されている。

人々が強い感情を表すことのないように薬によってコントロールされている。

読み始め当初は、このような社会描写の為に、やや単調さを感じた。が、読み進めるにつれて平和な管理

社会の恐ろしさ、異常さがじわじわと伝わり始める。

完成された社会の構成要素としての1個人が、そうした社会に疑問さえ抱けないように個人の記憶は奪わ

れ、〈記憶を受けつぐ者〉だけが一括して蓄積、管理することで現在のコミュニティーは成り立っていた。


もし、この社会に疑問を抱ける者がいるとすれば、それこそがthe Giver(記憶をつかさどる者)となるのだ

が、たった一人で大きな社会構造に立ち向かうなど無謀な試みになるだろう。

という感じで、物語の一端をかいつまんでみたが、主人公のジョナスのいだくかすかな疑問が、やがて

明確な意志を持つ変革への行動へと進んでいく歩みがスピード感を伴って描かれている。


物語の展開としては、Fly Away Home や Hatchet のようなタイプのより現実にありそうな物語の方が好み

だけれど、3日間で読み終わるまで 次の展開が気になるおもしろさがあった。


書棚にはまだまだたくさんお楽しみが待っている。

いつも感じるのだけれど、これを翻訳で読んでもおもしろさは半減するのではないだろうか。

英文のもつリズム感や語感や文化的背景などを感じながら読書を楽しむには原書を読むのがいい。








 以前は暇さえあれば本屋に通い、一度に10冊くらい買うのが常習化して、2部屋は床から天井までびっしり本だらけだった。
阪神淡路大震災の時に、住居は遠く離れていたにもかかわらず、本の重みに耐え兼ねて書斎の床ががくんと下がってしまった。
 何やかやでその家は手放したが、それ依頼 本の重量の凄さを自覚し、できるだけ手放せるものは古書店に回したり、処分をするよう努力をしてきた。
 が、本というのは愛着がわき、なかなか手放せないもので、何年経っても決意した程には減らすことができずにいた。

 「減らした方がいいよ」というレベルの意識では実行は出来ないということも自覚した。
 ではどうするか?

 衣服と同様に、繰り返し繰り返し手にとっているものを最優先し、5年以上書棚に入りっぱなしのものは断腸の思いで手放した。

 実行する為の鍵は、

必要な本は図書館で借りればいい!

これだった。

最近は借りたい本を予約すれば取り寄せまでしてくれる。多少届くまで待つくらいの気長さをもつくらいでなきゃいかん!
と、自分に言い聞かせた。

 失くなって不自由もあるが、慣れてもきた。

 けれど、本屋でずらっと並ぶ本を眺めながら心惹かれる本を手に取り、あれこれ思い巡らせる時間も捨てがたい。
 これは図書館とはまた違う。

 今日もまた、本屋に行きたいという腹の虫が騒ぎ出して、足がズンズン先に進んでしまった。
 いかん、いかん。
来た以上はいつも通りに本を物色した上で、「よし!これからこの本を図書館へ借りに行こう!」と気持ちを切り替えることができるまでに成長した。(笑)

 本棚を次々に増やすのでなく、今ある収納スペースを維持することを基準に今は残す本を決めている。
常に優先順位を意識するので、本以外の片付けのトレーニングにもなっている。

 ただ…図書館の本は、もっともっと増やしてもらいたいと切実に願っている。
もうかれこれ1年間、ウクレレのメインとしてkaalaのテナーを使っている。
弾き易さを追求した作り手の細やかな配慮を感じさせてくれるお気に入りだ。
サイズが大きい分、ゆとりのある柔らかで厚みのある音色を出す。

 気分を変えたい時はkamakaのコンサートを弾く。kamakaの音色は独特で、何とも表現しにくいが、とにかく甘~い音色に感じる。そして、よく響き、鳴りがいい。
それだけに、上手い下手がよく反映されるような気がするのは気のせいだろうか?

 今日、久しぶりにkoalohaのソブラノを弾いてみて驚いた。数ヶ月ぶりだというのに調弦の必要がない。音はしっかりキープされていて、しかも何と、この小さなソブラノの鳴りがすごい!
こんなに響いていたっけ?
koalohaはとにかく一つ一つの音が小気味よく明るく弾む。

 どれが一番いいかなぁ?と、同じ曲を取っ替えひっかえ弾き比べてみる。
どれもそれぞれの良さがある。
曲を変えてみるが、結論は出ない。

要するに、どちらの方がいいと、比べるのがおかしいのだろう。比べようがない。

テナーばかり使わずに、こうやってそれぞれを使い込まないともったいないと今更ながら思い至る。

 何でも同じかもしれないなぁ。
どちらがいいか?と比べるのではなく、それぞれの個性を引き出し、楽しめばいいのだ。

 いゃあ、贅沢、贅沢!

前回のウクレレ話の続きの自分自身のメモです。
難しい楽譜を弾けるようになるにはどうすればよいか?

今まではただひたすら練習を繰り返すだけか、またはまず易しい曲をしっかり練習してから、さあやるぞっと難しい曲に挑んできた。ところが毎度、やっぱりこれは無理だ、とすぐにあきらめてしまう。

弾きたいと感じて購入しておきながら
、いざ弾こうとすると難しくてお手上げとなり、本棚に入れっぱなし。たまに再チャレンジしてみるものの、放りっぱなしの楽譜に進展があるわけでなし、当たり前のことながらやはり弾けずにお蔵入り。

何が問題だったのだろう?

 最初から自分には無理かな?って思いこんでいるから、つまづくとそれ以上の努力をしない。

悪循環である。

今回は、上手な演奏家の指づかいを繰り返し繰り返し見ながら、この指づかいには、これだけスムーズに動かせる何か秘訣が幾つも隠されているはずだ!と断定し、それを解いてやるぞ!と構えて再チャレンジを始めたことで、コードと指の運びやすさの関係がすんなりと頭に入り、指がその理解を助けてくれたわけだ。

できるという前提で、やりきる為にどう工夫するかという姿勢で取り組むのと、無理かもしれない?と引いた姿勢で取り組むのとでは、結果の違いはこうも違うものなのだ。

当たり前のことのようで、なかなか分からないものですね~。

剣史さんの講座で言っておられたのはこういうことかもしれないなぁ、というのが私が一つ分かったことです。

亀さんでも、前に進んでいるからいいとしよう!
最近ウクレレの上達を自覚できるようになってきた。
 毎日練習を継続すればそのうち誰でも上達するものだとも思うのだけれど、自分について言えば亀さんの歩みで「これって、なかなか埒があかんなぁ」と、時折溜め息が出て仕方がなかった。

 何が原因なのか、練習の中味を振り返ってみると、難しい指づかいについてはひたすら繰り返し、慣れるしかないと回数勝負をかけていた。

 そういう練習でも少しづつ演奏時に余裕が出てきて、そもそもこの曲を作曲した人もギターなりを弾きながら音の流れを探っていたはずだから、指を運びやすいようにコードを組み合わせて音を置いていったに違いない。

 そこに思い至って、急がずに ゆっくりゆっくり いかに前の指を動かさず、残しながら次の指を加えていくか、ということを意識して 楽譜を読むようになった。

 すると、なんだ そういうことか! という発見が多々あり、今まで 最初の一小節から無理だと投げ出していた曲が、一小節、二小節、と順次進んでいき、自然に最期までたどり着いたのだ。

感動というよりは、ぽか~んとするような、思わず「わらけてくる」感じと、曲って弾きやすいようにできているんやな~と感心してしまった。

この瞬間、全然難しく感じなくなった。

こんなにシンプルなことに気づくのに、3年かかってしまった。

でも、これで演奏の方も一皮むけそうな気がします。

 練習が今までとは違った意味で楽しみになりました。
30年以上ペーパードリッパーど淹れてきたコーヒーだが、ひと月前にサイフォンを本当に思い切って購入した。
味がどう違うかな~?なんて長年?のままで過ぎていくのも馬鹿げているんじゃないかとようやく思い切った。

で、サイフォンはどうか?
熱々のコーヒーが入るのでパンを食べ、デザートを終えるまで十分な温もりを維持できる。
手でドリップする場合は2人分、4人分と淹れるのに、特に味を重視すると4~5分かけてじっくりと技術を駆使して淹れる。
結果にほぼ外れはない。

それに比べたら、サイフォンはセットから出来上がりまでの手間はかからず、はるかに楽だ。人によったら器具のセットを煩わしいと感じるかもしれないが、自分としては楽しい時間以外の何物でもない。

ただ、豆の種類、炒り方、豆のひき具合、
火にかける時間、ヘラで混ぜるタイミング、混ぜ方、回数など、自分が納得ものをつかむまでは、まだ試行錯誤中なので、味については何とも言えない。

すっきりした味になる、とは表現できる。
熱で雑味が出ると言う人もいるが80杯ほど淹れてみて、それはなかった。
むしろ雑味や味の構成要素のなにがしかが熱でとんでしまってアメリカン的なあっさりした味わいになる。
甘いものや食べ物ぬきのブラックコーヒーでとなると、濃厚なものが好きな自分には
やや物足りない。

これは器具の良し悪しではなく、サイフォンにはサイフォンにしか出せない味があるし、ペーパードリッパーにはこの淹れ方だからこそ出来る味の調整の可能性があり、技術が問われる。

そういうものだとまずは理解することにする。
サイフォンのロートの形状を変えて別のタイプでも試行錯誤してみて、奥の深さに探究心が刺激され、コーヒーを淹れる楽しみ方が倍増したのはたしかだ。

で、だ。

こういう形で試行錯誤を始めると、前々から試してみたかったフレンチプレスのことが気になって仕方がない。

検討に検討を重ねて自分の好みに一番合いそうなものを選び、購入した。

そして、淹れてみた。

美味い! 女房は この味が一番好きだと言う。確かに、豆のオイルも抽出され濃厚かつまろやかな味になる。
しかもペーパーもいらず、後片付けもらくである。

問題はいい豆を使わないと雑味、エグみが出る可能性はあるだろうとは思う。

要は使い分けをすればいいだけのことだ。

これでコーヒータイムがこれまでの数倍楽しめるようになったことは間違いない。


ペーパードリッパー、サイフォン、フレンチプレスに順位をつけるのは間違っている。
それぞれの特性を愉しむことが大事で、人との付き合いと同じだ。

ただ、間違いなく 1人でコーヒーを淹れるときはフレンチプレスを使うことになるだろう。

手軽さと自分好みの味と探究心を満たしてくれるというのがいい。

お客さんには飲み比べを愉しんでいただくのが良さそうだ。