シーサイドモーテルという映画を見ました。
麻生久美子がとてもとても魅力的でエロくて、可愛かったです。
生田斗真もめちゃめちゃかっこ良かったです。

・・・まあ、出演者のお話は置いといて。

テーマが「騙し合い」の作品。裏テーマというか、「騙し合う」事によって生じる「すれ違い」も楽しめました。
あるさびれたモーテルの各部屋で起こるストーリー。
それぞれが微妙に干渉しあって、影響を及ぼしていく。
話自体はとても面白かったんですが、ついていくのが大変かな?と思ったりしました。
話があっちこっちに散らばったりしないようにうまいこと演出でリンクさせているんですが、
それでいて尚、難しい部分もありました。
結局、どこに注目すればいいのか?という事になったりも。
あっちを見ていて覚えていたら、こっちを中心に展開していって・・・という感じで、面白いんだけど、なにか消化しきれてない違和感を覚えたりもしました。
それもひとつの狙いだったのかもしれませんが、もう少しまとめるか、お互いをリンクさせて、伏線伏線伏線を張っての、回収、があっても良かったと思います。
シャレオツな言葉で言うと、カタルシスが足りない、ってやつですかね。
そして、結局誰もハッピーエンドになっていない。
これはまあ、ハッピーエンドにしなければいけないのか?という事になりますが、言い換えれば着地点はどこなのか?ということです。
「ハッピー」でも「バッド」でも無い「お任せ」なエンド。
あんまり好きではありません。
キャラクターは立っているのに、ストーリーがうまく絡まってない。と感じました。

面白かったんだけど、どこか腑に落ちない。そんな作品です。
大日本人を見たのはそういえば、大阪の頃だったなあとか思い返しながら。
映画館なのに「えー・・・」ってつい言ってしまったあの頃。
今作も「えー・・・」が冒頭から溢れ出ていました。
観終わっての感想は、「よく分からない」です。
でも、分からないまま終わるのは悔しいので考察をひねり出しました。

まず、最初に男(松本人志)が目覚めるちんこスイッチがある白い部屋。
画像で ―修行― と出たあの部屋は、「子ども時代」を現していたのではないかと。
望めばなんでも手に入りますが、時には違ったものが与えられてしまう。
だけど、その自分の欲求と違う与えられたものすら遊びに変えてしまう。
そんな無垢な子ども時代を現しているんだと思います。ちんこスイッチのもとになっている銅像も子どもですし。

そして、部屋から脱出出来たと思ったらカギがなかったり、南京錠のキーナンバーがなかったり、
あげくの果てには、狭い部屋に閉じ込められてしまいます。
あれは文字通り「子どもから大人へと変わる葛藤」を現していたと考えます。
男はあの部屋で何を思い出していましたか?
そう、前の部屋での「楽しい思い出」です。
その前の部屋は「子ども時代」で、何も考えずに、与えられたもので楽しんでいればよかった。
なぜ出てしまったのだろう?
ここで一生暮らすことになるのだろうか?
こんな事になるなら、子どものままでよかったのに・・・。
そんな思いが男を襲います。
しかし、ひとしきり泣き明かした後、本来の出口とは違う出口を見つけます。
男はその出口から走り、走り、走り続けます。
走っている間は、「子どもから大人への道のり」を表しているんでしょうね。
相当長い間走った後、また、「子ども時代」と同じようなちんこのスイッチが沢山ある部屋に行き着きます。
そして画像では ―実践― と。
ただ違うのは、部屋が薄暗く、ちんこスイッチのもとになる銅像は青年へと姿を変えています。
あの部屋は「社会」です。
「社会」では、子ども時代に培った ―修行― をもとに、実践をしていくのです。
この考察が表すとおり、「子ども時代」と同じように、スイッチを押しても何も起こりません。
変わりに、そのスイッチとリンクするように現実世界で色々な事が起こります。
そう、「社会」では、自分の行動が世界に影響を及ぼしていくのです。
「子ども」とは違い、何も与えられる事が無いと悟った男は、
壁に無数にあるスイッチにつかまりながら上へ上へと登っていきます。
そして、大きなちんこスイッチのある場所へとたどり着きます。
画像には ―未来― と。
そのスイッチを押そうとかけ出したところで、映画は終わってしまいます。
あの部屋が表すのは、文字通り「未来」なんでしょう。
色々な事柄を起こして、「社会」という ―実践― を乗り越えた先に何があるのか分からない。
だからこそ、映画はあそこで終わっているのです。


以上が、「しんぼる」の考察です。
まあ、訳分かんないですね。自分で書いてて最後は無理やりと思いますし。
だいたい、ちょっと前の映画だから、どっかでまっちゃんも自分の考えを話しているかもしれないし。
さんざん考察しつくされているでしょうしね。
ただまあ、「分からない」のままで終わるのは悔しいし思考停止なので、考察等は見ずに、思うままにこうやって書いてみました。
「さや侍」も期待しています。