この3日間は思いの外疲れました。

2017年3月22日 午前10時1分

父 一成が他界しました。享年81歳

3/30の誕生日を迎えることなく79歳で逝きました。

 

今の気持ち、父のこと少し残しておきたいので書こうと思います。

長く、面白くない話と思うので、興味のない方はここでスルーしてくださいね。

 

 

昨年の6月父の日に脳梗塞で倒れ、救急車で国立循環器病センターに搬送されました。

心臓の血栓が飛んで起こった脳梗塞で右脳に中程度のダメージがありました。

SCUという脳梗塞や脳卒中専門のICUに入ることができ

担当の園田先生が患者家族の心に寄り添って治療をしてくださいました。

父は搬入当初「軽い脳梗塞や、心配すんな」と言っていましたが

左半身が動かなくなりました。

 

母は小さい頃から病気がちで、数年前にくも膜下出血や髄膜炎など起こしていたので

気にかけてはいたのですが、寝込んだことのない父は丈夫でこんなことになるとは

父自身も家族も思ってもいませんでした。

 

亡き母方の祖母が会社を経営してて金曜日まで仕事をし、月曜日にぽっくり86歳で亡くなったので、自分もぽっくり75歳で逝くんだと言ってました。

冗談で「75過ぎたで〜いつ逝くのん(笑)」などと話していました。

 

父は仕事が好きで定年後も自分の会社を作り仕事をしていました。

酒も強く大好きで、仕事柄よく酒を飲んでいました。

普段はあまり会話の得意な方ではなく、酒を飲むとやたら喋りましたが

自慢話と愚痴のオンパレードでムカつくこともしょっちゅうでした。

飲まな喋られへんのか、というタイプでした。

 

父の仕事は用地買収だったので、時々危険な目にもあったようで

テーブルに包丁を突き立てられた時は

「今日は家に帰れんかも」と思ったこともあったそう。

 

うちは恋愛結婚ではなく亡き祖母が父と結婚しなさいと連れてきた人でした。

故に母は特別父を大好きだったわけではなかったのでしょうが

9歳も年下の20歳の女の子を父はとても愛おしく思っていたようでした。

倒れてからも実家に一人で住んでいた母を「あの子が寂しくて可哀想」と言いました。

当の母は一人っ子の鍵っ子で育ったので、気楽な面もあったようですが。。(笑)

 

SCUを退院し、千里リハビリテーション病院に転院しました。

こちらでは沢山のリハビリの先生に親切にしていただきましたが

負けず嫌いで仕事しかできなかった父は動かない自分の身体をなかなか受け入れることは難しかったように思います。

壊れた脳のせいなのか、そうしないと心が潰れそうだったのか

夢か妄想か現実か、分からない事を言い出すようになります。

「そこの背広を取ってくれ」「カバンに書類入ってる。」「昨日打ち合わせ行ってきた」

そうか、そうかというしか、もうありませんでした。

 

私も家から遠く、2週間に1度くらいしかお見舞いに行けませんでしたが

行くと「お前車か?俺も乗して帰ってくれ、もうすぐ終わるから」と言いました。

一度「なんで連れて帰ってくれへんねん」と言って泣かれました。

その時は身を引きちぎられる思いでそっといなくなったのでした。

ごめんね、うち車椅子入れないし半身動かない身体を私らではお世話できないんだよ。

 

リハビリのかいもあって少しは立ったり、介助付きでトイレに行けるようになったり、

食事も誤嚥しないものを食べれるようにはなったのですが

これ以上の回復は見込めないとのことから今年老健に転院になりました。

 

老健は全然違いました。

もののような扱いでした。

ここが悪いというわけではないのかもしれないですが

父の自尊心はどんどん傷つけられていったように思います。

「なんでこんなことになったんや」なんども言いました。

連れて帰ってあげたい、でもできない。

あんなに家族のために一生懸命働いてきた人だったのに

十分なことがしてあげられず、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

ごめんねお父さん。。

 

私は信じていました。

お父さんが今の自分に出来ることを自覚し、

こうなった自分も受け入れ、違う価値観で生きようと思ってくれたら

もう少し気持ちも楽に、まだまだ楽しいことができると。

「もうずっと頑張ったんやし、遊んだらいいやん。楽していいねんで。」

って言ったけど、父は今まで通り仕事をし、みんなの面倒をみ

美味しいものをご馳走したかったのです。

「トランプしようよ!」「しりとりしよう」

遊んで少しでも脳を使ってもらおうと思っても

「そんなことしたない」と早々にやめてしまいました。。

 

3月初めお見舞いに行ったら老健はインフルエンザ予防のためお見舞い禁止になってました。

洗濯物を取るのだけはいいってなってたので、とる洗濯物はないけど

知らんふりしてお見舞いをしました。

だって1時間かけて会いに行ってるのにそのまま帰れません。

 

握りしめてむくんで開きにくい左手をマッサージし、伸ばしてあげました。

左手もきっと動く、脳は無限だ!諦めたら負けだ!

「お父さん、負けず嫌いが長所やんか!頑張り!」

このところ頑張れが禁句みたいな風潮がありましたが

私、最近頑張れって言った方がいいと思い始めていたところでした。

「頑張れ」はできると信じているから言える言葉でもあるんです。

 

倒れてから9ヶ月。

私は長い介護を覚悟していました。

だから頑張りすぎず自分の出来る範囲でゆっくり父と付き合っていこうと。

でももう父には限界だったのでしょうね。

これ以上家族に迷惑をかけ続けたくなかったのではないでしょうか。

3/19日曜日、弟と母がお見舞いに行った時

「ほらちゃんと飲み込んで。これもよくなるために頑張ってね。」

その時は数日後に突然亡くなるとは思わなかったそうです。

 

週が開けて少し体調を崩していた父の診察を医師がしていたら

父の呼吸が突然おかしくなり心筋梗塞で医師に看取られ亡くなったそうです。

私はのんきにWBCを見ていたら弟からメッセンジャーで亡くなった通知がきました。

 

安らかな顔でした。

生きとし生けるもの、いつかは死ぬのですから、

苦しまずに逝けるならその時を逃さない方が

幸せだと私は思っています。

父のその日があの日だったのでしょう。

長い介護を覚悟をしていたのでびっくりしましたが、よかったなとも思っています。

いや、よかったなの方が大きいかもしれません。

父にとって現実は辛かったから。

 

退職してから10年以上経っていたので

勤めていた会社の方もそんなに来られないだろうと

親しくしていた方だけにご連絡をし、伝えるか否かはお任せしました。

父の仕事関係と私の前の仕事関係は同じだったので

存じ上げてる方も多いのですが、思ってもいない方が来てくださったり

何より、棺の前で涙を流し、

「ほんとお世話になったんですよ。。ご連絡しようと思いながら、、

こんなことになるなんて、、残念です。」

と言って懐かしそうに遺影を眺めてくださる方が沢山居たのが娘として嬉しかったです。

こじんまりとした葬儀しかしてあげられなかったけど

本当に父に思いのある方が足を運んで見送って下さったことを誇りに思いました。

お父さん、やるじゃん。

 

父は仕事が好きで、同僚や部下に気を配り世話をしていたようです。

そんなところ亡くなった祖母と似ていて、祖母はそんなところを気に入って

娘の面倒を任せたかったのかなと思いました。

祖母は父より酒飲みでしたしね(笑)

でもその酒は二人にとって仕事以上に人と人とをつなぐ

コミュニケーションツールであったように

父と祖母の遺伝子を受け継いだ酒飲みの私も

酒を通していま沢山の人と楽しい日々を過ごせています。

健康には注意しながらこれからも大好きな人たちと美味しい酒を酌み交わし

音楽を奏で、なんてことない日々を大切に味わって生きていこうと思います。

 

お父さん、お疲れ様。ありがとう。

もう大丈夫やで。

心配せんとおばあちゃんと美味しい酒のみや。

 

 

2017年3月25日 お供えの土佐鶴を飲みながら

うーん、写真の向きが変えれなーい(笑)

 

 

PS.

父がうなぎ好きやって言ったら会館の人が朝からうな重を作ってくれました。

棺にうな重入りました!(笑)なかなか珍しい棺!

特別なウィスキーと日本酒も入れてあげました。

お花もみんながいっぱい入れてくれて花だらけでした。

 

 

 

 

 

 

昨日はベビーぼっさのパーカッション、ミウラ1号が参加した
Bong Ho Kim ダンスワークショップ&パフォーマンス」に行ってきました。

即興のダンスパフォーマンスは夜。
昼はダンスのワークショップ。
ワークショップに参加してみたいとは思ったのですが
どんなものか全くわからないので、ひとまず見学させて頂くことに。。。


昨日やってたのは「スモールバランス」コンタクト・インプロビゼーション。
2人1組で相手の身体に触れて身体を動かしていくのですが「聴く」のです。
ウマく説明出来てるか分かりませんが、
身体の声?身体の行方を感じ取って触れあって動いていくのです。
転がる、乗っかる、頭をくっつける、手を合わせる、、、
バランスをとって、崩して、またバランスをとって、崩して、、
絶妙のバランスが取れた時はちょっとだけそれを楽しみ、
また次ぎへと転がしていく。。
この系のダンスを映像でみた時は何故その動きなのかよく分からなかったのですが
実際に説明を聞いてから見てみると、その動きはすごく自然なものでした。
身体の隅々にまで意識が充満しているのに、なめらかでしなやか。

ワークの最後に人が入れ替わって踊っていくものがありました。
ソロのダンスから始まり、そこに1人入り、そして3人目が入ると1人目が出て行く。
組み合わせによって色んな動きに変化していきます。
空間に色んなカタチが出来ていきます。
フロア全てがステージでその上に居る間中はすべて「ダンス」でなくては行けません。
かかわり合う関係、関わりそうですり抜けていく関係、
関わらずに居る事で関わる関係、
アプローチも様々、エンディングも様々。
まるでそこは1つの村で、人々の暮らしをみるようでもありました。

ワークショップとはいうものの、
昨日はダンサー率が高かったようで
ホントレベルの高いパフォーマンスでした。

ボンホさんが軽く誘って下さったけど
見入っていたので腰がすぐに上がりませんでした。
やっぱり裸足で来ればよかったなぁ、
音楽なら入れたのに。
いや、次は参加したいな。


昼間にあがった期待値を持って夜のパフォーマンスへ。



ミウラ1号の基地(笑)
パフォーマーとの息ピッタリに空間を作っていきます。
ぐっじょぶぅ~。


5人のダンサーがパフォーマンスを繰り広げます。
ワークショップの時にも思いましたが
人との関わりで様をかえていくのが面白く何分でもみていられます。

それは時に音楽以上にメロディーを奏で、
絵画以上に風景を描き、
映画以上に人の心を表します。


パフォーマンスが終わってからボンホさんと少しコミュニケーションが取れました。
笑顔のステキな彼に、私は手をくにゃくにゃ動かして聞きました。
「これもダンス?」
すると彼が言いました。

「うん。あなたがダンスだと思って踊っていればそれはダンス。」

「ボクが踊ってもボクがダンスと思っていなければ、それはダンスじゃない。」

私の歌に感じる思いと共通する部分があります。
とても近いと思いました。

歌もダンスも武器を持たない芸術です。
インストには楽器という武器。
華道家には華という武器。
フォトグラファーにはカメラという武器。
書道家なら筆という武器。。。。。

歌とダンスには持ち物がありません。
まんま、自分自身のみ。
すごく近いです。
身体の中をエネルギーが流れていく感じ。
呼吸。丹田意識と似たもの。リズムの感じ方。
直線と曲線。情熱と冷静。調和と分離。。。。

ダンスを見ていて、ふと感じました。


やさしさとは 強さなり
強さとは しなやかさなり
しなやかであることは とてもやさしいこと


Bong Ho Kimさんはまた秋に来られる予定らしいです。



今日はおばあちゃんの13回忌でした。

もうそんなに経つんやなぁ、、と思います。



お寺でお坊さんと一緒に般若心境を読みました。

「色々思い出されることもあるでしょう。」

お経を一緒に唱えていると涙が出てきました。

ちょっと心のお洗濯的な感じです。



ずっと小さい頃から可愛がってもらって

なんど「ありがとう」と伝えただろうか。

身内に感謝するって言うのは案外難しい。

当時はありがとうよりもしんどかったかもしれん。



おばあちゃんから離れたくて東京に行った。

自分の事なんにも知らん人のとこに行きたかった。

おばあちゃんと居たら何をしても自分の力とは思えんかった。

おばあちゃんのこと知らん人に認めて欲しかった。



おばあちゃんは隔世遺伝と喜んでいたけれど

大人になるほど私は一概にそうとは思えず

期待されたほどには何も出来なかった事を

今日はすいませんと謝って

ちょっと呪縛をといた。

さようなら、ありがとう。

もうえええよな、12年も経ったんやしな、

ごめんなさい。

でもって、涙が出たのですよ。