2019/7/24
生前の姉からよくSさんと食べに行ったり展覧会に行ったりしたとは聞いていた。
お住まいも左京区高野とまでは聞いていた。
だが、電話番号が判らなかった。
年賀状の宛名の住所録には電話が入ってない。
葬儀の連絡ができないままで日が過ぎていった。
電話番号帳にも載ってなく、携帯電話の連絡先にも登録されてない。
それはいつも電話連絡し合う中なので、その必要がないからなのだ(推測)。
それぐらい親しい友人で、それだけに非常に気にはなっていた。
7月20日に姉の祭壇へのお参りや水替え、部屋の整理などで行った際、留守電のランプが点滅していた。
前回チェック後に新たに掛かってきていたのだ。
ひょっとしてSさんからかな?との期待で再生してみた。
“Sです。T(姉の名前)ちゃん元気?このところ何も連絡がないので電話しました。折り返し電話を頂戴ね!”
という普段と変わらないような内容。
どなたかのチャンネルで連絡がいっていることに一縷の望みを持っていたが、やっぱりご存知なかったのだ!
すぐに折り返し電話をかけた。
事実を簡単に説明したが、その驚き様、悲しみ様は電話の向こう側でも手に取るように分かった。
不思議なもので、電話のお声を聞いただけで、私も少年時代に家に来られていたSさんの面影が浮かんできた。(美人だったので印象に残っている)
なにしろ姉と同世代の方なので足元が弱られているとも姉から聞いていたので、お迎えに上がることにして今日やっと変わり果てた姉に会っていただくことができた。
その様子をお伝えすることは難しいが、多くの想い出を巡らされているのか、遺影をじっと見詰められて時々“ありがとう”という言葉が聞き取れた。
きっと姉もこれで心置きなくお花満開の彼岸へ行けると思った。
帰りの車の中で聞いた事だが、若い頃は姉の洋裁が非常に上手なので、Sさんはほとんどの服は姉の作品との事。
当時(昭和30年から40年代)は、少しオシャレな服は「装苑」などのファッション雑誌を参考にしたオーダーメードであったとの事。
いまだに着られるものもある由。
また、長年の間、京都新聞が好きで、京都新聞の「京料理味めぐりの会」へ毎月のように参加して美味しいものを食べるのが好きであったり、京都新聞主催のイベントの招待券・優待券でよく一緒に出かけていたことなど、よい想い出ばかりが浮かんでくると仰っていただけた。
Sさんのお元気で長生きされることを願いながらお別れした。
ありがとうございました。