赤ちゃんがダウン症かどうか、告知されるタイミングはそれぞれですが

「生まれる前に分かっているケース」か
「生んでから分かるケース」があります。

私の場合は妊娠中に羊水検査で分かり出産をしたケースです。
それを周囲に伝えていても、要らない言葉が耳には入りました。

「検査でダウン症と分かっていて生んでいる」のにですよ。

大抵私って、ある程度の時期を過ぎると(かなり早い段階で)忘れてしまうのですが
これだけは忘れられない、という言葉があります。

妊娠11週(3か月)で胎児の異常を指摘され、
妊娠15週(4か月)で羊水検査を受け
妊娠17週(4か月)で赤ちゃんがダウン症と分かり
妊娠23週(6か月)で切迫早産になり入院し
妊娠35週(9か月)で早産で出産。

これが次男ソスケの出産の流れです。
これ、誰がみても分かる流れだと思います。

生みたいから、ダウン症と告知されても中絶せず
生みたいから、切迫早産の入院をしたんです。

これでも、生まれたときに言われた言葉


「おめでとう・・・・で、いいんですよね?」


これを私に言ってきた人がいます。しかも助産師。しかも大きい病院の。

真っ先に思い浮かんだ返事。

「あんた、バカなの?????????」でした。言わなかったけど。

私が切迫入院中、何度も会話を交わしていたし
私の担当助産師ではなかったけれどカルテは見ているはず。

私もチラっと覗いたことはあるのだけれど、書かれていたのは

「胎児21トリソミー(ダウン症)」
「さい帯(へその緒)不全」
「切迫早産」

そんなことが書かれていたと思います。

あれだけ何度も話をするくらい入院期間があった私に対して

「おめでとう・・・・で、いいんですよね?」

と、聞くこと。

どういうつもりなんだろう???

医学の知識がなくたって、「望んで出産していること」は誰でも分かるはず。
あ。それも分からないのかなぁ?もしかして(笑

出産の現場に立ち会う「助産師」という立場で、その不用意な語彙発するということ。
どういうつもりなんだろう??

さすがに「バカなの?」とは言えないので
「あ。。。はい。。。」くらいで返事は終わらせたけれど

あれから2年ちょっとたっても、やっぱり納得いかない対応だったと思います。

まだ、私は、「知ってて生んでる=欲しくて生んでる」ということを、理解してくれている周りが多かったので基本的には「おめでとう!」と言ってもらえました。

が。
多いのは「生んでからダウン症と分かるケース」

たしかに800人~1000人に1人の障害だし、
産科医・看護師・助産師だからってそういうケースに慣れているワケではないとは思う。

思うんだけど・・・・

生んですぐ不安な妊婦さんに寄り添うのは、
産科医・産科の看護師・産科の助産師なのは間違いないのですよ。

それを数日だからって見過ごす人もいるのは知ってます。
どうやって対応したらいいか分からないから、かもしれない。
でも、どうやって対応したらいいか分からないからって

「何もしなくっていいのですか???????」

ってこと。

自分が知っている事例、自分が経験したことじゃないと

「寄り添えませんか????」

それは産科医・産科の看護師・産科の助産師の

「仕事の中にはないことだからですか???」

あ。それとも、「そもそも寄り添う」って気持ちがないのかなぁ。

たくさんの疑問が頭に浮かびます。


腫物のように接したり、暴言吐いたりと、私の耳にはよく入ってきます。
それは辞めて欲しいという気持ちも込めて「わが子がダウン症と告知された87人の声」を作りました。
私たちの色んなケースはあるけれど、みんなが思っていることは共通しているんです。

一番不安な出産した母に、さらに不安になるような対応はしないで!ってこと。
分からないなりにも寄り添ってくれたら、それが前を向くきっかけになる、ということ。

私は妊娠中にソスケがダウン症と分かっていました。
産むまでに不安もたくさんありました。
でも、知っていたことで心の準備も少なからずできていました。
だからと言って、覚悟したとはまた別ですが。

その状態だったからこそ、助産師の心ない

「おめでとう・・・で、いいんですよね?」

この言葉も、当時、流せました。や、実は全然流せてないけど。

よく聞くのがこれ。
生まれてから赤ちゃんがダウン症と分かったお母さんに
(厳密にはすぐわかるわけではないので、ダウン症の疑い・・ですが)


「検査しなかったんですね・・・」


これってどういう意味だろう???

どうもこうも、

「検査しなかったから、ダウン症の子なんか産んじゃったね~」

ってことしか、私は捉えられないのだけれど、
他の意味ってあるのかなぁ。

もー、それってはなから

「ダウン症の子」=マイナスイメージ

で接してるってことじゃないかぁ。

じゃあ、本当の意味で、そういう言葉を吐く人が「ダウン症をもつ子」のこと知っているかって言ったら、知らないのが現実と思うんですが、どうだろう???

検査の話になると、よく、「いのちの選択」だの「いのちの重さ」なんて言葉があるけれど
そんなことより

出産に立ち会う人が、そんな知識でいいのか?????って話です。

健常で、望んだ性別じゃないと「おめでとう」じゃないの??
障害があったら「残念な子」なの???

いのちが、いのちが、言うのなら
生まれた子のいのちは“平等”ということ、
出産の現場にいる人が、思いの根底に持っていなくちゃいけないんじゃないの??

それとも、障害のある子は“要らない子”なのでしょうか?

それを決めるのは、家庭であって
ただの出産にかかわる程度の人間が決めることじゃない。

うちのソスケはダウン症という事実を持っています。

“我が家にとっては、大事ないのち。大事な子供。”

だけれど、

どこかでダウン症をもつ子がいる家庭にとっては、そうでないこともあることは知っています。

でも、それを決めるのは“家庭”と言う環境であって、他人ではない。
生んで退院してからは関わることのない立場の医療従事者ではない。

障害のある子を産んですぐ、「可愛い」と思うことはあっても「嬉しい!」と思う人はいないと思う。

それくらいの当たり前の状況の中で、錯乱している、不安でいっぱいの母にとって“頼りにしている相手”(産科医・産科の助産師・産科の看護師)が

その後を決定づける言葉を吐くべきではない。
しかも、たいした知識もないくせに!

全員ではないけれど、
障害のある子が“どうやって育っていくか”
障害のある子の家庭が“どうやって過ごしているか”

そんなことも知らないくせに、知ろうともしないくせに

障害に対してなんて教科書の2行程度の知識と、あとは自分が勝手に思っているイメージだけで
人(家庭)の今後を左右してしまう一言を吐いてはいけないのです。


まぁ、そういうことを軽々しく言う人は、そこまで発言に威力や責任があるとは思ってないのでしょうけどね(笑

早い段階で赤ちゃんの状態が(大体)分かる、新型出生前診断ができて
余計に“検査が簡単にできる”状態になった今だからこそ、

その検査がどうこう言う前に、
それに付随する今言ったような問題も出てくるのだから

まずはそこを!まずはそこくらい!

どうにかしてもらいたいものだと思いました。

いのちが、医療が、そんな難しいことじゃなくて

「言われたら嫌だと思うことは言わない」

こんなの、幼稚園児で習うこと。
大人が分からなくてどーするの。

悲しみに暮れてる不安な人に、追い打ちかけて、どーするの。
他人だからこそ、冷静な目を持てるからこそ、

「あなたの赤ちゃん、可愛いですね」

という、当たり前のことを伝えなくて、どーするの。


いつもに増して文章がまとまらないけど
こういうこと、本当に心からなくなってほしいと思います。

どうしたらいいだろう???
考えてみよう。

「なくなって欲しいと願う」

なんて、願ったところで、絶対になくならないからね。




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