こんにちは。
本日は堀辰雄「燃ゆる頬」、室生犀星「お小姓児太郎」、木下杢太郎「少年の死」を読みました。どれも同性愛を題材にしたものです。
青空文庫で読めます。
堀辰雄「燃ゆる頬」
”私”と三枝は、お互いに友情を超えた感情を持っていました。二人は休暇に旅に出かけますが、”私”はその旅先で、美しい少女と出会い・・・。
”私”が三枝の脊椎カリエスの跡に触れる場面は印象深いです。
他に、”私”が学校の庭の花をくしゃくしゃにしてしまう描写に何だか残酷さを感じました。
室生犀星「お小姓児太郎」
髪結い弥吉は児太郎の美しさに魅了され、児太郎の元で働くこととします。残忍な児太郎に酷い仕打ちを受けることになりますが、やがて悦に入るようになります。
「爪を剪ってくれい。」そう主人の命咐を酔った手つきで、白脛の投げ出されたときは、実際からだが震えるほど、ぞっと嬉しかった。(抜粋)
この文章でこちらもぞっと来たもんです。
木下杢太郎「少年の死」
少々妄想癖のある土屋富之助という美少年が、上級生の鹿田功や学校の成績等に悩まされて入水自殺してしまう。
これは同性愛の部類のものか、正直悩ましいですが、富之助が鹿田の稚児であったと書かれていましたのでここに置いておきます。
悩みのタネは違っているにしろ、なんだか彼の悩みは私も感じたことがないでもないのです。人によって色々考える者があるが、退屈するか、人を選ぶやもしれません。
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どれも美少年が不幸な末路を辿るのです。たしかに、美少年が儚く散ってゆくのはとても幻想的で、切なくも美しいと感じます。
「燃ゆる頬」では、”私”が三枝への気持ちの薄れる中、三枝からのラブレターが”私”へ届くのです。三枝は脊椎カリエスを悪くして、結局二人は再会を果たすことはありませんでした。
作者の堀辰雄には、自分の気持ち、”私”の気持ちが薄れても、学校一の美少年は死の間際まで自分を好いてくれているという理想、願望があったのではないでしょうか。
作者は異なりますが、「少年の死」でも、[美少年たる富之助を頤使するといふことを自慢にしてゐるらしく見えた]とありました。やはりそうなのでしょう。
最後に
「燃ゆる頬」、「お小姓児太郎」、に共通する、主人公達の美少年への気持ちの冷め方や突き放し方が残酷で、本当に怒りすら湧きます。
ぜひ変わりなさい。