今回は治療経過 高校生編。
母親へのカミングアウトを経て
県立の高校へ入学しました。
入学してすぐ、
カウンセリングに通い始め、未成年だったため、診断まで2年の通院が必要でした。
そして入学から約2ヶ月。
2014. 6/6
まずは保健室の先生と担任の先生にカミングアウト。
ここでのカミングアウトした理由としては、
制服を変えたかったから。
僕の高校はズボンOKじゃなかったから、許可をとろうと思い、カミングアウトしました。
目的がちゃんとあったから、もはや緊張などはそんなになかったです。
しかし、僕だけ特別にというのは難しいため、
「校則を作るのが一番良い」
という大きな話になり、さまざまな先生に動くいていただくことになりました。
まさかこんなに大きいことになるとは。
結局、校則が出来上がるまでおよそ2年かかりました。
僕がやっと男子制服に変えることができたのは、高校2年後半。
その間あと1日休んだら留年
というくらいにまで不登校になり、本当に学校へいけない時期がありました。
自分の制服姿が目の端にさえ入るのがとても苦痛で、特に自転車通学の際。
苦痛で苦痛で仕方がなかった。
学校へはいきたかったけど、どうしても足が出ませんでした。
ついには母が僕に対して嫌になり、
「普通の子はちゃんと毎日学校へいくのに」
と言われたり、
包丁をもって母が母自身を刺そうともした時がありました。
さすがに包丁を出されて焦った僕は、訳がわからなくなり家を飛び出して学校へ。
母が生きているのか死んでいるのかもわからずただただ保健室で涙を流しました。
その後、ちょうど制服のことで母が担任と話し合いがあったため学校へ来て、
「ごめんね」と言われて抱き締められました。
回りに普通に他の生徒がいたから僕は少しだけ恥ずかしかった。
でも母が死んでいなくてよかった。
当時僕は母をも追い詰めている自覚はありましたが、とてもじゃないけど母のことまで考える余裕が、本当にありませんでした。
そのぐらい、僕も生きる意味と意欲を失い、
毎日死にたい思考に駆られ、毎日泣いていました。
そんなこんなでやっと出来上がった校則。
しかし、女子のズボンの形が男子と違い、
下が少し広がっているタイプの少々女性っぽさのあるズボンでした。
頑固な僕は男子生徒と同じ制服を着たくて、
高校2年後半に降りた診断書を提出し、
修学旅行2日前、男子制服着着用の許可がやっと降りました。
最初からそうすればよかったのではって感じだけど。
途中からの男子制服着用。
人が苦手なぼくが人生で一番緊張した日です。
最初は本当にたくさんの視線を浴びました。
きっと僕のこと影で何かをいっていた人もいるんだろう。
もともと目立つことが好きではなかったし、僕は埋まっていきたい派なので視線がすごく辛かった。
それでも、僕は男子制服を着ることを選びました。
修学旅行が終わった辺りから、周りも僕の姿に慣れ、僕も慣れ、
気づけば学校へ行けるようになっていました。
自分が認識している性別と逆の性別の格好をして生活をすることの苦痛がどれだけ大きかったか、改めて実感しました。
すごーーーーく簡単に書いたけど、
僕にとってとてもとても長い壮絶な毎日でした。
もう二度とあんな辛い毎日は送りたくないです。(笑)
以上が高校でのカミングアウト、制服 編です。
次はホルモン注射、改名などについて書きます。