いくつのときだったか。
60台か、70台の初め頃か。
生まれて初めて、雨のそぼ降るなか“三里塚、全国集会”に行ったことは、どうしても忘れられない。仏子駅から6:24amに乗って、成田駅第2ステーションで700円の朝食セットを食べ、10時には現地に着いた。
集会場は畑だ。
足元がゆるく、靴に泥がかさばって重い。歩きにくい。野戦病院のテントや演壇や旗や幟が出来上がる前に参加者がぞろぞろ集まってきて、それぞれトラメガでミニ集会をやりはじめた。ギャラリーはひとりもいない。
物々しい機動隊に阻まれて、旗を巻き付けたむしろを開くと蛇は出てくるわ、靴をビニール袋でくるむわ、にぎりめしは食うわ、“やあ、まあ、お久しぶり”と挨拶は交わすわ。
燃えたり、しょげたり、打ちのめされたり、湧きあがったり、尻すぼみになったり、まさかと思うが半世紀近くも連綿と続き、大多数が屈辱にまみれて逃げ出し、残ったわずかの人たちが後ろめたい末路に閉じこもり、京都や大阪、沖縄のコテンパンにこき下ろされてもめげないやつらの熱い支援を受けて、そいつらは、ガード下の轟音とイガイガする催涙ガスのむかつきに絶えながら、つづけられていたのだ。
いい年をこいて、初めて知ることばかりだった。
でっち上げられて無期をくらった星野文昭のことも、農地を取り上げる法的なやり方も、国交省の天下りが成田の、何十もの会社で税金をがっぽりくすねていることも、そいつに群がる企業が無数にいることも。
何から何まで食い物にされ、海も畑も山も空気も地下水も虫けらまでにも、むさぼり喰って、わが亡き後に洪水よ来たれとご満悦面をかがやかせても、それでもやつらにゃ全然足りやしない。
もっと殺せ!
もっと、もっと!
もっと殺せ!
無数のドン百姓が冤罪でぶち込まれ、つぎからつぎへと無期をかまされた。
それでも生き残ったやつらはめげずにそこに集まって来た。
畑に。
最初に襲ってきたのは、目頭が潤むほどの羨望だ。
誰もが、それぞれに被る屈辱を、むかつきを、切なさを、それぞれで汗とともに握りしめ、ヨタヨタと持ち寄ってくる。
そこにたどりつくまでにずいぶん遠まわりをしたもんだ。
こんなことなら、もっと早く、まだ20代のギンギラギンの頃に、そこにもぐり込んでおけば良かったのに、同じ年頃のやつらが“革命とやら”にうつつを抜かしていたその頃、1965年から1970年頃、僕と来たら、食い扶持稼ぎにドラムカン運びや飯場稼ぎ、土方仕事にとち狂って、カーバイドまみれの粉まみれ、ひと仕事終えると焼酎かっ喰らって、ぶっ倒れていたわけだ。
歩道を転がりながら、小便を漏らしつつ。
彼らが僕よりひどい目にあっていたことはたしかだ。取り囲まれた機動隊にとっ捕まり、棍棒で突き殺され、虫けらのごとく踏み潰されてきたのだ。
語り尽くせない権力の暴虐に抗って、それでも、抗って、抗いつくして、もぬけの殻になっても、なお闘おうとするものたちが、つぎからつぎへと参集してきた。
何かいいことがあるみたいに。
早く着いたやつから順番に、ワインが振る舞われ、おっぱいを触らせてもらえるとでも?
バカをいえ!
畑に尻餅をついて泥に汚れ、誰もが食い入るように壇上を睨む。竹竿で突っつけば当たりそうな鼻先をジャンボ旅客機が、轟音と雲しぶきを上げて、降りてくる。二方向から。
天下りどものやりたがっているのはわかりきっている。
いくつも裁判を仕掛け、金玉にかじりついている畑を毟り盗って、戦闘機、軍用機が乱れ飛ぶ、軍事基地としていつでも使用できるようにと、不届きな怖いもの知らずのドン百姓どもを監獄の糞だまりに蹴散らそうという魂胆だ。
戦争の導火線に火を付けて、反戦屋から平和屋をよろこばせておいて、こっそり代執行が切って落とされるぜ。
やつらのメガネにかなわぬやつなら、弁護士だろうと、議員先生だろうと、ノーベル賞作家だろうと、百戦錬磨の闘士だろうと、屁のカッパさ!
大江健三郎だと?
ソルジェーニツインのお出ましだと?
フン。
山本太郎だと?
小澤一郎に大石あきこ、杉原浩司に福島の牛飼いだと……?
どうぞ。
皆殺しにしろ!!
隠れてこそこそしてないで。
ガザのように!
どうぞ、どうぞ。
みんなの見ている前で開けっぴろげに!
メディアにビラや口コミで勝てるわけはない。やってみればわかるが、自分のちっこいブログでいくらがなり立てても大海の一滴、奔流に投げ込まれて小石同然、跡形もなく消し飛んでしまうのだ。
ネットでもそうスカンクだ。
それがどうした?
ふざけんじゃねーぞ。
ろくでなしどもめぇ!!
不当逮捕、黙秘、獄中闘争で名をあげた闘士たちより、また青春真っ盛りのやつらよりジジババの目玉は、そぼ降る雨の中で、僕らの手の届かない生気が跳ねまわっていた。
しわくちゃの皮膚にも。
見たものに喜びを覚えさせる、いたずら盛りのこわっぱどもに取りかこまれたときみたいに。
「くそったれどもめ!」
神々しさが立ちのぼる。
ジジババは多分、この社会の毒を浴びるだけ浴びて、しわくちゃを作り上げてきたのだ。
90代のふたりの爺さんが演説をぶっていた。
その声にも目玉にも、輝きが跳ねまわって、見上げるものに不思議な喜びを覚えさせる。
そして、そいつは、今真っ盛りだ。2024年の今、踏みつけられてもへいちゃらな玄関マットみたいなやつらがとうとう躍り込むときが来たようだ。
あちこちで、ちっこいが、どでかい抗議が放射能みたいに奔流する。
ニューヨークで、ガザで、ロンドンで、この地・入間で、国会前で、三菱重工で、キリンで、防衛省前で、スターバックスで、ムショで……
……いたるところで。
こいつはちょっとした見ものだ。