自分自身が何をしてきたのか表現するというのは、勇気のいることでした。
いままでも 表現をしてきたけれどもっと心の奥深いところで表に出ることを拒んでいたものを出してしまわないと自分の深いところの痛みを自分が癒すことができないと感じた。
私は20代の最初の頃、母の友達の霊能者の方のところへ母を送り向かいをしていくうちに外に力を見るようになっていった。
外の誰かに助けを請う母を最初、変だと思い、自分を空け渡してしまった人たちに異様さを感じたが、自分もいつしか自分自身をなくしていった。
その頃婚約していた彼を交通事故で亡くした。
24歳の私には余りにも苦しい出来事だった。夢で葬式の情景を見た。
1970年代、正夢を信じてくれる人は、私の周りには、母の友達の霊能者の人ぐらいだった。
どうしてこんな苦しい思いをしなければいけないのだろう、この苦しみからどうやって抜け出ることができるのだろうと、心がもがき苦しんでいた。
思い出してみると、この感情に蓋をしていたのだ、充分いやされていなかった。
書きながら私は、私を癒していなかったのだと今更ながら感じた。
その感覚を引きずり外に力を求める体験をし始めた。
きっかけはなんであれ、自分自身で決断するというのをどこか外に委ね始めていた。
母はそれから、肝硬変と分かり、すがる気持ちでそこに通っていた。
母を助けたい一心で、また私も深くはまっていった。
当時は余りにも盲目的だった。
母方の従兄弟が、彼も霊能者だったのですが、私たちのその異様な姿をみて、その母の友達の霊能者と決別することを勧めてくれ、母を説得し、そこを離れることになった。
しかし、母を少しでも長生きさせてあげたい、現実をなんとかしたいと強く思う私には、外に力を見て、本来の私は不在でした。
ここからまたその従兄弟に依存するということが始まった。
私が33歳の時に母が亡くなった。母を愛し、頼りにしていた私には、悲しみの深さは大変なものでした。そして母の信頼を一心に得ていた私の従兄弟に、より依存し始めた。
私と妹夫婦と従兄弟との依存関係は、私たち姉妹の決別のきっかけとなり、家族がばらばらになっていった。
数年続いた従兄弟への依存関係は終わったのですが、その時、父は心労で胃がんとなり、私は、また現実をなんとかしようと、すっかり自分が不在になっていた。
従兄弟への依存を終わらせるきっかけになった友達をまた頼るという私のパターンができあがっていった。
なにもかもではないにしろ、
誰かにお伺いを立てないと行動できないという私が出来上がっていた。
そんな私でしたが、なにかのきっかけで竹田和平さんを知り、惹かれてそこに自分の意志で行き始めた。
行き始めて間もないころ、東京からお招きしている人がきますということで、集まっている人たちの前で紹介されたのが、中浦えりこ(境えりこ)さんだった。
2010年の秋でした。
初めて会ったというのに、初めてあった気が全くしないのです。
とても懐かしい人にあえた、この懐かしさはどこから来るのだろうと感じた。
こんなに強く懐かしさを感じる自分に驚いた。
いろいろな人と話している彼女に、この懐かしさとワクワクで、話をしに行った。
本当に嬉しかった。
竹田和平さんのところでの「ありがとう会」に彼女が東京から来るという日は、都合がつく限り、出かけて行った。
彼女と話をするのが純粋にうれしかった。