自慰好意における「屋外」というものについて考えていきたい。
そのために、まずは自慰という前提をおいておき、屋外について考証したい。
以前から考えていたことだが、よくあるAVにおける「屋外」というのは、大抵の場合が”人に見られること”に重きを置いている。
確かに、他人に見られてしまうかもしれないというスリル、見られてしまう羞恥心、背徳感、それらが行為の快感指数に与える効果は絶大だ。だからこそ屋外は一ジャンルとして成立する。屋外ものAVを求める人々が多数存在するという、力強い事実がある以上、その点について私が語る余地は余りにも少ない。
しかし、ここで私は一つの疑問を提起したいと思う。即ちそれは、「人に見られないことを前提とした屋外ものはどう評価すべきか?」ということである。
非常に回りくどい言い方をしてしまったが、つまりはこうだ。「例えば、人の立ち入らない林の中での行為は、屋外ものとして邪道だろうか?」
もちろん、邪道などではない。先ほど挙げ連ねたスリルだの羞恥心だの、そういった要素が皆無であるのに関わらず、だ。
人の立ち入らない、森、海岸、山地。そういった場所での行為には、ロマンがある。それは、大自然。周囲の緑や、風を感じながらの行為は、独特の感触がある。それはまさに、神々に見守られている、とでも表現すべき感覚だ。
つまり、屋外というジャンルには二種類あるのだ。人に見られるものと、神に見られるもの。その二種類。
ここで話を自慰行為に戻す。私は、屋外での自慰好意には、強く後者を推したい。
何故なら、あなたがこれからしようとしている行為は、どこまで言っても”自慰”行為だからだ。自慰行為でなければならない、それならば、他人を都合よく利用するような前者の手段は、自慰行為のプライドを冒している。
切なく、惨めに、汚らしく、惨たらしく、快感を求めて自らを無為にする行為こそ、真に自慰行為のなすべきところだ。人を巻き込んではいけない、迷惑をかけるなどもってのほか。
ならば、人ではなく、神々にご覧いただこう。我々の下種な命の飛沫を、大自然へと降り注ごう。ああ!神様が見てましゅうううううう”う”う”う”う”!!!!!!!!!

