自慢ではないが、年末によく彼女に振られる。




しかし年末と言えば「クリスマス」「カウントダウン」「初詣で」とカップルにとってみれば幸せを最大に感じられる時期ではないか。
それなのに彼女は何故僕の前を去っていくのだろうか?
これは僕にとって最大の謎である。






全ての別れを今でも引きずっている。しかしこれまで1番悲惨だったのは、大学2年生に付き合っていたヨシコちゃんとの別れだった。
彼女は広島のローカル番組で「おさらいガールズ」というアシスタントをしていた「キューティ鈴木」似のお嬢様だった。





そして僕には勿体無いくらいの可愛い女の子だった。だから一緒にいて、何の取り柄もない僕が常に引け目を感じていたのは事実だった。とにかく恋愛になると、僕は自分に自信がない。






デートに行くにしても、学生にしては気合いの入った店を選んでいたし、洋服なんかも時間を掛けて選んでいた。






しかし別れは突然だった。




クリスマスの3日前に喫茶店に呼び出されて「やっぱり友達に戻りたい」と言われたのだった。そして僕の手元に残されたのはクリスマス前に彼女を失ったという現実と、無理してバイト代をはたいて買った渡すはずだったティファニーの指輪だった。






別れよういう彼女の主張は辛かったが受け入れた。




しかし貧乏臭いようだが、高価な指輪の処分だけは受け入れきれなかった。困った僕は仲の良かった飲み友達のOL「雅美さん」に相談することにした。




雅美さんは仕事の合間を抜け出して、僕1人ポツンと残された喫茶店に向かって来てくれた。




「どうしたんね。振られたんじゃろうが」




雅美さんは暗い表情から僕の心中を察してくれた。それから事情を話すと、さすがに年上の女性だけあって的確なアドバイスをしてくれた。





「買ってから1週間以内なら、店によっては事情を聞いて返品させてくれる所もあるよ」







「じゃあ恥ずかしいから、一緒に付いて来てくれるかな。お金戻って来たら一杯奢るから」






そのような会話を交わした後、僕らはパルコの1階にある宝石店に向かったのだった。



「いらっしゃいませ。いかがなさいましたか」
眼鏡をかけた30半ばの女性店員が笑顔で話し掛けてきた。




「すみません。この指輪ここで3日前に買ったんですけど、返品できませんかね」






店員の笑顔が引きつるのが分かった。







「どのような事情で返品なさるんでしょうか。理由によっては代金をお戻し出来ない場合もございますが」



僕はもの怖じせずに言った。











「振られたんですよ!」







他の店員まで笑っているのが分かった。カップルで溢れた店内に静かな微笑みが広がっていった。





しかし、ここで引き下がっては7万円が戻ってこない。僕は恥ずかしいのを堪えた。店員は「苦情カード」なるものを用意すると、何やら青のボールペンで書き込み始めている。







「理由は何ですか」





僕は真面目に答えた。




「自分が引け目を感じていたというか、つり合いが取れていないと臆病だったからでしょうか」



「そういうことを聞いているんじゃないんですが」と店員は半笑いで答えた。





その時点で冷静さを失ってしまっていた。



「このような返品のケースは初めてですから、こちらで対処できかねますが。一応本社に問い合わせてみます」





それからの10分間、僕は店内の冷たい視線にさらされ続けた。やっと女性店員が店長らしき男性を連れて歩いてきた。






あと数分遅ければ、ナイーブな僕はガラス扉を突き破って外に走り出していたはずだ。









「申し訳ありませんが、今回のようなケースでは返品は認められないようです」





「でも僕は何も悪くないんですよ」






少し意地になっていた。






「ですが申し訳ありません。お客さまのケースは初めてですから」






「むしろ僕は被害者ですよ」






それでも食い下がる僕を、雅美さんは引きずって店の外に追い出した。






「こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてよ。大きさが合わないとか、形が気に入らなくなったとか適当な嘘を言えば良かったのよ」





雅美さんは本気で怒っていた。






「でも俺は振られたんだよ」








その夜、1人で飲んだビールは苦かった。酔っぱらった勢いで指輪は本明川に投げ捨てた。







でも何故振られたのか、このコラムを書きながら少し分かったような気がする。
なんていうか、いい男の代名詞って言ったら佐藤浩一ですよね。



 仕事で疲れたOLがいたら「ほら、もう帰れって」言いながら11時過ぎに会社に戻ってきて缶コーヒーを置いて、スーツの上を脱いで「じゃぁ、俺はここの見積もりからやりなおす」って。




 そしてやっと終わった3時過ぎ、「ほら、もう後は俺がやる」って煙草の山をつくりながら、、、、





 数日後に抱くのです、真由美ちゃんを。




 そんな話を彼女としていたら、佐藤浩一には、そんなに強い魅力を感じないとおっっしゃられた。




 「むしろ君の方がいいと」、、



 
 そして2人は激しく抱き合った。




 


 なんだか佐藤浩一さん、、、すみません。こんなポッチャリ君が勝った様で。




 (僕の考える大人のいい男、、仲村トオル、岩城浩一)

 有望株 長瀬と岡田
僕にとって広島での大学時代は、戸惑いの季節だった。


「おらぁ、ジャズをやるだ、、、」


デクスター・ゴードンの「アラウンド・ミッドナイト」や
ロバート・デニーロの「ニューヨーク・ニューヨーク」という映画を
高校の時に見て、なんとなく決めていた以外に具体的な目標などなかった。


決してプロを目指していたわけではなく、東京の大学に行きたくて
たまらなかったのに、行けなかったことと、
連絡をとるたびに「東京は凄い町ばい」という話をする同級生への
焦りと嫉妬から、



「何か凄いこと始めたい」と思った。それがジャズだった。


そんな不純な動機ですたい。
「マイルスさん、ジャンゴさん、サッチモさん」スミマセン。
この場を借りてお詫びいたします。


 


でもどうやって始めればいいんのかジャズ?



サッカーや野球とかみたいに、
「あぁ部活でしてたから、今度広場でしようぜ!」ってほど普及してないし、
音楽好きの女の子に「今夜、僕とジャムセッションしない?」って
もんじゃないし。



そこでタウン誌を手がかりに、ライブ情報を手がかりに
ジャズライブを見てまわった。最初に行ったのはサッカーサークルの先輩の
シコウさんから連れて行ってもらったジャズニーズってお店。
今ではソイルアンドヒンプセッションで世界を席捲してる丈青さんの
母上どのの、佐藤いよりさんが唄っていた。
あの頃の丈青さんはギター弾いてたような気がするなぁ。



とにかく初めて聞く生のJAZZはまぶしかった。
なんだか大人で、なんだか切なくて、
なんだか自分が映画の中のワンシーンに放り込まれたような気持ちになった。


 
「JAZZばい。かっこよかばい」何度も先輩とつぶやいた。



そしてその店で、ジャズをやりたい旨を後日告げると、
教えてくれたのが兄やんのサックス教室だった。
全く日本のジャズに無知だったぼくは、名前を言われても
全く分からなかった。


 
ビラの兄やんプロフィールにはこう書かれていた。


◇1945年10月18日、高知県生まれ。

◇25歳の時に小林マサル(b)のグループで大阪を中心にライブ活動を始め、
28歳で上京。以後、フレディー・ハバート(tp)、
ハンニンバル・M・ピーターソン(tp)、マル・ウォルドン(pf)、
アート・ブレイキー(ds)、山下洋輔(pf)、坂田明(as)、
小山彰太(ds)、ジョージ川口(ds)、池田芳夫(b)、日野皓正(tp)、
鈴木勲(b)、中村達也(ds)、KANKAWA(org)等、
国内外の数多くのミュージシャンと共演。

◇国際交流使節としての中村達也ユニットにおける海外コンサートツアーでの成果も高く評価される。


◇現在は広島のライブハウスを拠点とし精力的に活動中。




 それから日曜に閉店のスナックを利用して行われていた教室に飛び込んだ。「おお、さっき電話してきた奴ね」って兄やんは歓迎してくれた。
口ひげにサングラスの小柄な人だった。
いきなり自分のサックスを吹かせてくれた。
そして「いい音してんじゃん」って誉めてくれた。

 
 




 泣きたいくらい嬉しかった。



 そして余ったサックス貸してくれて、いきなり他の生徒さんにまぜて、
曲の練習に参加することになった。
兄やんは「この指とこの指の音使えるから」って。
「ほかはなんとか出来る」と。



いきなりセッションでアドリブだ。
自分の番が来たから、とにかく吹きまくった。
頭がクラクラするくらい、リズムに合わせて体をのた打ち回りながら。
「おお!元気がいいねぇ!!!!いけいけい!!!!」。


兄やんは言ってくれた。
「音には性格出る。生まれて最初に出した音は正直なのよ。忘れるなよ」




 「音楽は楽しいってこと」




 それから兄やんの教室に通いだした。
演奏されてるホームハウスのSOHOってお店に遊びに行くと
「うちの生徒」って皆さんに紹介していただいた。
色んな方から、お酒を奢っていただいた。
それから年に数回の教室の発表会にも参加させてもらった。



 発表会は兄やんの特別ライブと同時期に行われるから、
それはそれは凄いメンバーが飛び入りでサポートしてくれた。



 オラ、、、、ジャズライブ、、、、デビュー演奏、、、、



 小山彰太(ds)、池田芳夫(b)と日本の重鎮と一緒です。



 
 今ならその凄みに怖気づいて演奏したら失神しますが、
何も知らないもので、「いいね!いいね!ドラム」なんていいながら
枯葉を吹かせていただきました、、、、
次の時は、中村達也さんで、「おいらルパーンさんせーいっ」って
物真似しながらルパンのテーマを吹かせていただきました、、、
オラ、、、痛い。



でもニコニコと「このバカ野朗!!いいね!いいね!」っていう
兄やんの顔が見たくて。凄く見たくて。
兄やんに誉められるのが、たまらなく嬉しくて、、、




 気が付いたらJAZZが大好きになっていました。



そして飲みに連れて行ってくれると、自分の若い頃の話を
よくしてくれました。遅い年齢で楽器はじめたから苦労したことや、
好きなプレイヤーのことや、高知のこととか。



兄やんは20歳を超えて楽器を始めたから、クラシックとか吹奏楽してる人に最初は、まったく相手に太刀打ちできなかったけれど、
「プロ」から「一流」の間にある、
ほんの数センチだけど長いつまづきに直面したときに、
それまでトントン拍子で上手くなってきた人が挫折してやめていく中



「俺は今までもつまづいてきたから」と、
何年もかけて、その時期を乗り越えて、山下洋輔グループを作ったそうです。


 心に残っている言葉があります。



「理論なんか後からついてくる、もちろん大事なもんだけど。
でもな、それ以上に伝えたいもんがなきゃ。そして演奏を楽しむ気持ちね」


「最初に音出した時の気持ち忘れるなよ」





兄やんこと清水末寿さん。
僕はいまもサックス続けてます。
なにかと色々落ち込むことも多い毎日ですが、
音楽があるから、最悪だった時期も乗り越えられました。

SOHOで知り合った音楽仲間とは今も親しいです。
土岐は医者になり、斉藤良はプロのドラマーとして東京で頑張ってます。




  
僕は清水さんに多くのことを教わりましたが、30を越えて
その時に言っていただいた言葉の意味を実感しています。
正直、あの頃は分かりませんでした。
 


今も分かっているつもりになっているだけかもしれません。




ただ、今も変わらず音楽が大好きです。
そして、あの頃聞いていたジャズのレコード聞くとセツナクなります。
ただ、その気恥ずかしさを思い出すたびに、明日も今も頑張れます。