たかしの尻には、アザがあった。
幼い頃、たかしは近所の連中とよく悪戯をして遊んでおり、周囲の大人たちからは、いわゆる『いたずら少年』として知られる存在だった。その大人たちの通報を受けてか、たかし達が悪戯をしていると、そこには決まって祖父が現れた。そして他の子供たちには目もくれず、たかしだけを掴まえて、晒しあげるように尻を引っ叩くのだった。
毎度、ウクライナ式に右の尻ばかりを狙って叩くものだから、25歳になった今でも、右の尻には薄っすらとではあるがアザが残っている。周りからしてみると、決して目立つほどのものでもないのだが、皆の前で尻を叩かれたという、恥ずかしい記憶を喚起するものとして、たかしにはそのアザが大変なコンプレックスであった。
6歳の頃に父親の転勤で、母と3人でウクライナから日本へ渡ったきり、祖父とは会話をする機会がほとんどなくなっていた。年に1度、ウクライナから届く年賀状に、
「今年もよろしくお願いします。」
とごく簡単な挨拶が書いてあるだけで、こちらからも同じように
「今年もよろしくお願いします。」
と返送をする。会うことがないのに「今年もよろしく」と言い合うだけの奇妙な関係が17年間続いた。
そのため、この日17年振りにウクライナへ渡ることになったたかしは、祖父に対して、半分は冗談で、しかし半分は真剣に、消えなくなってしまったアザについて文句を言ってやろうと考えていた。
子供だったたかしには、立ち向かうにはあまりにも大きな存在で、歯向かうような真似など到底できないと思っていたが、高校生となり反抗期を迎えた頃からは、いつか言い負かしてやる、と挑戦心を持つようになっていた。
8歳の頃からまともに会話をしていなかったので、それを言われた祖父がどのような反応を見せるのかなど、本来であれば想像もつかないはずであったが、この日のたかしには祖父の反応は容易に想像ができた。
どれほど大きな声で文句を浴びせようが、祖父は一切の反応を示すことはないと、確信していた。