「子無しの女は、かたわだ。きっとあんたは子供を持てない。」幼いころから呪いのように言われ続けた、毒母育ちアダルトチルドレンの初育児ブログです。
私が小5のとき、朝食の席で突然、「あんた達にはお姉さんがもう2人います」とカミングアウトされました。私たちの実父との結婚は再婚(この実父とは途中離婚し、しばらくしてまた再婚したそうなので実際は2回目・3回目)で、二十歳そこそこで1回目の結婚をしていたことがあったと。2人がまだ未就園児のとき離婚し、親権は父親へ。主に姑さんがお世話をしていたんだそう。毒母がこの長女次女に関連するエピソードを話したことは、2回。「○○(長女)が生まれたとき、私が○○と名付けた。そしたら舅が、『○○子』にしろ、『子』をつけろって主張してさ、そんな古臭いの絶対イヤだって突っぱねたの。そしたら私が離婚したあと、そいつが児童への性加害で逮捕されたんだって!ざまぁ見ろと思ったね。あんな奴の言うこと聞かなくて良かったって思ったさ」当時中学生だった私は、鳥肌が立ちました。そこじゃないでしょう…性加害の被害者は娘じゃないの?そんな舅のいる家に娘たちを置いてきたことは恐怖じゃないの?娘たちの心身は、心配じゃないの?その後どういった経緯か、この姉たちと毒母がつながったそう。上の姉は20代半ばでバツイチになっており、3歳の娘を連れて私たちの家に遊びにきたことがありました。その後、ALTとして来日していた外国人男性と結婚し、移住して子供を出産したことを、フェイスブックにあげていました。フェイスブックを見ていた毒母、「○○(姉の名)の養母のページがあるんだけどね、カメラ目線で、カメラをジッとにらみつけた写真がプロフィール画像なの。これ、私への挑戦状だと思う。私をにらんでるんだぞって言いたいんだと思う。」私が記憶している限り、エピソードはこの2つ。「子なし女はかたわだ、独身女はワケアリ。」好き好んでよく言っていたこのフレーズ。親として以前に、あなたは人として欠けてるよって思います。
産後、食器を割ってしまうことが増えました。寝不足で、手に力が入らないのか?集中力がないのか?先日も、ガラス哺乳瓶をぶんぶん振って水けを切っていたら手が滑って吹っ飛び、シンクにあった食器に当たってまっぷたつ。夫と選んだお気に入りだったのに…小学校低学年のころ、スナックに働きに出ていた毒母の負担を減らそうと、よく食器洗いをしていました。。でもそこはそれ、子供のやることですから、割ってしまうことが多々あり、2日連続で割ってしまったことも…割ってしまったときの絶望感といったら…夜中に毒母が帰ってくるまでの数時間、泣いて過ごしました。報告を受けてキレて怒鳴る毒母、しまいには「ねぇ、本当のこと言ってごらんよ。あんたわざとでしょ?気に入らないことがあったんでしょ。」半笑いで問い詰める。わざとじゃない、本当に手が滑ったと言っても信じない。「じゃあなに、超能力か?」これが気に入ったようで、その後は「出た出た、超能力~!」→怒鳴る→「本当のことを言え」→「超能力か~!」これが定着化。あるとき、洗っていたお茶碗を取り落として急須のフタにあたり、フタのつまみだけぽろりと取れてしまったことがありました。その後数年間、事あるごとに「ねぇ、本当はわざとだったんでしょ?おかしいじゃん、つまみのとこだけ上手く折れるなんてさ。」半笑いで言われ続けました。スーパーなんかで急須が売られているのを見つけたときには一発アウト、ほじり返されました。それでもようやく言われなくなって数年、中学生のとき、取っ手のつまみが陶製になっている引き出しを開けたら、ぽろりとつまみが折れました。長らく使っていたので、小さなヒビでも入っていたんでしょうね。怒られる。怒られる。怒られる。急須のフタのことをやっと言われなくなったのに!動悸がしました。恐怖に震え、とっさにその断面に指を押し付け、両手指に数か所切り傷を作りました。ケガをしていたら、多少は怒りがやわらぐと思ったので。結果、たまたま機嫌が良かったようで全く怒られませんでした。「そんなに手ぇ切れるか?」とはいぶかしげに言われましたけど。たまには鋭いこと言うんだなってぼんやりと思いましたね。高校生くらいだったでしょうか。物理か何かの授業で、先生が「外部に突出した部分は壊れやすい」とおっしゃるのを聞いたとき、積年の思いが晴れるような気がしました。(毒母にはもちろん言いませんでしたよ)自分で買ったものだから、自分が壊しても諦めがつく。誰に責められることなく、決断、責任、金銭面、全て自己完結。大人で良かった。起き出してきて、「大丈夫?ケガはない?」と聞いてくれた夫。割れた酒器を片付けながら、私はいま何て幸せなんだろうって思いました。
うちはPigeonのぴゅあを使っています。さきほど詰め替え中に、落としてしまいました…400mlたっぷりと。床に広がる惨状を眺めながらしばし呆然。もったいない、よりも、これを片付けることの方に呆然。これを写真にしたらお題は「悲劇」だななんて考えながら拭き始めましたが…抱っこを求めて泣き始める息子…拭けども拭けども落ちないぬるぬる…先にやってしまわないと、しみ込んだら厄介なので泣く息子を放置しながらひたすら拭き続けました。終わらぬぬるぬる、ギャン泣きの声……追い詰められる感じというか、逃げ場のなさ。私はまだ、はいはいも歩きもしない一児しか育てていませんが、「ファミサポ…育児支援…助産師訪問…そういうのじゃなくて、今すぐに!いま!いま!!IMA!!!この瞬間!!!人手が欲しいーーーーー!!!」って思いながら片付けました。育児ってきっと、前もって分かっている(ファミサポ依頼できる)ことよりもこういう瞬間の方が圧倒的に多数で、圧倒的にストレス溜まるんでしょうね。ぬるぬる拭きながらの泣き声のあのわずか10分足らずの間にかかる一点集中型追い詰められ感、なかなかのものです。息子はしばらく抱っこしたら落ち着きました。床が乾いたら、ぬるぬるチェックに行かねば油なんかよりずっとマシか…
結婚式を終えてちょうど1年後、私は苛烈なつわりに苦しんでいました。そんなとき、同じ日・同じ時間帯に姉と毒母と全く同じラインが来たんです。万全の体調でだって最悪なのに、こんなときになんて最悪の極み、嫌悪感MAX。左毒母、右姉。一緒の文面。この時点で気持ち悪いんですが。つわりで気分悪すぎて、既読スルーしていました。姉はこの後、なぜか16日のメッセージを削除し、19日に改めて連絡してきました。2人に同時に返信したところ、2人とも即既読、姉から電話がかかってきました。:姉 :私 :妹 :私の夫でお送りします。「久しぶり…。あれから1年経って、本当にあれで良かったのか?本当は何が起きていたのか、真実を知らなくちゃいけないと思うようになったの。そこでに聞こうと思って、ママと一緒にに電話したんだ。」この時点でナゾ。ナゼ妹?いい年した大人が、自分の目で見たものを信じずに他者の意見で信じる?「あぁ、うん…」「私は一度しか君に会っていないし、優しそうに見えたけどDVやら発達障害やらってママが言うからどんな人なのか分からなくなってしまって…。あのとき、家族ラインがあれよあれよという間に動いて、何が起きてるのかわけ分からなくなっちゃったの~!(ここで突如号泣)それで、どうして良いのかわからなくなっちゃったの~~~~」「そうか…」「で、にてどんな人?って聞いたら、『穏やかで優しい人、DVなんてとんでもない!』って言うから、ママと2人でそれ聞いて、あぁそうだったのか~ってなったの。で、これはKrinに連絡しなくちゃってなったの。Krinは私たちの結婚式来てくれたのに、私たちは行けなくてごめんね…Krinは、私達とも関係を絶ちたい…?」「正直あの騒ぎのとき、近くにいながら毒母の暴走に沈黙を続けたことには、思うところがある。でも、毒母のせいで私達の仲までおかしくなるのは本意じゃない。」「ありがとう…、今夫もいて、夫もちょっと話したいって言うんだけど代わるね。」義兄「もしもし、Krinちゃんお久しぶりです。結婚式行けなくてごめんね。僕も何もできなくてごめんね。」しばらく話して切りました。愛玩子、35歳。平たく言ったらマザコンでしょうか。ママに聞いてみるね、が口癖です。この後、姉の誕生日におめでとうラインを送ったら、ありがとうと返してくれましたが。私の誕生日はスルーだったので、今年は姉の誕生日にも何も送りませんでした。姉にあぁは言ったものの…どうしても背後に毒母がちらつくので、関わりたくないのが本音です。この電話だって、毒母に言われてのことでしょうしね。姉は哀れでもあり愚かでもありますが、姉がいてくれて良かったと思います。いなかったら、私と妹にその分のエネルギーが向けられていたかもしれません。
番外編です。結婚式に、妹一家だけは出席してくれました。ただ、あの毒母が黙って妹の参席を見送るはずがないのではとも思っていました。妹に問うても大丈夫としか答えませんでしたが…最近になって、妹は「実は、出席するならあんたの一家とも今まで通り付き合うことはできないと言われていた。自分もしばらく連絡していなかった。」と教えてくれました。そのラインを見せてもらったところ、 :妹 :私の夫「Krinはオカしくなってしまった。に洗脳されていて、今は何を言っても聞かない。Krinの結婚式に行くのなら、残念だけれども一家とも今まで通りの付き合いをすることはできない。」と。私の結婚式を、妹の踏み絵にした。怒り心頭でした。やることが親としてあまりに未熟です。「私の嫌いなあの子と遊ぶなら、あたしはもう●●ちゃんと遊んであーげないっ!」幼稚園時のこれと、どこが違うのでしょう。たくさん謝りました。妹は、「いーのいーの、私だって家族ラインでのあの、自分だけが気持ちいい自慰ラインにうんざりしてたんだから!」と笑ってくれましたが…結局その後毒母と姉から連絡あり、今はやり取りが再開したようです。内心思うところはありながらも、上手に距離は保ちながら付き合い、甥っ子たちを連れて帰省もしたそう。妹は毒母が「嫁に出した娘の子だからあっちの家の孫、自分の孫とは思わない」「今は女の子産むのが勝ち組、私は女しか産んだことないから今で言う勝ち組」などと言っていたことは知らない。一度、義弟と一緒に「親が死んだら後悔すると思う、もう一度やり直さないか」と取り持とうとしてくれたことがありましたが、「縁を切られて、今が一番幸せだから」と心苦しく思いながらも断りました。毒母。「母親と縁を切る!」「娘と縁を切る!」「私の肩を持たないんなら縁を切る!」って切って回って。5人娘産んで、残ったのは1人。友達は一人もいない。親戚付き合い皆無。「子どものいない女はかたわだ、独身女はワケアリ」そう豪語してはばからなかった「既婚子持ち女」。死んでも葬式には行きたくない。夫は「それは許されないよ…」と良い顔をしないので、夫への体面のためには行かざるを得ないのかなと諦めてもいますが。娘の冠婚葬祭に来なかったからには、娘だってお前の冠婚葬祭に来ないことくらい覚悟しとけ。これが本心ですね。でもそれでは、「娘の結婚式に出なかった親に、親の葬式に出なかった娘」。同じ土俵に乗るくらいなら、出た方がマシなんでしょうか。親が死んで泣ける人が、心底羨ましい。
『親のいない結婚式~前編~』※ブログ作成中のプレビュー機能を初めて知りました!今まで、作成ページ上で改行や段そろえたりしていたのですが、完成ページでは行、マスがめちゃくちゃに…読みづらか…ameblo.jp続きです。毒母って「そんなこと言ってない」平気で言うので、証拠に文字に残す&他者の目に触れたほうが良いと思い、これらは全て家族ラインでやり取りしていました。その間、継父・姉沈黙…妹だけが、「ん?どゆこと?ママたち車で来るの?キツイよ~」などとさりげなく援護してくれていました。こちらも冷静に、「ううん、姉に着物着るななんて言ってないよ。」など説いてももちろん通じません。毎日毎日、数十件の追撃ライン、気がおかしくなりそうでした。とにかく、通じない。電話して、思う存分毒を吐かせてなだめて落ち着かせようと試みて2時間近い長電話に耐え、多少機嫌を持ち直しても翌朝にはまた、「自慢じゃないが私はあんた達の父親とはハワイで挙式したから要領は分かってる。教会は西洋のしきたり、そこに和を持ち込んではいけない」などと10件以上のライン通知。私は体調を崩して発熱し、3キロ痩せました。揉めに揉めに揉めた。というより毒母が放毒、一人怒り狂っていた。義母に事情を伝えると、義母は良識派の方なので、「こんな親御さんがいるだなんて聞いたこともない…もう一度、『すみません、服装もご自由に、車でも当日着でも何でも良いから来てもらえませんか』ってもう一度だけ、聞いてみたらどうかな。娘の結婚式に来たがらない親なんて、いないだろうから。お父さんが生きていたら飛行機飛び乗ってあちらのお宅まで行って、『うちの息子のどこがDVなんでしょうか。どこが問題だとおっしゃるんでしょうか』って聞きに行ってたと思う。」と疲れきったお顔でおっしゃいました。息子を不当に悪しざまに言われたら、当然のことです。私も息子を育てている今、将来息子がそんなことを相手の親が言おうものなら、結婚そのものをとめたくもなろうと思います。私たちは入籍してしまっていたので、そういうわけにもいかなかったのですが…。上記毒母に送りました。返事がこれです。※一つ目の伏せ字は夫の姓、二つ目の伏せ字は私の名。お分かりいただけるだろうかこの支離滅裂感…(2回目)これ個人ラインでしたが、この後私は家族ラインで決別ラインを送りました。何時間もかけてワードで作成・推敲して、ずーーーーっと我慢していた胸のうちをぶちまけた。で、クソほど無意味だった毒母専用オナニーラインの家族ラインを退出しました。最高にすがすがしかった!!…って、今なら言えますけど、情けないことに当時は怖くて怖くて…退出した後、すぐさまスマホの電源を切って過ごしました。鬼電とか怖かったので。やっぱりまだ、毒母の影響下にあったんですよね。私は嬉しかったです。この返信見て、本当に本当に嬉しかった。体裁として、「毒母から私を見限った」形になったからです。この言葉が欲しかった。私が「もう無理縁切る!」などと絶縁宣言したところで、まともに取らないからです。「悪霊が乗り移った云々」てね。追いかけてくると思うんです。でもあちらから切られた形になった。これで、や・・・・っと自由だ。もう、数十件のライン通知におびえることもない。超長文スクロールの自分語り自慰ラインに付き合わなくていい。超長文スクロールの、悪口ラインに付き合わなくていい。もう、話の通じない人と話さなくて良い!ご機嫌とらなくて良い!丸一日経って電源入れたとき、静かなもんでした。何の履歴もなかったんです。着信も、ラインも。姉から継父からさえ、何もなかった。右ならえで毒母に従ったんです。こうして全て終わりました。ちなみに毒母が妹に話したところによると、この後毒母は私とのトークルームを削除したよう。それで私の方のトーク履歴も全部消せたと思っているらしい。夫と共に義母に現状報告したところ、招待状を出さないことを認めて下さいました。親戚の手前上、「母親の体調不良で姉夫婦もお世話のために来られない」で貫き、結婚式決行。とても楽しかったです。この人と一緒になれて良かった、結婚式して良かったと思いました。でも性根のまっすぐな義母が、「親戚に嘘をつくのが辛い…」とこぼしているのが、胸が痛いです。
※ブログ作成中のプレビュー機能を初めて知りました!今まで、作成ページ上で改行や段そろえたりしていたのですが、完成ページでは行、マスがめちゃくちゃに…読みづらかったことと思います。申し訳ありませんでした。こんなでもいつもお読みくださっていた方々に心より感謝いたします。今日は、プレビュー見ながら合わせたつもりですが、いかがでしょうか…難しいですね毒母と絶縁に至った経緯です。私はもともと結婚式を挙げる気はいっさいありませんでした。お金のかかる茶番くらいにしか思っていなかったので。が、知らぬ間にインスタで「挙式料無料キャンペーン」に応募していた義母。当選したとのことから、挙げることになった流れでした。夫は本当は挙式したい気持ちがあったそうで…それを汲んでのことだったのかなとも思っています。毒母に結婚式を挙げることになった旨伝えたところ、「いいじゃんいいじゃん!教会なら、洋装ね!黒い、帽子とセットのドレスワンピースがあるからそれにするわ!お姉ちゃんは辻が花の訪問着かな♪品が良くて素敵よねぇ♪ベンツのキャンピングカー借りたから、お姉ちゃん夫婦と4人で交代で運転して行くわ!前日の夜出発して、挙式当日の朝に到着予定よ。休みなしで交代で運転すれば16時間くらいかな。滞在中は、お風呂はそっちで使わせてもらって夜はこのキャンピングカーで寝るわ!到着前に、車内でお姉ちゃんに着付けする!」と、前半はともかくとしても後半のトンデモ旅程を聞かされ仰天。九州人なら分かる、絶対間に合わない旅程…。しかもGW…。ていうか義兄、九州人なら分かるよね、間に合わないとアドバイスせい…!!(義兄は姉にべったり。毒母にべったりの姉には、否と言わない自我の無い人)そこで、①(毒母は着物好きで、黒留袖も特注で作って持っていたので。)義母も黒留袖を一緒に着たいと希望している。花嫁花婿の親は通常黒留袖だから、遠方で荷物になって悪いができたら黒留袖を着てほしい。姉は着物でなくても、ワンピースなど楽なものを選んでもらって良い。② 1000キロの距離を運転してくるのはGWでもあるし、花嫁の親が万一遅れたらまずい。せめて前日に来てほしい。こちらは坂も険しく狭い道が多い。すれ違いもできないようなところがあるから、キャンピングカーでは身動きしづらいと思うので、時間も読みやすいことから公共交通機関で来た方が良いと思う。こちらで飛行機ホテルは手配する。をお願いしました。すると、①➡教会だったら洋装だろうが!教会で留袖着る人なんか見たことない!!TPOおかしいだろ!!姉に着物着るなとはとういうことだ!自分が目立ちたいから、姉に安っぽい格好させようとしている!! ②➡なぜ行き方を指示されなきゃならない!!家(私たちのマンション)に泊まれと言わずホテルなんておかしい!あんた達のマンションに泊まらせないなんて、崩れ落ちそうなボロいマンションで恥ずかしくて隠しているんだ!!(2人暮らしの1LDKのマンションに、毒母夫婦+姉夫婦の大人4人、結婚式の前日にどうやって泊まるの…)私と夫の結婚式は、イギリスから移築された古い教会を有することが売りの式場でした。これを知った毒母、「あんなにに素直だったあんたがこんな口答えするわけないと思った。その古い教会のイギリス人の悪霊が乗り移ってあんたに言わせている。」その他、「夫・義母・義妹は発達障害だ!最初からオカシいと思ってた!」「夫はDVであんたをコントロールしいる!」「見栄のために結婚式に親を呼ぼうとしているとしか思えない!」「こちとら確定申告で気がめいってるのにああしろこうしろって、こっちの話なんか聞きもしないで一方的におかしい!」結婚式すると報告したのは、2ヶ月前だったよね…?毎年確定申告に追われているのは分かっていたから早くに連絡したのに、この2ヶ月何していたの…「姉夫婦は仕事辞めたばかりだ。そんな子たちが身銭を切って結婚式に行くことの意味を考えたことはあるのか! 頭下げて、来てくださいって頼む立場だろうが!」(姉夫婦は都内での仕事をやめ、実家近くに新築戸建てを購入、地元に帰ったばかりだった。 毒母と一緒にベンツを購入、お揃いナンバー。 ちなみに私はコロナ禍での姉の結婚式(県外)に参席した際、仕事柄2週間自宅待機で欠勤した。この結婚式は毒母が取り仕切って、地元の神社で義兄の 両親とうちの家族だけで行った。毒母の留袖は私が着せ付けた)毒親育ちの方にはおわかりいただけるだろうかこの支離滅裂感…精神疾患を疑うレベル。長くなるので、次回に続きます。
七夕ですね例年七夕といったら土砂降りで、梅雨明けした七夕なんていつぶりか記憶にないほどです。さて私、よだれべちょべちょお手手で顔を触られたり、息子のバタバタあんよに頬を蹴られるのが好きなんですが。生後半年の息子のあんよ、すでに、足のニオイがする靴はもちろん、靴下だってはかせていないのに!!まだ赤ちゃんなのに!!男の子だから?赤ちゃんなのに、いっちょまえのニオイだ!って仰天しましたさすがにこの香りのあんよに頬を差し出すのは………でもまあ良いか、って差し出しています本気で女の子赤ちゃんのあんよを嗅いでみたくて仕方ない…現在体重9.2㎏、成長曲線は標準内ではあるものの、上の方まっしぐら最近は抱っこすると、日焼け止めでベタベタした私のアゴ辺りに息子の抜け毛がくついてくすぐったいです。
最近重たい話ばかりでしたので、最近とってもがっかりしたお話を先日インスタで、お洋服タグに関するライフハックを見かけました。ベビー服で、タグが襟元についているものって多いですよね?「ベビー服の首元のタグってちくちくしてかわいそうじゃない?切っても切り口がちくちくしそう…こんなとき、百均で売られているこの防水テープを貼りつけるとちくちくしないし、防水だからお洗濯してもこの通り長持ち♪」ってのを見かけ、さっそく試したんです。息子がタグを嫌がるそぶりや、肌がかゆそうなんてこともなかったんですけど、自分自身子どものとき、あのタグがかゆくてかゆくて大嫌いだったので…洗濯して、干すときにわくわくしながらチェックしたら防水テープが丸まってぐちゃっとタグに貼りついてた…やっぱりそんな強くはないか~と諦め、はがしたら粘着部分がタグ側にべっちょり……タグを切るしかありませんでした!切り口がちくちくしそうだっだので、縫い目を少しほどいてタグを外し、縫い直しました。大失敗でした。防水テープの種類によってはイケるのもあるのかもしれません…不用意に何でも試すのも良くないですね。
ここまで、連日毒親の起源を順に追ってきましたが…毒って、どこから始まるんでしょうね。ひずみの根源て、何なのでしょうね。親子とはいえ、相性はある。相性が合わないだけでは、説明できない問題がある。毒母が実母をぶった切ったように、私も毒母と絶縁することとなり…毒母に引導を渡された形とは言え、同じ轍を踏むようで、そこに関しては良い気持ちではありません。同類か、って。ただ私個人的には最高にハッピーで、文字通り憑き物が落ちた気持ちでこの2年過ごしているのです。この連鎖を断ち切りたい。私以下からは、まともな家族関係・親族を築いてほしい。私の一番の切り札は、まとも育ちの夫がいてくれること。夫は継父と違って、決して巻かれない人です。頭の良い人なので、おかしいことはおかしいと私を止めてくれる安全装置のような存在。ただ、夫の本心は、「孫が産まれたってことくらい、連絡した方が良いんじゃないか」です。ちょくちょく、言われます。和解してほしいと思っているのでしょうね。まとも家庭だから、話が通じないオカシな親がいるってこと、これだけ間近に経験しながらも、どこかで「そうは言っても実の親だから」そう思っているのを感じます。親子とはいえ、相性がある。相性が合わないだけでは、説明できない問題がある。血のつながりが、呪縛にしかならないことがある。毒母に関しては、私に一任してほしいですね。毒が分からない人は口出すな、が本音です笑私は息子に、●息子を使って自分の人生のやり直しを図ろうとしないこと。●毒母が好んでよく使っていた表現、「あなたのために」「あなたを思うからこそ」「親だから」という言葉は使わないこと。●息子をコントロールしないこと。を肝に命じておこうと思っています。「育てる」という言い方にさえ、コントロールじみたものを感じてしまいます。初参りのときお寺の和尚さんに、「子育て」ではなく「子育ち」だ、子どもは自分で育つ力があるから、大人はそれをサポートするだけだと言われましたが…過干渉を恐れるあまり放任が過ぎてしまわないか、怖くもあります。いずれ息子が大きくなったら、「え、母親?まあ、嫌いか好きかで言ったら好きかな」とか言ってもらえたり、私が死んだとき泣いてもらえたりでもしたら、連鎖を切れたことになるのでしょうか。息子との相性が、悪くないことを願います。
3⃣母:祖母と実祖父の婚外子として誕生。名付け親は祖母の知人男性、後にその男性の愛人の名前だったことが判明し、母はこれを恨んでいた。本人曰く、ネグレクトのように育ち、トイレのちり紙の使い方や月経時の対応、歯磨きなど教えられなかった。トイレをしたらそのまま下着をはいていて、臭いといじめられたそう。また、祖母自身からも臭いとキレられ、真冬に外でホースで水をかけられ洗われたこともあったとか。弟が産まれると、祖母は弟を偏愛し、それはそれは可愛がっていたそう。21でデキ婚、長女出産。23で次女出産。その後離婚、親権は父方へ。29で9歳年上の金持ちと再婚、姉妹三人の親に。この婚姻中に贅沢に慣れたのか、今までのコンプレックスからか、ブランド志向開花。「自分は本来こうあるべきだったんだ」と考えに至り、シングル家庭や公営住宅住まいを蔑視。(後に自分がシングルになっても、『片親の子とは遊ぶな』)工業高校卒の学歴コンプレックスから、教育虐待。イスから落ちたり流血沙汰になったりするほど、参考書や教科書で殴りながら勉強を強要。怒ると我を忘れるため、怒りに任せて教科書をビリビリに破り、それをセロテープでつなぎ合わせて学校に持っていかせることもあった。この夫との婚姻中、1度離婚ししばらくして再再婚したが、42で再び正式に離婚、このころ12歳年下(長男)の男と同棲・事実婚。47でその一回り年下の男と再々再婚、相手方の親の猛反対にあったが押し切ったよう。毒母も私たち姉妹も、あちらの親には会うことはなかった。このころ、「霊との交信」にハマる。「自分は環境さえ良ければ、東大や早慶上智レベルに行けていた。」が口癖。優しい実父が大好きだったとよく懐古しており、「(長女)ちゃんの目はお父さんそっくり」「(長女)ちゃんの優しいところはお父さん譲りなんだと思う」「(当時のうちの飼い犬)ちゃんの目がお父さんにそっくりで…一目見て、生まれ変わりだと思って買ってきた」(ブランド志向なので、当然血統書付き)※この長女は初婚の際の長女ではなく、再婚で産まれた長女、通しで数えると三女のこと。祖母のことは恨みつつ、母親を求める情もあり。その祖母が脳梗塞で倒れた際、同居の叔父夫婦が今後の財産を管理すると言い出したことをきっかけに、祖母・叔父夫婦と絶縁宣言。ちょこちょこパート勤めをするものの、どこに勤めても気の合わない人をことごとく「発達障害」と延々と家族ラインで愚痴り散らす。後に三女が交際中の恋人との子の妊娠が発覚した際には「中絶して実家に帰ってこい」。その恋人が一回り以上年上と知ると、「早死にされたら困る。健康診断結果を送れ」。結婚し、男児出産すると「嫁に出した娘の子だから、先方の家の孫。自分の孫とは思わない。」「イマドキは、女の子を産むのが勝ち組だ。男なんて産んだってどうせ嫁のものになる。」など言うような不快な人。次女(私)の結婚式には、長女夫婦共々不参加。病気ひとつせず、元気。
2⃣祖母(母方):1933年生まれ。私が19のとき毒母は祖母と絶縁宣言したため以後交流が途絶え、生死未明。(後述)現在生きていれば92歳。7人きょうだいの長女10代で就職のため地元を離れる。政党支持母体集団の宗教の熱烈な、熱狂的信者になった。既婚者だった祖父のお妾さんとして娘(毒母)、息子を出産。娘12、息子10のとき認知を受ける。長男である叔父を溺愛。(これは、祖母の叔父に対する態度から子供心にも察せられたので事実と思われる。)母曰く、母はほとんどネグレクトのように育ったそう。後に継祖父と初婚。ずっとこの人が祖父だと思っていたが、祖母と母の会話に頻出する「●■家~」「●■の家系に似て云々~」から、その「●■某」氏が実祖父と知る。母はこの実祖父を「お父さん」と呼び、継祖父のことは毛嫌いして名前+さんで呼んでいた。継祖父とは再婚と思っていたが、戸籍謄本にて母と叔父が婚外子だったことを知り、諸々不自然だった祖母と母の話のつじつまがようやく合った。とにかく宗教狂いで、弟を連れ歩いて布教に没頭していた。後に毒母と継父が再婚するときにも、文字通り夜通し入信を説き、説得。私が寝るとき、祖母が懇々と説得しており、起きた時もうつらうつらする継父にまだ入信を説いていた姿を覚えている。78のとき脳梗塞で倒れ、半身不随になった。叔父家族と同居していた家は叔父との共同名義だったそうで、退院後、印鑑や通帳などは自分が管理すると叔父が宣言。今思えば、オレオレ詐欺が世間をにぎわせていたことや、半身不随だけでなく、もしかしたら後遺症で認知機能にも問題が生じたための判断だったのかもしれない。何もかも取り上げられると恐れた祖母は、毒母に相談、毒母激怒。毒母は幼少期の恨みを抱きつつも、祖母に振り向いてほしい・認めてほしい気持ちをも抱き続けていたため、「家を用意するから、あの家を出て夫婦2人暮らしをしたらどうか」と提案。(継父が建てた家に越すまで私達が住んでいた、毒母名義の家。その当時賃貸に出していた。 2階建ての家で、台所1階、寝室と風呂は2階、とてもとても半身不随の高齢者含む老夫婦が住める設計ではない)祖母はこれを断った。これをめぐって毒母は叔父と険悪・大ゲンカに。毒母、祖母・叔父夫婦に「結局、母さんの財産を狙ってる叔父側に付くのか!もう縁を切る!!」と宣言、絶縁に至る。~番外編:祖母のきょうだい達~祖母はたしか7人きょうだいくらいの長女。・双子の弟がおり、2人暮らししていたが20代のころ2人とも姿を消した。 アパートに衣類、荷物、通帳、現金等もまるごと残されていたそう。 祖母は北朝鮮による拉致を疑い、相談に行ったこともあったそう。 生きていれば80代。・精神疾患の妹がいて、その娘(祖母からしたら姪)共々精神科に長いこと入院。・双子の弟含め、行方不明・音信不通なきょうだいが計3人。 夫と結婚したとき、どちらの祖父母ともみな連絡がつくことに驚きました。 「いやいやこれが普通だから!」と夫は言いますが、なんて身持ちの堅いしっかりした家だろうと思いました。 高齢になれば、音信不通のきょうだいのひとりやふたりいるのが普通だと思っていたので…2⃣実祖父(母方):生年不詳。地主の裕福な家に産まれた。虚弱体質、目も悪く、徴兵検査不合格で徴兵は免れたらしい。子どものとき母親が亡くなり、父親は親戚筋の女性と再婚。反りが合わなかったそうで、継子いじめまがいのこともあった。後に、この継母の姪と結婚させられた。きっかけは未詳だが、一回り年下の祖母と出会い不倫を続け、長女長男をもうける。通い婚のように、たまに訪れては子供たちを可愛がっていたそう。この2人が小学生のとき認知したのち、癌で死去。私は写真も見たことがないので、顔も知りません。下の名前も知りません。
6月分育児費用覚え書きおむつ :11,348 ジモティーでメリーズ1袋1,100円、М、L、Big計10袋まとめて取引。 ベビザらスにてお試しサイズ購入。 ミルク :23,083 底値だったので計13缶、約2か月分まとめ買い。 (完ミ。生後6ヶ月現在、1回170ml、1缶5~6日で消費。)離乳食 :3,227ベビー服 :3,579ベビー雑費:3,882 ※お尻ふきはミルクのおまけを使っているので、購入歴なし。計398,356円
毒親って、発生起源はどこなんでしょう。幼少期の母方の祖母の話の記憶から類推することしかできませんが、うちは精神疾患の遺伝の気があるように思います。(実の父方の祖父母親戚に至っては、会ったこともない。)うちは把握している限りでは毒連鎖4世代です。1⃣曽祖父(母方):長野で農家。DV野郎でアル中だったよう。酒を飲んでは妻に苛烈な暴力をふるっていた。祖母が12のとき、「自分の妻をいじめにいじめ抜いて何が楽しいか!」と立ち向かったことがあったと祖母はよく話していた。時期不明だが、後に農薬を飲んで自殺。曾祖母については話を聞いた記憶は全くないため未詳。
離乳食を始めて三週間。先日、人参がゆを夫にあげさせてみたところ、ぱくぱく食べてくれました。その食べ残しを口にして、夫、「おえっ、まっず!!」と。それはやめなさいと言いました。今のいままで息子がぱくぱく食べていたものをくさすようなこと言うなと。大人で言うと、「美味しい!」って食べている人の前で「え~そんなゲテモノ食えんわww」みたいなものじゃないですか?言葉は分からないかもしれないけれど、だからといってそれでは、まるで日本語の分からない外国人の前で悪口を言っているようなものじゃないかと思うんです。もちろん夫に悪意はないんですよ。でも、言葉はわからなくともニュアンスは伝わる。夫は当初から、息子のうんちおむつ替えるとき「くさっ!」と言っていたのも、辞めさせました。息子のお世話に関わることで、負の言葉はかけたくないです。夫は反省したのか、その食べ残し捨てていいよと言ったのに、塩をかけて全部たいらげていました。
学生時代、土日の朝方はご夫婦でされている個人パン屋さんでレジのバイトをしていました。レジは、主婦Kさんと私の2人体制。レジ前の脇には、荷物置き用に折り畳みイスがひとつ置いてありました。いつも日曜に来る、30後半くらいの父親&3、4歳くらいの娘、かこちゃん。かこちゃんは無口で、一言も声を聞いたことはありませんでした。この父親、いつもいつも「いや~かこはこないだも可愛いって褒められちゃって!」「いつも行くお店でも店員さんが~」可愛い自慢。で、こちらが「可愛いですね」としか言いようのない会話を仕掛けてくる。客観的には、いたって普通の女の子です。やむなく「可愛いですねぇ」と言うと、でかい声で「はーい本日の可愛いいただきましたぁっ!!」と合いの手。それだけでもまぁうざかったんですが、何がうざいって、この父親はかこちゃんをレジ前の椅子に座らせ、買ったばかりのパンをその場で与えると自分は店外に出て、ガラス張りの窓ガラスからかこちゃんに向かって手を振る、変顔、写真を撮る…かこちゃんが食べ終わるまで延々やってるんです。毎週毎週。人気のあるお店だったので、そうしている間にも次々お客は来る。他のお客は、かこちゃんが食べている間は荷物を置けない。でもまだ小さいから、食べ終わるにも10分近くかかるわけです。うざい&迷惑以外の何でもありませんでしたけど、ご主人ご夫婦の意向で注意もなくそうさせていました。あるときKさんと私、「可愛いと言わなかったらどうなるか」試してみようとなりました笑父親、例のごとく「な、かこ!昨日も可愛いっていわれちゃったもんな!!」Kさんと私、「そうですかぁニコニコ、〇〇円のお返しです」ってな具合でのらりくらりしてみました。すると父親、私たちの目をじーっと見つめる。会計は終わってる。明らかに待っている。かこは食べ始める。次のお客さんが父親の後ろに並ぶ。父親どかない。思わずKさんと顔を見合わせ、仕方なく、「かわいいd―」「はーい本日の可愛いいただきましたぁっ!!」高らかに宣言。店を出て、例のごとく変顔手を振る写真を撮る…私は別に子供好きでもなかったですし、Kさんは2人娘さんがおられましたけど、それでもあれはナイよねぇと意見が一致しました。親がアホでうざいとその子供まで嫌いになるもんだなぁと思いましたね。くそうぜぇーーーー!!の一言に尽きる父親でした。逆に言うと、親がきちんとしていたら子供も周りに可愛がってもらえると思って育児しています。
昨日は夫が義実家に帰る日でした。息子を連れて帰ったんです。で、夜に帰ってきて言ったこと。「あっち出るときギャン泣きでさ、『ママのとこ帰りたくないのかな~?』って言ったさね」世のお母さん方…これ、冗談でも腹立ちませんか?私は冗談でも、そういうこと言わない。「ママの方が好きだもんねー」「パパはいやよねー」そういう夫を「下げる」ことは言いません。息子がもう少し大きくなって、言葉が分かるようになっても言わないと決めています。無意味で、不必要な冗談だからです。しかも義家族の前では、なおさら最上級に言われたくないこと。「それ冗談でも、とんでもなく気分悪いわ。すんごい不快。」「そうやってすぐぶーするんだから。冗談たい、そんな怒らんでもいいじゃん。」「冗談かどうか、怒るかどうか決めるのは受け手だよ。怒るか否か、私が決めること。 私の感情をどうしてあなたが決めるの?」は「やれやれ…」って空気を出していましたがそれでも気まずかったようで、お菓子を譲ってくれたのでいったん良しとしました。冗談になるかどうかって、受け手が決めること。私は義母義妹や向こうの親戚の前では、意識して夫を褒め、(この表現は好きではないですが)古い言い方だと「立てる」よう心がけています。夫は、こちらの親戚付き合いと言えば妹家族くらいなので、そういう意識・気遣いはないんだろうなーと思います。今回釘を刺したので、またこういうことがあったら次は本気で叱ります。
よくDAISOに行くのですが。パスタが400g入りと500gがあったんです。100毎に束になっていない、バラのタイプです。いつも500gの方が売り切れ。私も折を見ては500gを買っていましたが、ここ数週間400gしか見ない。500gはもうなくなってしまったのかなぁと思っていたんです。値上げ値上げですからね。ところが先日チェックしてみたら、400gも全部なくなって、新たに300g入りのものになっていた。こりゃあんまりだよ…って泣きたくなりました。ビッグドーナツも5個108円だったのがとっくに4個になっており、薄皮パンシリーズも4個入り。給料据え置き、値上げが著しい。本当に、いやなご時世ですね。
梅雨入りで、雨ばかりですね。私はベビーカーのレインカバーを持っていないので、雨の日の買い物は抱っこ紐です。息子はどうも前向き抱っこが楽しいらしいので、いろんな景色を見せてあげたい気持ちもあいまって、最近の外出時はもっぱら前向き抱っこ。そうなると、後ろ向きよりも圧倒的に話しかけられる率は高いんです。特に、中年以上の女性店員さんは「可愛い~~」「ペンギンちゃんのお洋服ねぇ」「まぁ~、まん丸ちゃん!」等々、ニコニコ声をかけて下さるとっても嬉しくて、「ありがとうございます~5ヶ月です~」なんて返すんですが、息子を褒められると猛烈な汗が出るわ出るわ…冷や汗ならぬ、照れ汗とでも言いましょうか…離職期間も1年を超え、コミュ障になってしまったんじゃないかと少し不安でもあります照れ汗なんて言いつつも、内心はそうなんです、可愛いですよね!?よく言われます~~このほっぺもあんよもむちむちお手手も、好きなだけハムハムし放題なんですえっへんいいでしょ、何のご褒美かって感じでしょえっへんおっほんなんて思っています。息子を連れていると、国宝級のとんでもないお宝でも身に付けているかのような気持ちになります。見てよすごくない?こんな可愛い子が私の息子なんだよすごくない!?!?みたいな日々、可愛さを、幸せをありがとう。ところで、男の子って赤ちゃん時分からおじさん臭いとよく聞いていたのですがいつから臭くなってくるんでしょうか…最近よく汗をかく息子の頭からは、シナモンアップルパイの香りがしてきます…どうぞいつまでもそのままで…
ぼちぼち、蚊が気になり始める季節になりましたね。蚊取り線香はにおいが付くのが嫌なので対象外、スプレーも「赤ちゃんがいても安心」とうたっていたとしてもなんとなく心配…と、赤ちゃん在宅下での蚊よけは何が良いのか悩んでいたところ、こんなものがあると知りました。蚊除け 虫除け 害虫駆除器 超音波虫よけ 害虫対策 ダニ/蚊/ノミ/寄生虫駆除 超音波撃退器 電磁波 静音 PSE認証済み 無害 薬剤不使用 子供も ペットも安全安心に使える楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}本当に…?効果あるのか…?口コミでは、大半が「期待を込めて…」ですが、ちらほらと効果があったという声も。ポイントが溜まっていたので、購入してみました。こんな具合です。ライトをつければ、常夜灯にもなる。100~180㎡対応だそう。秒針音のような、小さなカチッ、カチッ…という音はしますが、私はさほど気になりません。ちょうど、勝手口に出しておいたゴミに小バエがわき始めていたので、キッチンにセットして15分ほど待ってみました。…何も変わらず、ブンブン飛んでいらっしゃる蚊には効くのかもしれないし!!と一抹の期待を込めて、息子を寝かせている部屋に刺し直しましたマンション5階ですが、昨年は家の中でも普通に刺されまくりましたので、今年はいかに。また続報書きます。