二年生の教室の前の廊下の大きな壁一面に、「わが東海の力」の展示物が陣取っていた。岡崎、名中、瀬戸、東春、南、中川、名東など県下七つの支部と、長野、三重、北陸、岐阜、静岡の「力」が記されていた。
スマホを向けていると、昨年夏の社会実習での「成果」ですと、男子生徒が説明してくれた。
ドア越しに、教室の正面に貼られた「自力更生~七〇周年に向けて」という大きなスローガンが見えた。中部朝鮮中学校として、同校が創立されたのが一九四八年四月だから今年七〇周年を迎える。それにしては「七〇周年」のスローガンは目につかない。

三年二班の教室。「燃やそう情熱! 身につけよう良心! 鳴り響け二二の鼓動!」の力強いスローガンの下で、石油ストーブに当たりながら、三人の女子生徒が何やら談笑中だった。

卒業試験を終えれば、三月の卒業式まで自由登校とのことだ。一人は日本の大学に進学し、一人は理学療法士を目指している。もう一人は介護施設の「マダン」への就職が決まり、資格を取得して頑張ると話していた。三人とも、卒業式まではひたすらバイトに励むと、明るく話してくれた。
隣の一班の教室に入ろうとしたら、授業中のようだ。二班の教室に戻り、聞いたら朝大進学班の補習だとか。
五階から一階をのぞくと、何人かが下校していた。高い。目がくらむ。女子生徒の歌声が心地よく響いていた。

しばし、教育会室で職員と歓談。校舎の老朽化に心を痛めていた。教育環境の改善問題が論議されているとのことだ。確かに廊下や階段は激しく痛んでいた。天井が抜け落ちている個所もあった。新校舎建設問題が明らかにされたとの『商工新聞』の報道を思い出した。

校舎の前の階段にいると、先ほど、高三の教室で話し込んでいた三人の女子生徒が下りてきた。話しても話しても物足りない年ごろなのだろう、歩きながらも、話し、そして笑い転げていた。オレンジとグレーのマフラーが左右に大きく揺れていた。
校舎の右手には三階建ての大きな寄宿舎がある。その裏にもう一棟寄宿舎があるようだが、二つとも今は使われていない。一部が空手部の道場になっているとのことだ。
体育館脇のこぢんまりとした三階建ての寄宿舎から男子生徒が出てきた。体育館を素通りして校舎に入ってきた。
静岡からの寄宿生で高一。「補習に…」。少し恥らう姿がかわいい。「得意な科目は一つもありません」、それでも四人部屋の寄宿舎生活はそれなりに楽しんでいるようだ。中級部二年生の時、静岡のウリハッキョに転校してきたとも。「補習? 家庭教師が付いたと思えば…」、そんな励ましにもならない言葉を投げかけて別れた。
校門に向かう途中、寄宿舎からまた一人出てきた。女子生徒かと思ったら、二年前までは舎監をしていたという、教員生活七年目、理系担当の先生だった。大阪出身、赴任してきたとき校舎の「壮大さ」に驚いたと。生徒たちは食堂で食事をするが、自炊をしているとのこと。男子は一人っ子か、少し年の離れた末っ子が多いとか、話は尽きない。弟や妹のことを考えて進学を断念して就職する生徒の話には心が痛んだ。
男子生徒が近づいてきて「ソンセンニム、補習、お願いできますか」。朝大の政経学部か理工学部か悩んでいたが、理工学部に決めた生徒とのことだ。嬉しそうにその生徒の後を追って行った。
坂道を少し下り校門に向かいながら、ふと朝大で愛知中高を自慢していた、鄭トンムや金トンム、呂トンムら、同校出身の同級生の顔が浮かんだ。
*加筆して3月に刊行する『朝鮮学校のある風景』48号に掲載します。