私:師匠!本当の幸せとは何なのでしょうか?
師:本当の幸せか。まず、お前さんは今幸せか?
私:今ですか?今は、まあ、幸せでもなければ不幸でもない、、なんて言うか、普通ですね。
師:そうか、普通か。じゃあお前さんはどんなときに幸せと感じるのじゃ?
私:それは、、美味しいものを食べたときだったり、友達と遊んでるときだったり、欲しいものが手に入ったときだったり、、とかですかね。
師:それは素敵な時間じゃのう。それらは本当の幸せではないのか?
私:もちろんそのときは幸せなんですが、時間が経つとまた元の生活というか、いつも通りの当たり前の毎日になってしまうんです。その瞬間だけの幸せのような気がして、、。
師:なるほど。つまり『時間が経つと消えてしまう幸せ』は本当の幸せではないんじゃないかと思うんじゃな。
私:はい、、。
師:ということは、お前さんの思う本当の幸せとは『時間が経っても消えない幸せ』のことなのかもしれんのう。
私:時間が経っても消えない幸せ、、それは最高だと思います。ですが、そんなものなどこの世の中にあるのでしょうか?
師:お前さんはあると思うか?
私:あったらいいなと思う気持ちはあるのですが、いざ考えてみても全然思い当たりません。
師:そうか。これはワシの勝手な考えなんじゃが、ワシは時間が経っても消えない幸せはないと思っておる。
私:そんな、、。じゃあ師匠にとっての幸せも私と同じ『時間が経つと消えてしまう幸せ』なんですか?
師:ワシが思う幸せはお前さんの思う幸せとは少し違うのかもしれんのう。聞くが、お前さんは雨が降ったらどう思う?
私:雨が降ったらですか?いや、とくに何も思わないというか、むしろ濡れるから嫌だなーと思うことはあります。
師:そうか。じゃあ、ご飯を食べるときはどう思う?
私:友達とワイワイしながら食べるときは楽しいですよ。でも、1人で食べるときは別に何にも感じません。毎日食べるものなんで。
師:そうか。じゃあ、お風呂に入っているときはどうじゃ?
私:お風呂もご飯と一緒で、毎日入っているんで何もないですよ。って、さっきからなんでそんな当たり前のことばかり聞くんですか?こんなの幸せでもなんでもないですよ。
師:ふむ。じゃが、世の中には、雨がほとんど降らずに土地が干からびて、今か今かと雨が降るのを待ちわびている人達がいる。その人達にとっては雨が降るということはきっと泣くほど嬉しいことなんだとワシは思うんじゃ。
ご飯もそうじゃ。今も地球のどこかで食べるものがなく餓死していく子供達がおる。その子供達にとってはたった1つのおにぎりが命を救う宝のように感じるはずじゃ。
私:それは師匠の言う通りだと思います。世の中には日本では考えられないような貧しいくらしをしている人達がいるのは知っています。ただ、私は今こうして日本に住んでいるんです。日本に住んでいれば当然のご飯やお風呂を幸せだと思うのは難しいと思います。
師:お前さんの言うことも一理あるかもしれんのう。ただ、ワシはこうも思うんじゃ。世の中には雨が降ることに幸せを感じる人がいる。ご飯を食べられることに幸せを感じる人がいる。お風呂に入れることに幸せを感じる人がいる。我々は日本に生まれてしまったが故に、こういったことに幸せを感じなくなってしまったんじゃなかろうかと。
日本という国は本当に便利で豊かな国だと思う。しかし、便利であるからこそ、大切なものを失いかけているんじゃなかろうか。
私:はあ、、師匠が何をおっしゃりたいのかよく分からないのですが。その国その国で幸せだと感じることが違うのは当然だと私は思います。日本には日本だから幸せだと思えることがあるんじゃないでしょうか?
師:ワシの思う幸せとは『外にあるモノやコト』ではないんじゃ。ワシは外にあるモノやコトを『幸せだと感じることのできる心』こそが何より大切だと思うんじゃ。
雨を幸せだと思う人もいれば、なんとも思わない人もいる。
ご飯を食べられることを幸せだと思う人もいれば、なんとも思わない人もいる。
お風呂に入れることを幸せだと思う人もいれば、なんとも思わない人もいる。
つまり、外にあるモノやコトには本来意味などないんじゃ。ただ、それを『幸せと思う人』と『幸せと思わない人』がいるだけなんじゃ。
ご飯が食べれること、お風呂に入れること。これらのことが当たり前になった瞬間、我々の中から幸せが消えていくのだと思う。しかし、本当は決して当たり前のことではないのかもしれん。
「なんで当たり前のように毎日ご飯が食べれるのだろう?」
米を作ってくれた人、田んぼを耕す機械を作ってくれた人、米をお店まで運んでくれた人、運ぶための車を作ってくれた人、車が走る道路を作ってくれた人、、、
こう考えてみると、自分1人がご飯を食べるためには、一体どれだけの人が関わってくれているのか、そして数えきれない関わってくれた人の誰か1人でも欠けていたらワシの目の前にご飯はできなかったと思うと、決して当たり前なんかとは思えず、幸せな気持ちでいっぱいなるのじゃ。
ワシは幸せなことが起きるのを待つのではなく、起きたことを幸せだと思える『心』を育てていくことが最も大切だと思うんじゃ。
そして、この『心』があれば、そのとき初めて人は本当の幸せを感じることができるのだとワシは思っておる。
私:師匠、、私は、幸せとはどこか外から来るものだと思っていました。「何かいいことないかなあ」が口癖でした。外でのモノやコトが自分を幸せにしたり不幸にしたりするんだと。
でも、違ったんですね。師匠に言われて目が覚めました。
起きたことは元々意味などついていなくて、私自身がそこに勝手に意味をつけていただけなんですね。
今はまだ身につけられてはいませんが、いつかきっとこの『最強の心』を掴んでみせます。
そのためにも、これからもよろしくお願いします。
師:ワシも共に学んでいけることを嬉しく思うぞ。ありがとう。
まとめ
・起きることには元々意味がない
・起きたことを自分でどのような意味を付けるかが大切
課題
・『最強の心』はどのようにすれば身に付けることができるのか