病気のお世話をしている そう昔の私。 | あなたの羅針盤を見つけて応援します☆東原由美子(浦和美園 さいたま市)

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心、感情に作用するフラワーエッセンスであなたの悩みを解決。
心のモヤモヤ、生きることに悲観的だったのが、生きることの魅力を再発見できるようにサポートします。

おはようございます。


フラワーエッセンスカウンセリングをしている 東原由美子です。











お時間があれば読んでいただければと思います。


フラワーエッセンスカウンセリングを始めようと思った訳

①フラワーエッセンスとの出会い




今から12年前。長男5か月のころでした。
息子はアトピーと分かり、ほっぺはずーーとただれていました。

布団のシーツは、このときに出る汁で ごわごわになります。
本人は不機嫌になるのは、寝付く時、体が温かくなると、かゆくなるようで、寝付くまで
ずーーと付き合っていました。

病院へも行きました。が、私の中で、病院には不信感というのがどうしてもあったのです。

この不信感の原因は、私の病気にありました。

私は3歳のころには、喘息です。と診断されました。
それから、大学生になるまで、病院とのお付き合いはずーーと続きます。

小学生のときは、1年生の夏休み、入院しました。それから、毎年入院するようになり、6年生の時には、2,3カ月に1回の割合で入院するようになっていました。

このころになると、運動会は出ていません。調子がいいときは体育は出ていました。1泊2日の修学旅行にも行きましたが、夜になると、喘息の発作が起こり、養護の先生や担任の先生に看病されながら過ごしました。

6年生の9月の運動会が終わり退院しました。そして、10月、11月と毎月入院する喘息発作がおこりました。

このころ、母も看病につかれていました。そのとき出た言葉が、

『療養所でお世話になろう。』

でした。

療養所は喘息の子どもたちが長期入るところです。学校も併設されています。

母は『病気を治したい』という気持ちも強かったんだと思います。もちろん、私も毎年、初詣には。
『健康になりますように』は必ずお願いしていました。
でも、我が子は治らない。入院すれば、お金もかかる。(私が小さい頃は乳幼児医療制度はありませんでした。)そんなときにあがった話でした。

私はうれしかったんです。療養所へ行くことが。だって、喘息の心配をしなくていいです。そこは喘息の専門家がいるのですから。そして、同じような友達もたくさんいるのですから。

旅行へ行く気持ちでそこにお世話になりました。

そこに入って、3カ月間。喘息は起こりませんでした。そこにいる看護婦さんは
『何しに、ここへきたんだろうね』と言われる始末です。

では、その3カ月間、何をしていたのかというと。

規則正しい生活。
体を丈夫にするために、乾布摩擦、冷水摩擦、ジョギング、腹式呼吸、筋トレ。
学校へ行く。
毎日1時間の学習時間。

そうなんです。生活環境を整えたのです。それで、喘息とは無縁のときを過ごしました。

しかし、その後、ここでも喘息が起こることがありました。
でも、入院するようなひどいものはありませんでした。

ここで学習したことは、生活環境を整えれば、喘息とは無縁、または軽い状態で過ごせることを経験しました。

そうなんです。
病気は病院が出す薬ではなく、環境を整えれば、治るんです。

そういうことを考えるきっかけになった出来事でした。



1歳すぎたころの長男です。このころのほっぺ。まだ少し赤いですよね。でもこれは肌の調子がいいときだったので、写真をとったんです。

長くなったので、また続きを書こうと思います。


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