花曇りというのか、霞がかかったように空が霞んでいた。木爪の花が、恰も豚の生血で染めでもしたように真赤に咲いていた。可愛い薔薇の蕾が日に日に膨らんできた。
野原が青くなり、水辺に侘しく枯れていた葦の芽が輝きはじめた。青い草原に区切られた地平線上には、白い雲がふわりと浮んでいる。
黒い耕土が柔かな日光と柔かな草に包まれて、そこから薄絹のような陽炎がたちのぼる。
阿達山の櫟(くぬぎ)の若芽が水のような柔かな木陰をつくっていた。その若葉をくぐって、時折名も知らぬ小鳥がささやかな影を投げては消える。
辺りの路傍の草の上には、白い杏の花びらがこぼれて、ゆく春の侘しさを漂わせていた。青い麦畑、赤土の小径、ひょろひょろと伸びた若木の小径、そこにも何処からとなく、真白な杏の花びらが散っていた。
青い柳の中には、忘られたように彩のあせた文廟が見えていた。そこにもゆく春の侘しさは漂っていた。ゆく春の歎きを深く見せていた。
春というものの有難さと、悩ましさを感じるのは、こうした落花を見初める頃からであった。夢のように飛んでいく柳絮もまた儚いものの一つであった。
それはある日の静かな放課後であった。
私は学童養鶏の打合せのために学校に出かけた。流石に学校の職員室だけあって、応接テーブルには清雅な花瓶が置かれ、生徒が手折ってきたらしいライラックや可愛い小米桜の花が挿されて、その清い香が遠く室外にまで流れていた。
若い先生達は今日の事務整理と、明日の教案の作成に疲れも忘れてペンを走らせていた。その中央部には老眼鏡をかけた柔和な菅校長が、月終報告らしいものを子細に調べていた。何か話し合っている声が室外に洩れてきた。
私は会議らしいその様子を見て、直に職員室に入ることを躊躇した。そして暫く廊下の掲示場の掲示を見ながら佇んでいた。
すると今まで書類を繰っていた菅校長は眼鏡越しに、自分の直ぐ前に坐っているS先生に目を注ぎながら、
「S先生、尹東黙は随分永い間休みましたね。」
「はァ、もう二十日ばかり欠席しておりますが・・・。」
六年生の受持ちの若いS先生は、自分の受持ちの東黙が欠席してからもう二十日になるので、非常に気にかけていただけに、この老校長からの質問でギクリとしたらしかった。
「病気ですか。」
「はァ、いや病気ではありませんが。」
S訓導は聊か当惑したようであった。
「じゃァ、何か事故ですか。」
菅校長は柔和な顔の眉のあたりに小さい皺をよせ顔を曇らせて言った。
「いや別に事故ではありません。校長先生もご承知の通り、彼の家は非常に貧困でありまして・・・。」
「ふゥん。それは気の毒ですね。」
「それで月々の月謝さえも納められず、何でも付近の生徒の話を聞きますと、近く退学の手続きをすると言っていますそうですが・・・。」
青年訓導のS先生は、自分の受持ちのクラスの中にそうした悲しい生徒のいることをたまらなく淋しく思って唇を噛んだ。
「ほう、それは可哀想だな。養鶏貯金はやっていないのですか。」
そう言って菅さんは書類から目を離して顔を上げた。
掲示場の傍らにいた私は「養鶏貯金はやっているのですか」の声に、何だか私が質問されているような気がして、妙に引き付けられてしまった。
「いや、昨年の春、あの部落には組合の理事さんが種卵を下さったのですが、丁度そのとき巣鶏がなかったので、東黙の家だけが孵化が出来なかったのです。」
「そうでしたか。そのときに巣鶏があって、養鶏貯金さえやっていたら、今日の心配はなかったのだね。」
「はァ、そうです。でも巣鶏が出来なかったものですから・・・。」
S訓導は、自分の教え子が貧困のために、近く退学しなければならぬかと思うと、師範学校を出たばかりでまだ純情であるだけに、暗然たらざるを得なかった。
「それにあの生徒は真面目な子供であるだけに、一層可哀想だ。また六年で今一息というところで退学させてしまうのは、本当に惜しいことだな。」
三十年間も育英に身を捧げてきた同情深い老校長にとっては、たった一人ではあるが、この真面目な東黙を失うことは、本当に残念なことだ。しかもそれが貧困のためであることは、更に堪えられない淋しさであった。
「校長先生、お願いです。何とかして彼を救ってやって下さい。」
S訓導は恐ろしく真剣な顔になり、その語尾が少しふるえた。
S訓導は、どうしてもあの可憐な少年東黙の退学を黙視していることは出来なかった。どうかして、せめて普通学校だけは卒業させてやりたいものだと心の底から願った。
二人の間にはやや暫く沈黙が続いた。菅校長はまた静かに書類を取り上げた。
「いいです、S先生。じゃ今日夕方、私の官舎にまで一寸来るように伝えておいて下さい。」
菅校長は今修学の中途で倒れんとしている我が教え子東黙を助け起すよりも、絶対に倒れないようにしてやるべきだ。倒れてしまってからでは却って骨が折れるものだ。どうしても倒れぬ前に手を添えてやるべきだと思った。
「はァ、伝えますがどうぞ校長先生、彼を責めないで下さい。」
「ええ分っていますよ。私は彼に同情こそすれ、彼を責める権利は一つもないと思っています。」
「はァ、分りました。」
S訓導はただ安心したように頷いた。
「実はねS先生。私は昨年の春、理事さんから種卵を頂いて孵化した白レグが今十羽おりますから、その内の五羽を東黙に分けてやるつもりです。」
「はァ、それはどうも・・・。」
「それに今全部卵を産んでいるのだから、五羽やれば月謝は充分払えるわけですからね。」
菅校長は貧困のために苦しんでいる東黙を悦ばせてやりたい。東黙の家庭を幸福にしてやりたい。そのためには与えられるだけは捧げてやりたいものだと思っていた。そして彼を呼び寄せて励ましてやりたい。たった一言でもよい、愛に満ちた言葉をかけてやりたい。愛に満ちた言葉こそ、本当に彼を蘇えらすものだと思った。
「校長先生、あ、ありがとうございます。」
S訓導の声はうるんだ。S訓導はあまりの嬉しさに、老校長の顔をただまじまじと見るばかりであった。老校長を伏し拝みたいような気にさえなった。
「S先生、与うる者は受くる者よりも幸なりですよ。先ず第一与うる前に嬉しいし、与うる瞬間に嬉しい。また与えた後でも嬉しいですよ。」
「はァ、さようでございます。」
「そして遂に与えたことさえ忘れてしまって、何とはなしにただ嬉しいものですよ。」
「はァ。」
S訓導は頷くばかりであった。
「理事さんが毎年毎年数千個の種卵をよろこんで無償配付されているその心境が、今私にもどうやら分るような気がしますよ。」
菅さんの顔はいつになく輝いた。
「はァ、全く理事さんは、毎年毎年農民のために、沢山種卵を無償で配付されていますが、私共はああした尊い行為に感動するだけの明るい心を持ちたいと思っています。」
純真な思想を持った訓導と、熱心な教育家である菅校長との間には、東黙の欠席をめぐって美しい師弟愛の話が続いて、何時果てるともみえなかった。
私はそんな会話を聞きながら、掲示場のほとりや、校庭の植込みのそちこちを低回した。
私の直ぐ目の前には、数本の落葉松が植えつけられてあった。その枝からすくすくと伸びているさみどりの新しい芽の一つ一つを見守った私は、そうっとその新芽に触ってみた。尊いほど美しい新芽だ。全く心の奥底から清められるようだ。一切を捨て、一切の小智と小我を捨てる者にこそ春が蘇って来るのだ。
心頭の雑念を去って、自然の天地を見るべきだ。そして更に進んで、人生と自然に対し感激を持つべきだと思ったりした。
もう阿達山下には、暖かい春風が吹いていた。この春風に吹かれるとき、我も人もまた可憐な東黙にも等しく春が蘇っていた。
私はもうそれ以上、この美しい師弟愛、人間愛の話をじっと聞いている訳にはいかなかった。
私は職員室に通ずるコンクリートの段を上って行った。その正面には斎藤理事長が嘗て生徒の集卵を激励するために贈られた丸い大時計がかかっていたが、それがコチコチと静寂を破って時を刻んでいた。
私は、古典的な建物である職員室の硝子戸を開けて入った。
「こんにちは。」
「やァ、いらっしゃい。」
にこやかに笑った菅さんは、見ていた書類を自分の前に押しやった。
「実はさっき来ましたが、お打合せのようでしたから・・・。」
私はたった今まで、慈愛深い校長と、純情の若い訓導との会話を盗み聞いて、その美しい師弟愛に胸を打たれたのであったが、流石にそれとは言えなかった。
「いや、別に打合せというわけではありませんが、ご存知の東黙が、折角六年生になったのに、月謝が払えないで退学するというものですから・・・。」
それから菅校長は、今の打合せの結果を要領よく話してくれた。
「まァそんなわけで、今度は彼に成鶏を飼わせるつもりです。」
「そうですか。実は今外で少しはお話を伺ったのですが、そうすれば東黙は救われますね。あの東黙は昨年の春、不幸にして巣鶏が出来なかったのです。」
「そうですよ。」
菅さんは大きく頷いた。
「それが今日の退学という不幸な原因になったことは、本当に可哀想です。」
「それで実は、あなたから種卵を頂いて育てた私の白レグ十羽の内、五羽を彼の今後の生きた学資として贈るつもりです。」
「いや、成鶏なら私の家に沢山おりますから・・・。」
私は十羽しかいない菅さんの鶏を半分わけなくても、私の鶏を分けてよいと思った。
「はい、有難うございます。でもあなたの種鶏は郡民の養鶏のために飼っておられるのですから、一羽だって貴重です。それに東黙は私の教え子ですから、私が当然面倒をみてやる義務があるのです。」
菅さんはそう言って、にっこりと笑った。可愛い自分の教え子、しかもあと一年で卒業というところまで漕ぎつけて来た彼を、今ここで退学の悲しい道を歩ませることは、何としても忍びないことであった。
菅さんは自分としてはそう大したことはできないにしても、自分で出来るだけのことは真剣になってやってやりたい・・・そうすれば彼も救われて喜び、また自分も嬉しい。更に何か出来る力を与えられたということが、自分自身にとってもっと嬉しいことであると思っていた。
私は十羽しかいない鶏を、五羽分けてやるという菅さんの気持ちを尊く思った。
「そうですか、ではどうぞそうして東黙を救ってやって下さい。東黙の部落は尹中燮君の部落でしたね。」
私は育雛の講習に行った中燮の存在をふと思い浮べたのであった。
「ええそうです。卒業生の中燮君もいるので、万事に好都合です。」
「中燮君は先生もご存知のように、先だって記念植樹の日に、道の試験場の育雛の講習に行って、帰る時自分達が育てた雛をそっくり貰って帰ったのですよ。」
「それはなかなか面白い試みでしたね。」
「そうですよ。ただ育雛の講習だけでは効果が挙がらなかったのですが、自分が手にかけて世話して育てたものが自分のものになるところに、従来の講習との違いがあるのです。何でも三十羽貰ってきたと言ってましたよ。」
私はこのような講習の方法も相当効果的だと思った。つまり育雛に成功しようと思えば、最もよく雛を愛さなければならず、最もよく愛するには、雛というものを知らなければならぬ。最もよく知るには、最もよく愛さなくてはならぬ。だから愛することと知ることとは、常に両立すべきだと思った。
「それで三十羽の鶏は、皆元気で育っているのですか。」
「ええ、立派に育っていますよ。それに中燮君も講習に行ってきてから、非常に養鶏に熱心ですよ。」
私は、誰でもあるところまでは進む熱心さはあるが、そのあるところの境界線を、一段上に飛び越すのが大きな努力であって、そこに特別の勇気を要するのであるが、中燮君の如き青年には、この大なる勇気をつけてやることが将来必要だと思った。
「まァ卒業生や在学生が農業に励み、勉強をしながら養鶏をして、利益をあげていることは嬉しいことですね。」
菅さんは自分の手塩にかけている卒業生や生徒の日常の事を思って、自ら満足していた。
私はそれから暫く学童の養鶏のことについて打合せをして、学校を辞した。
学校の裏側の籬の裾には、真白い雪のような小米桜が人の世を憚(はばか)るように慎ましやかに咲いていた。私は学校の門を出た。そして私は路傍に咲き乱れている草の花を見た。それらの草の花一つ一つがみなそれぞれの自分の世界を持ち、自分自身の悟りを持って咲いているようにみえた。
私はその一茎の路傍に咲いた草の花を見て、その驚異に打たれて、大自然の尊さをしみじみと味わった。そして大自然の尊いということは、頭で受け容れるべきでない。必ず魂で受け入れるべきだと思ったりした。
私は更に路傍の一茎の草の花にも等しい、この東黙君と中燮君の二人の少年に心を引き付けられてしまった。
その日のことであった。
校庭の籬に侘しく咲いている小米桜に夕闇が迫ってきた頃、私は江東邑内の裏道を、籠に入れられた真白い鶏を、輝いた目で幾度も幾度も覗き、ほほ笑みながら帰って行く一人の学童を見た。
その学童こそ、江東普通学校の六年生尹東黙であった。
我が教え子を思う菅校長の師弟愛は、貧しくも模範生である彼を退学させるには忍びなくて、遂に自ら愛鶏の半分を割いて、その退学をせき止めたのであった。
菅校長の愛のプレゼント五羽の鶏の卵は、東黙の月謝となり、学用品となり、楽しい修学旅行費と変った。
その翌年の三月、遂に蛍雪の功なって、栄えある卒業証書は六十余名に授けられた。その輝く卒業生の中に一段の希望と悦びを見せていたのは尹東黙の顔であった。
更に自分の教え子を、今こそ校門より送り出す菅校長の目にも感激の涙が光っていたことも忘れられないことであった。
天知る、地知る。人は知らざるべし。知らるるを求めず、自らその分を尽して楽しむ菅校長のその心境と、また貧困に苦しみ、泣く、人は知らざるべし、自ら涙を拭って立つ、天知る、地知るが故に堪うる東黙の健気な心事を思いやって、私もまた感激の涙が滲み出るのをどうすることも出来なかった。
野原が青くなり、水辺に侘しく枯れていた葦の芽が輝きはじめた。青い草原に区切られた地平線上には、白い雲がふわりと浮んでいる。
黒い耕土が柔かな日光と柔かな草に包まれて、そこから薄絹のような陽炎がたちのぼる。
阿達山の櫟(くぬぎ)の若芽が水のような柔かな木陰をつくっていた。その若葉をくぐって、時折名も知らぬ小鳥がささやかな影を投げては消える。
辺りの路傍の草の上には、白い杏の花びらがこぼれて、ゆく春の侘しさを漂わせていた。青い麦畑、赤土の小径、ひょろひょろと伸びた若木の小径、そこにも何処からとなく、真白な杏の花びらが散っていた。
青い柳の中には、忘られたように彩のあせた文廟が見えていた。そこにもゆく春の侘しさは漂っていた。ゆく春の歎きを深く見せていた。
春というものの有難さと、悩ましさを感じるのは、こうした落花を見初める頃からであった。夢のように飛んでいく柳絮もまた儚いものの一つであった。
それはある日の静かな放課後であった。
私は学童養鶏の打合せのために学校に出かけた。流石に学校の職員室だけあって、応接テーブルには清雅な花瓶が置かれ、生徒が手折ってきたらしいライラックや可愛い小米桜の花が挿されて、その清い香が遠く室外にまで流れていた。
若い先生達は今日の事務整理と、明日の教案の作成に疲れも忘れてペンを走らせていた。その中央部には老眼鏡をかけた柔和な菅校長が、月終報告らしいものを子細に調べていた。何か話し合っている声が室外に洩れてきた。
私は会議らしいその様子を見て、直に職員室に入ることを躊躇した。そして暫く廊下の掲示場の掲示を見ながら佇んでいた。
すると今まで書類を繰っていた菅校長は眼鏡越しに、自分の直ぐ前に坐っているS先生に目を注ぎながら、
「S先生、尹東黙は随分永い間休みましたね。」
「はァ、もう二十日ばかり欠席しておりますが・・・。」
六年生の受持ちの若いS先生は、自分の受持ちの東黙が欠席してからもう二十日になるので、非常に気にかけていただけに、この老校長からの質問でギクリとしたらしかった。
「病気ですか。」
「はァ、いや病気ではありませんが。」
S訓導は聊か当惑したようであった。
「じゃァ、何か事故ですか。」
菅校長は柔和な顔の眉のあたりに小さい皺をよせ顔を曇らせて言った。
「いや別に事故ではありません。校長先生もご承知の通り、彼の家は非常に貧困でありまして・・・。」
「ふゥん。それは気の毒ですね。」
「それで月々の月謝さえも納められず、何でも付近の生徒の話を聞きますと、近く退学の手続きをすると言っていますそうですが・・・。」
青年訓導のS先生は、自分の受持ちのクラスの中にそうした悲しい生徒のいることをたまらなく淋しく思って唇を噛んだ。
「ほう、それは可哀想だな。養鶏貯金はやっていないのですか。」
そう言って菅さんは書類から目を離して顔を上げた。
掲示場の傍らにいた私は「養鶏貯金はやっているのですか」の声に、何だか私が質問されているような気がして、妙に引き付けられてしまった。
「いや、昨年の春、あの部落には組合の理事さんが種卵を下さったのですが、丁度そのとき巣鶏がなかったので、東黙の家だけが孵化が出来なかったのです。」
「そうでしたか。そのときに巣鶏があって、養鶏貯金さえやっていたら、今日の心配はなかったのだね。」
「はァ、そうです。でも巣鶏が出来なかったものですから・・・。」
S訓導は、自分の教え子が貧困のために、近く退学しなければならぬかと思うと、師範学校を出たばかりでまだ純情であるだけに、暗然たらざるを得なかった。
「それにあの生徒は真面目な子供であるだけに、一層可哀想だ。また六年で今一息というところで退学させてしまうのは、本当に惜しいことだな。」
三十年間も育英に身を捧げてきた同情深い老校長にとっては、たった一人ではあるが、この真面目な東黙を失うことは、本当に残念なことだ。しかもそれが貧困のためであることは、更に堪えられない淋しさであった。
「校長先生、お願いです。何とかして彼を救ってやって下さい。」
S訓導は恐ろしく真剣な顔になり、その語尾が少しふるえた。
S訓導は、どうしてもあの可憐な少年東黙の退学を黙視していることは出来なかった。どうかして、せめて普通学校だけは卒業させてやりたいものだと心の底から願った。
二人の間にはやや暫く沈黙が続いた。菅校長はまた静かに書類を取り上げた。
「いいです、S先生。じゃ今日夕方、私の官舎にまで一寸来るように伝えておいて下さい。」
菅校長は今修学の中途で倒れんとしている我が教え子東黙を助け起すよりも、絶対に倒れないようにしてやるべきだ。倒れてしまってからでは却って骨が折れるものだ。どうしても倒れぬ前に手を添えてやるべきだと思った。
「はァ、伝えますがどうぞ校長先生、彼を責めないで下さい。」
「ええ分っていますよ。私は彼に同情こそすれ、彼を責める権利は一つもないと思っています。」
「はァ、分りました。」
S訓導はただ安心したように頷いた。
「実はねS先生。私は昨年の春、理事さんから種卵を頂いて孵化した白レグが今十羽おりますから、その内の五羽を東黙に分けてやるつもりです。」
「はァ、それはどうも・・・。」
「それに今全部卵を産んでいるのだから、五羽やれば月謝は充分払えるわけですからね。」
菅校長は貧困のために苦しんでいる東黙を悦ばせてやりたい。東黙の家庭を幸福にしてやりたい。そのためには与えられるだけは捧げてやりたいものだと思っていた。そして彼を呼び寄せて励ましてやりたい。たった一言でもよい、愛に満ちた言葉をかけてやりたい。愛に満ちた言葉こそ、本当に彼を蘇えらすものだと思った。
「校長先生、あ、ありがとうございます。」
S訓導の声はうるんだ。S訓導はあまりの嬉しさに、老校長の顔をただまじまじと見るばかりであった。老校長を伏し拝みたいような気にさえなった。
「S先生、与うる者は受くる者よりも幸なりですよ。先ず第一与うる前に嬉しいし、与うる瞬間に嬉しい。また与えた後でも嬉しいですよ。」
「はァ、さようでございます。」
「そして遂に与えたことさえ忘れてしまって、何とはなしにただ嬉しいものですよ。」
「はァ。」
S訓導は頷くばかりであった。
「理事さんが毎年毎年数千個の種卵をよろこんで無償配付されているその心境が、今私にもどうやら分るような気がしますよ。」
菅さんの顔はいつになく輝いた。
「はァ、全く理事さんは、毎年毎年農民のために、沢山種卵を無償で配付されていますが、私共はああした尊い行為に感動するだけの明るい心を持ちたいと思っています。」
純真な思想を持った訓導と、熱心な教育家である菅校長との間には、東黙の欠席をめぐって美しい師弟愛の話が続いて、何時果てるともみえなかった。
私はそんな会話を聞きながら、掲示場のほとりや、校庭の植込みのそちこちを低回した。
私の直ぐ目の前には、数本の落葉松が植えつけられてあった。その枝からすくすくと伸びているさみどりの新しい芽の一つ一つを見守った私は、そうっとその新芽に触ってみた。尊いほど美しい新芽だ。全く心の奥底から清められるようだ。一切を捨て、一切の小智と小我を捨てる者にこそ春が蘇って来るのだ。
心頭の雑念を去って、自然の天地を見るべきだ。そして更に進んで、人生と自然に対し感激を持つべきだと思ったりした。
もう阿達山下には、暖かい春風が吹いていた。この春風に吹かれるとき、我も人もまた可憐な東黙にも等しく春が蘇っていた。
私はもうそれ以上、この美しい師弟愛、人間愛の話をじっと聞いている訳にはいかなかった。
私は職員室に通ずるコンクリートの段を上って行った。その正面には斎藤理事長が嘗て生徒の集卵を激励するために贈られた丸い大時計がかかっていたが、それがコチコチと静寂を破って時を刻んでいた。
私は、古典的な建物である職員室の硝子戸を開けて入った。
「こんにちは。」
「やァ、いらっしゃい。」
にこやかに笑った菅さんは、見ていた書類を自分の前に押しやった。
「実はさっき来ましたが、お打合せのようでしたから・・・。」
私はたった今まで、慈愛深い校長と、純情の若い訓導との会話を盗み聞いて、その美しい師弟愛に胸を打たれたのであったが、流石にそれとは言えなかった。
「いや、別に打合せというわけではありませんが、ご存知の東黙が、折角六年生になったのに、月謝が払えないで退学するというものですから・・・。」
それから菅校長は、今の打合せの結果を要領よく話してくれた。
「まァそんなわけで、今度は彼に成鶏を飼わせるつもりです。」
「そうですか。実は今外で少しはお話を伺ったのですが、そうすれば東黙は救われますね。あの東黙は昨年の春、不幸にして巣鶏が出来なかったのです。」
「そうですよ。」
菅さんは大きく頷いた。
「それが今日の退学という不幸な原因になったことは、本当に可哀想です。」
「それで実は、あなたから種卵を頂いて育てた私の白レグ十羽の内、五羽を彼の今後の生きた学資として贈るつもりです。」
「いや、成鶏なら私の家に沢山おりますから・・・。」
私は十羽しかいない菅さんの鶏を半分わけなくても、私の鶏を分けてよいと思った。
「はい、有難うございます。でもあなたの種鶏は郡民の養鶏のために飼っておられるのですから、一羽だって貴重です。それに東黙は私の教え子ですから、私が当然面倒をみてやる義務があるのです。」
菅さんはそう言って、にっこりと笑った。可愛い自分の教え子、しかもあと一年で卒業というところまで漕ぎつけて来た彼を、今ここで退学の悲しい道を歩ませることは、何としても忍びないことであった。
菅さんは自分としてはそう大したことはできないにしても、自分で出来るだけのことは真剣になってやってやりたい・・・そうすれば彼も救われて喜び、また自分も嬉しい。更に何か出来る力を与えられたということが、自分自身にとってもっと嬉しいことであると思っていた。
私は十羽しかいない鶏を、五羽分けてやるという菅さんの気持ちを尊く思った。
「そうですか、ではどうぞそうして東黙を救ってやって下さい。東黙の部落は尹中燮君の部落でしたね。」
私は育雛の講習に行った中燮の存在をふと思い浮べたのであった。
「ええそうです。卒業生の中燮君もいるので、万事に好都合です。」
「中燮君は先生もご存知のように、先だって記念植樹の日に、道の試験場の育雛の講習に行って、帰る時自分達が育てた雛をそっくり貰って帰ったのですよ。」
「それはなかなか面白い試みでしたね。」
「そうですよ。ただ育雛の講習だけでは効果が挙がらなかったのですが、自分が手にかけて世話して育てたものが自分のものになるところに、従来の講習との違いがあるのです。何でも三十羽貰ってきたと言ってましたよ。」
私はこのような講習の方法も相当効果的だと思った。つまり育雛に成功しようと思えば、最もよく雛を愛さなければならず、最もよく愛するには、雛というものを知らなければならぬ。最もよく知るには、最もよく愛さなくてはならぬ。だから愛することと知ることとは、常に両立すべきだと思った。
「それで三十羽の鶏は、皆元気で育っているのですか。」
「ええ、立派に育っていますよ。それに中燮君も講習に行ってきてから、非常に養鶏に熱心ですよ。」
私は、誰でもあるところまでは進む熱心さはあるが、そのあるところの境界線を、一段上に飛び越すのが大きな努力であって、そこに特別の勇気を要するのであるが、中燮君の如き青年には、この大なる勇気をつけてやることが将来必要だと思った。
「まァ卒業生や在学生が農業に励み、勉強をしながら養鶏をして、利益をあげていることは嬉しいことですね。」
菅さんは自分の手塩にかけている卒業生や生徒の日常の事を思って、自ら満足していた。
私はそれから暫く学童の養鶏のことについて打合せをして、学校を辞した。
学校の裏側の籬の裾には、真白い雪のような小米桜が人の世を憚(はばか)るように慎ましやかに咲いていた。私は学校の門を出た。そして私は路傍に咲き乱れている草の花を見た。それらの草の花一つ一つがみなそれぞれの自分の世界を持ち、自分自身の悟りを持って咲いているようにみえた。
私はその一茎の路傍に咲いた草の花を見て、その驚異に打たれて、大自然の尊さをしみじみと味わった。そして大自然の尊いということは、頭で受け容れるべきでない。必ず魂で受け入れるべきだと思ったりした。
私は更に路傍の一茎の草の花にも等しい、この東黙君と中燮君の二人の少年に心を引き付けられてしまった。
その日のことであった。
校庭の籬に侘しく咲いている小米桜に夕闇が迫ってきた頃、私は江東邑内の裏道を、籠に入れられた真白い鶏を、輝いた目で幾度も幾度も覗き、ほほ笑みながら帰って行く一人の学童を見た。
その学童こそ、江東普通学校の六年生尹東黙であった。
我が教え子を思う菅校長の師弟愛は、貧しくも模範生である彼を退学させるには忍びなくて、遂に自ら愛鶏の半分を割いて、その退学をせき止めたのであった。
菅校長の愛のプレゼント五羽の鶏の卵は、東黙の月謝となり、学用品となり、楽しい修学旅行費と変った。
その翌年の三月、遂に蛍雪の功なって、栄えある卒業証書は六十余名に授けられた。その輝く卒業生の中に一段の希望と悦びを見せていたのは尹東黙の顔であった。
更に自分の教え子を、今こそ校門より送り出す菅校長の目にも感激の涙が光っていたことも忘れられないことであった。
天知る、地知る。人は知らざるべし。知らるるを求めず、自らその分を尽して楽しむ菅校長のその心境と、また貧困に苦しみ、泣く、人は知らざるべし、自ら涙を拭って立つ、天知る、地知るが故に堪うる東黙の健気な心事を思いやって、私もまた感激の涙が滲み出るのをどうすることも出来なかった。