“ 自分の好きなことを語る為に他の何かを悪く言って否定するべきではない” 
ーー XJAPAN hide 

こににちはTEDJAPAN 北予です。


日本人が美しいと思うものって
『絹のように滑らかで繊細であり歪みのないもの』
これが一般的であると感じています。





おもんないわ日本人。





日本人の一般人の感性なんぞ
ステレオタイプ化された、元を辿れば誰かの感性がお前の感性なんや。





今回は一般的な日本人からかけ離れたマイノリティかつ、アバンギャルドな貴方へお伝えしていきたい。





『美しさには多様性がある』
ということをおおまかに四つに分けて説明していきたいと思います。





1. 苦労の跡が見えない鉉(ツル)は美しい。

これは南部鉄器の鉉を造る職人の言葉です。


綺麗に仕上げようとして上手くいかない時、触れば触るほどに醜い跡となって現れてきます。
淡路の左官によると
『いらいもっちゃするな』
という言葉もあるほどです。
いらいもっちゃするな、とは触り過ぎるな、余計なことすな、みたいな意味の方言ですね。

苦労の跡が見えないのは腕がある職人である証拠みたいなものでしょう。


勿論、こういった職人を否定するつもりはことさらないですし、引き合いに出して言うことではないのですが、矢張り日本人は繊細で美しいものを好む傾向があります。


繊細さばかりが美しさじゃないよっ、てのがここからの話。




2. もやし 

続けて次も南部鉄器の話になってしまいますが
南部鉄器の鉉には『もやし』という工程を施すことがあります。

古びれたように見せるためにわざと鉉の形を歪にしています。

これは建築業界でもエイジングといったものがあり わざわざ古めかしくお洒落気に加工を施すわけですね。

ジーンズで言えばダメージジーンズみたいなものか。


北予はノンウォッシュのインディゴの香りが薫る状態から履き込みたいタイプなのでダメージ加工は好かんですが、こういった『もやし』という趣のものが美しいと感じる感覚は まあ分からんでもないです。




3. 東洋の絨毯には少なくとも一ヶ所は意図的な乱れがある。

どの絨毯も結び目の少なくともひとつはわざとほつれさせてある。

これは人間が完璧な存在ではないことを想起させる。

と、同時に『乱れ』は返って美しさとなる。


このあたりの感性がバカな日本人には無い。







“ 自分の好きなことを語る為に他の何かを悪く言って否定するべきではない” 
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4. ヨーロッパや地中海の荒々しい石張りの街並み。荒かましいレンガの目地。

私のクライアントにヨーロッパにかぶれた者が居た。

『とにかくギザギザにしてくれ、真っ直ぐとか綺麗なハッキリした境目は嫌だ』
、と。

最初はこの感覚が分からなかった北予だったが、次第に彼の感性が理解出来るようになった。
荒々しさの中に趣があるということを。

そして今現在、この『荒かましさ』を求める声がにわかに感性の高い客から出だしている。

果たしてこの要望や需要に日本の職人が応えることが可能だろうか?

これは意外なことに、
例えば日本の腕のたつ左官職人が敢えて荒く雑にやったところで上手くというわけでは無い。

荒く仕上げるのは荒く仕上げる技術が必要であって、日本の左官は荒く仕上げる修行はしないだろうし、荒く仕上げる技術など日本には存在しない。
(※パターン仕上げは荒さではない) 


また、精度を求められる日本の現場でいつもピシピシの目地を切ってるレンガ積み職人が出来る仕事ではない。


初期のパブロピカソが繊細なタッチの絵を描いていたことをご存じだろうか? 
イサムノグチが師から学んだ作風から抜け出すのにどれだけ苦労したからご存知だろうか? 

荒く仕上げる技術は繊細に仕上げる職人が簡単に出来る仕事ではない。

『荒く仕上げる技術』とは既存の日本の技術とは全く次元の違う技術ということだ。




まだまだある
『美しさの多様性』

豊臣秀吉と千利休の朝顔の話も思い浮かんだりする次第です。





また明日ー!