現世(うつしよ)であることの難しさ
この世界は、全てが“私の想いの世界”である。今の現世は、“去りゆく姿”(少し前の私の意識の投影)である。自らが発したものが返ってくる。な~んて、色々言われていますが、自分が発している意識“意図”の純粋さと、現世(うつしよ)であることの難しさを感じることがありました。それは、少し前に起きたことで、好意を持った相手を“理解”したいと思ったこと。でも、現実は理解したいと思えば思う程、相手のことが分からなくなったり、見えなくなっていった。→いつまでも理解し続ける(ずっと相手の事がよく分からない状態)という現実が起こってしまった。そして、その関係性を手放してみて、見えてきた相手を理解したいという気持の裏側にある“自分を理解してほしかった”という気持ち。もちろん、まったく気づかなかった~!なんてことはない。私の感情の癖から考えると、自分でも薄々分かっていた。それでも、せめて“相手の事を先に理解するから”いつか私の事も理解して。。。と自分を正当化していた気がする。自分を理解されたいの奥にある、悲しさ、孤独感、不安感、渇望。。。全て創造主としての自分の“愛”以外から作られた感情の行方はもちろん、調和に向かうことなく現実は。。。。。。。。→→→→→いつまでたっても、私の事を理解してもらえない (笑)という現実が続きました。思考の怖いところだな~とつくづく思いました。人間関係において、“相手を理解しようとする姿勢”って、とっても大切で調和的に思いがちだけれど、その感情の本質が愛からずれていると、やっぱりこうなちゃうんだな~と、勉強させられました。人生、体当たりでお勉強中です(笑)