毎日が日々、これ暗闘・・・。 | よろぼい日記

よろぼい日記

杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

苦心惨憺、踏ん張ったり、測り直したり、何とかして、なんの薬もやらずに今日もまたかろうじて消えかかった生命をつないだ。

80歳で黄金の花が満開になる幻覚を夢を見て。

 

 

先日久方ぶりにデモに行き、ひとりっきりしかいない顔見知りの公安に、どうしてデモに出るようになった?と聞かれて、そのときはどうしても思い出せなかったが、何日か後に不意と想い出した。

 

60歳になるある日、もらえるとは思っていなかった年金が出ると知って、シルバー人材センターから派遣されていた部品解体屋(松田産業入間工場)を辞め、始めて沖縄へチャリンコ野宿に出かけ、通りがかりのテント(辺野古)に泊まれることを知って厄介になり、それまで遊び半分のいいかっこしいだと思っていた抗議行動という物が、ひょんな事で血まみれの命がけだと知って、やがて私も色んな抗議行動に参加するようになったがためだ。

 

今日は、朝一番で、福永さん家に寄り、北コースを歩き、北21から脇道に入り、桜山展望台の下で一休みし、南コースを進んでいると、ガザのこと、死んだ女性の裸に小便をかけてから頭を蹴飛ばすイスラエルのすらりとしたにーちゃんのこと、必死で老残を不具合から守ろうとしている日々のこと、それらのことを思い浮かべると、何故とはなしに心も体もしゃんとしてくる。

 

熊さんの目撃情報のおかげで、人気は無い。誰もいないベンチで一休みしていると、落ち葉の舞い散る音にどこかでさえずる鳥たちの動きが心に浸みてきて、パレスチナを逃げまわる鳥たちや汚れた猫たちのことをジッと思う。

悲しくはない。

 

今年も危なかったが、ガザのように目に見えるようではない。脳梗塞に放射能や見えない毒が絡まって、血流や膿や排泄を破壊されて、シアワセナ老後とはいえない。

 

 

5、6、7、8月は何とか死線を乗り切り、目下のところ、年が明けてくれるのをなんとはなく待ってはいるが・・・。