はじめまして。
ブログタイトルにもあるように、私は、昨年アルコール依存症の母と死別した娘です。
死別して1年が経とうとしていますが、今でも立ち直ることができず、もやもやした日々を送っています。
そんな中、同じアルコール依存症の家族を持つ方のブログや体験談を読むと、自分だけじゃないんだと、少し心が癒されるような気持ちになりました。
今もアルコール依存症を持つ家族がいて苦しんでいる人や、私と同じように死別してなお、辛い思いをしている方々と共感できればと思い、ブログを開設してみました。
また、今アルコール依存症をから回復したいと考えられている方にも届いたらいいなと思っています。
最初の記事ですが、母が亡くなったときのことを書きます。
※以下、辛くなる方がいるかもしれませんので、お気をつけください。
私は20代女性 社会人です。昨年の10月に母を亡くしました。母は、40代でした。
死因はアルコール性肝硬変を原因とした急性肝不全です。
母とは離れて住んでおり、電話でしか様子を伺えていませんでしたが、亡くなる10ヶ月前くらいから、母の話し方がなんかおかしいなと思っていました。
夕方や夜に電話すると、酔っ払ってるから、母に電話するのは朝にしていましたが、それでもすでにかなり酔っ払った時みたいな、呂律の回らないような話し方です。
今となれば、その時から結構限界だったのかなと思います。
そして夏、亡くなる3ヶ月前。
最後に母と顔を合わせて話すのは最後の日になってしまいましたが、その時も顔が土みたいに暗い色で、全体的に正気がないような感じでした。その日は私が就職後初めて、自分のお給料で母にご馳走をしたくて誘った日でした。
話し方もかぼそくて、自分の親なのになんかドキドキ、ざわざわするようなそんな、不穏な感じがしました。具合が悪そうなのに、それでも震える手でビールを飲んでいました。別れる時の小さな後ろ姿、今でも覚えています。
10月。私が最後に母と話したのは、亡くなる3日前、電話での会話でした。
震える声で、「歯茎からも血が出てる。もうやばいかなって思ってる」
私は本当に怖くなって、「早く病院に行ってっていってるじゃん!」と、ヒステリックに叫びました。
すると、母は震える声で、「わかってる。それでもあんたは医療職なの?」と。沈黙が流れ、「もう今日はしんどいから電話切るね」と言われ、切電しました。
これが最後の会話です。
次の日の夕方、母はやっと病院に行きました。「入院することになった」「検査するみたい」「また連絡するから」とLINEが来ました。
さらに次の日の午後には、親戚から、母は緊急輸血をすることになったこと、この2〜3日が山場であるらしいことを聞きました。
仕事中でしたが、お願いをして早退し、急いで止まる準備をして駅へ向かいました。
私はどんどん呼吸が浅くなり、過呼吸になりそうでした。口も乾き切っていました。
新幹線で向かう途中、病院から電話がかかって来ました。
母が吐血し、心臓が止まったから心臓マッサージをしている、と言われました。
病院に私がついたときには、心臓は動いてるけど、人工呼吸器でなんとか呼吸をしているだけの変わり果てた母がいました。
お腹は腹水でぱんぱんに膨れ、臨月の妊婦さんよりも大きなお腹でした。服の隙間からは大きなクモ状血管腫が見えました。
看護師さんや医師に、「お母さんに話しかけてあげてください」と言われたけど、もう母はここにはいないんじゃないか、と思いました。
母に触れるたびに、どんどん冷たくなっていって、「ああ、もう死ぬんだな」と思いました。
20時間後くらいにはあっけなく死にました。
この日から、ずっと、私は足場が無くなったような、ぐらぐらした不安定な気持ちで過ごしています。
母は私が物心ついた時からアルコールを異常に摂取していたので、嫌な思い出もいっぱいです。
母に対しては、愛しさと憎しみが混ざり合ったような感情をずっと持っていました。
理解をしてもらえる人、周りにおらず、辛いです。
何度も何度も、どこまで遡ったら、母を救うことができたのかなって考えてしまう。
いつか気持ちが晴れる日が来るのかな。