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トンポ・トンネ 日々イモジョモ

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名古屋・笑顔の訪朝報告会
【1月19日・金曜日】
 fb友達の「…二〇一七年八月末の訪朝団のメンバーによる報告会を行います。…報告は若いメンバー、初訪朝メンバーによって行われます。…是非、是非、おいでください」に応えての参加だ。同時期に訪朝したということもあって、「若いメンバー」、「初訪朝メンバー」の話を「是非、是非」、聞きたかった。
 余裕を持って会場に着くはずだったが、駅近ということだけで、場所もうろ覚え、fbに会場は書かれておらず、ようやくたどり着けた。
 着くなり「今日は四人のお話しを…」。司会者の留学同東海地方本部の専従の金さん、やけにテンションが高い。そんなことを感じたのは「よそ者」の私だけ、いつものことのようだ。
 トップバッターは、卒論に「朝鮮学校無償化裁判について」書こうとしている教育学部の女子学生だ。
 訪朝のきっかけは、指導教授との軽い話だ。
 「朝高生と平壌に行ってくるからしばらく連絡が取れない」
 「え! 北朝鮮って行けるんですか!」
 「行けるよ。…行きたいなら」
 「すごい! 行ってみたいです」
 そんなやり取りがモニタに映し出された。タイトルもそれらしい。「突然舞い降りてきた訪朝の話」。
 軽く行きますと言ってしまった。親も理解してくれるだろうと。しかし「危険だし、危ない」と母親は大反対したという。
 ありそうな話だと思った。
 訪朝したことがある、ウリハッキョ(朝鮮学校)の先生や無償化のイベント会場で出会った人びとの話を聞いて決意したという。なかでも、朝高生の「行く前は不安だったけど、行ってよかった、絶対に行くべきだ」との言葉が響いたようだ。
 ツアー参加者は一七人。通訳についた平壌外大生や、訪問先の農場の青年との交流、「朝起きて何するの」とか、「大学では…」、そんな当たり前の普通の話をできることに驚いたり、偏見を持っていたと悟ったりしたようだ。「同じ年だということもあって、気軽に話すことができた」、「そのおかげで、違和感がなくなり、私が見ている朝鮮をそのまま受け入れることができた」と。話しながら笑顔が絶えない。そんな彼女の姿を見ていると、モニタに映し出される、「朝鮮の人びとに疑問をぶつけて、考え方を知り、温かさにふれると、いつの間にか離れたくない気持ちでいっぱいになっていた…」との言葉は、みなが率直に受け止めることかできたであろう。
 帰国後、愛知中高で報告会を催したことにも言及し、「(生徒たちに)オンニ(お姉さん)と呼ばれたのがうれしかった。一緒に歌をうたえて楽しかった」と。
 「自分の『当たり前』が覆された」との結びの言葉は、行った者だからこその「重い」一言だと思った。

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 二番手は、修士一年生。晴れ渡った平壌空港に降り立った時の感想は、「この青空の下ではチマチョゴリが映える…」、そして夕日を見て思ったことは、「朝鮮も日が暮れる、同じだ」だ。
 彼女もまた、平壌外大生との出会い、話していたことについて多く語った。「朝起きたらカールで髪を巻いてお洒落をして大学に向かう」、「日本語を専攻したことを後悔している。日本語を使う機会がない。卒業しても職が…英語やロシア語だったら…」。
 日本語を専攻したことを後悔しているとの話に、彼女は「すごくショックだった」と語り、「彼女たちのお陰で楽しい思いをし…朝鮮を理解するのに大きな役割を果たしている」と伝えた。「今度は日本で…」と話したら、返ってきた言葉が「国交がないので行けない」。彼女は「気軽に会えないのだ。イルシムと私、二つの国の亀裂がある。朝鮮は日本からもっとも近いのにすごく遠い国なのではないかと思った」。「日本語を学んだことを後悔しない。韓国に行くのと同じぐらいの費用で『行ってきたよ』、『タシマンナップシタ(再びお会いしましょう)』をうたって別れる、そんな日が…」
 案内に付いたイルシムやチソンという外大生たちの名前が何回も出てきた。とても親しくなったことがうかがえた。
 見学先の農場員との話もリアルだ。「身振り手振りで…たくさん聞いた。いつから働いているのとか、子どもはいるのとか…」、「握手した時の感覚は覚えている。働いている人の体温を感じた」、「私の名前を呼びながら『また来なさい』、その一言に感動した。朝鮮で、それも初対面の農場員に名前を覚えてもらえるなんて…人と人との交流の仕方を見習わなくてはいけないと…」。
 彼女は卒論のために朝鮮学校にも訪問している。「朝鮮学校での朝鮮、修学旅行生が語る祖国しての朝鮮と、自分の中の朝鮮と違うものと感じていた」ようだ。今回訪朝して「私だけの朝鮮と出会えた」という言葉は印象的だった。学生や農民の姿、景色、それは日本のマスコミのイメージではなかった。「出会った一人ひとりとのふれあい、別れ、離れたくないという思い…今まで想像すらしていなかったそこで暮らす人々の生活、日々の営み…」「いまでも朝鮮は何だったのか結論は出ていない…訪朝しなかったら『怖い』とのイメージを拭い去れなかったのでは…」。そして「絶対にまた行きたい。(旅費が)高いので次は『マンギョンボン』号で…イルシムに会いに行くのが夢です」と。
 三番手は、日本の専門学校、大学に在学する在日の組織、留学同の訪問団に参加した三回生の学生だ。小学校までは朝鮮学校に通い、日本の私立高に転校したという。

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 「朝鮮民主主義人民共和国のイメージ」と題して、いきなりモニタに映し出されたのが「核実験・ミサイル」、「独裁国家」、「洗脳」、「拉致問題」の四つのワードだ。
 行く前は「怖い国」でしかなかった。
父は「日本社会に同化する在日として生きてほしい」と、日本の学校に送ったようだ。日本の中学に転校していった時期が「ミサイル」。「名前か変だとか、父と兄の名前の読み方がおかしいとか」、そんなことを言われたことがある。
留学同には兄がそうだったから、特別なことはなく加盟した。韓国には三回行ったが、朝鮮は初めて。「悪い国」のイメージしかなかった。
何に驚いたって? 街並みに驚いた。普通に車が走っている、バスも走っているしね、人が歩いている…普通やん。日本と変わらない、あの人かっこいいやん…。今まで偏見まみれの中で暮らしてきたということを知った。
板門店に行ったら、向こう側からKポップが流れてくる。分断の認識の甘さに愕然として、動けなかった。中国人の観光客が来ているのをみて、では私たちは? 観光ではなく、勉強? 分断されていることに初めて怒りを覚え、「統一」って何だろう、その場にいた一二人のメンバーと一緒に泣いてしまったという。
軍人との交流会も、たくさんの思い出を作ったようだ。
…誕生日が一カ月遅いから突然、「お前は妹だ」って。話しかけてくるのですが、聞き取れなくて…するとゆっくりゆっくり話してくれるのです。なんていい人? 軍人と言えば怖いと思っていのに…。
別れ際の「妹なのだからいつでも帰ってこい、統一したらまた会おう」の言葉は心に残ったようだ。
金日成綜合大学や、非転向長期囚、帰国者との出会いなどの感想も率直に語っていた。
そして「行く前はめっちゃ怖かった。前日も寝られなかった。空港に行く電車の中でも不安で、アボジに電話して号泣してしまった。それでも旅費の二四万五千円が…北京でも泣いていた。平壌に着いて五日経っても、オモニに電話したら『帰ってこい』ではなく、『日本で待っているね』」。
訪問することによって、留学同の活動をしながらも思っていた、「共和国は本当に悪い国なのか?」、「なぜ、韓国は祖国と呼ばないのか」、そんな疑問を解くカギは見つかったようだ。
最後に、税関での仕打ちに怒りをぶちまけていた。「必要以上に荷物をさぐり」、「向こうでの購入物を没収」し、親戚からのお土産一〇個しか許さない、それに一人の女子学生に対して三人もの税関職員が立ち会ったようだ。
最後は大学の物理学の教員。教会訪問を希望したキリスト教徒だ。

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朝鮮が「東洋のエルサレム」と称された布教の経緯と安重根に代表される「抗日の歴史」を述べ、長忠聖堂での金フランシスコ鉄雄さんとの出会いを語った。
そして、スクリーンには、訪朝の次のような感想が映し出された。
「平壌の市街。人びとの姿は、ある充実感と幸福感をもって過ごしているように見えました。しかし、日本のように忙しくなく動いているというのではなく、ゆっくりと時間が流れているような感覚も。釣りをしている人。しゃがんで話をしている人。制服を着た軍人が街中で立ち話をしたり、堤防の道を一般人と散歩していたり、と日常の光景に溶け込んでいました。…」
その後、率直な質疑応答が行られた。 
母親の反対にあったが、父親の後押しで行くことができたという女子大生の、その父親の感想が〆の言葉になったようだ。
「企画の素晴らしさが実感できた。これからも娘を引っ張っていって…」。
最後に主催者が一言。「この場所でやったということSNSなどには…」といいつつ、「まあいいかっ」。
「今、朝鮮について話すこと自体が難しい社会…状況が悪化している時期だからこそ、交流を絶やさないことに意義がある…いずれ大きな実をもたらすのではないか」との主催者の言葉の重みをかみしめた。
打ち上げにもほとんどの人が参加した。下戸だという留学同の金福委員長は、コーラを片手に元気いっぱいその場を仕切っていた。
隣に、報告者の一人、小学校までウリハッキョに通っていたという女子大生の兄が座った。両親は彼も日本学校に送るつもりだったようだが、サッカーをしたくて朝高を選んだという。「妹のように、一度飛び出しても戻ってくるところがあるということが大切なのでは…」としみじみ語っていた。****
 
 *加筆して3月下旬に刊行する『朝鮮学校のある風景』48号に載せます。