花曇りというのか、霞がかかったように空が霞んでいた。木爪の花が、恰も豚の生血で染めでもしたように真赤に咲いていた。可愛い薔薇の蕾が日に日に膨らんできた。
 野原が青くなり、水辺に侘しく枯れていた葦の芽が輝きはじめた。青い草原に区切られた地平線上には、白い雲がふわりと浮んでいる。
 黒い耕土が柔かな日光と柔かな草に包まれて、そこから薄絹のような陽炎がたちのぼる。
 阿達山の櫟(くぬぎ)の若芽が水のような柔かな木陰をつくっていた。その若葉をくぐって、時折名も知らぬ小鳥がささやかな影を投げては消える。
 辺りの路傍の草の上には、白い杏の花びらがこぼれて、ゆく春の侘しさを漂わせていた。青い麦畑、赤土の小径、ひょろひょろと伸びた若木の小径、そこにも何処からとなく、真白な杏の花びらが散っていた。
 青い柳の中には、忘られたように彩のあせた文廟が見えていた。そこにもゆく春の侘しさは漂っていた。ゆく春の歎きを深く見せていた。
 春というものの有難さと、悩ましさを感じるのは、こうした落花を見初める頃からであった。夢のように飛んでいく柳絮もまた儚いものの一つであった。

 それはある日の静かな放課後であった。
 私は学童養鶏の打合せのために学校に出かけた。流石に学校の職員室だけあって、応接テーブルには清雅な花瓶が置かれ、生徒が手折ってきたらしいライラックや可愛い小米桜の花が挿されて、その清い香が遠く室外にまで流れていた。
 若い先生達は今日の事務整理と、明日の教案の作成に疲れも忘れてペンを走らせていた。その中央部には老眼鏡をかけた柔和な菅校長が、月終報告らしいものを子細に調べていた。何か話し合っている声が室外に洩れてきた。
 私は会議らしいその様子を見て、直に職員室に入ることを躊躇した。そして暫く廊下の掲示場の掲示を見ながら佇んでいた。
 すると今まで書類を繰っていた菅校長は眼鏡越しに、自分の直ぐ前に坐っているS先生に目を注ぎながら、
「S先生、尹東黙は随分永い間休みましたね。」
「はァ、もう二十日ばかり欠席しておりますが・・・。」
 六年生の受持ちの若いS先生は、自分の受持ちの東黙が欠席してからもう二十日になるので、非常に気にかけていただけに、この老校長からの質問でギクリとしたらしかった。
「病気ですか。」
「はァ、いや病気ではありませんが。」
 S訓導は聊か当惑したようであった。
「じゃァ、何か事故ですか。」
 菅校長は柔和な顔の眉のあたりに小さい皺をよせ顔を曇らせて言った。
「いや別に事故ではありません。校長先生もご承知の通り、彼の家は非常に貧困でありまして・・・。」
「ふゥん。それは気の毒ですね。」
「それで月々の月謝さえも納められず、何でも付近の生徒の話を聞きますと、近く退学の手続きをすると言っていますそうですが・・・。」
 青年訓導のS先生は、自分の受持ちのクラスの中にそうした悲しい生徒のいることをたまらなく淋しく思って唇を噛んだ。
「ほう、それは可哀想だな。養鶏貯金はやっていないのですか。」
 そう言って菅さんは書類から目を離して顔を上げた。
 掲示場の傍らにいた私は「養鶏貯金はやっているのですか」の声に、何だか私が質問されているような気がして、妙に引き付けられてしまった。
「いや、昨年の春、あの部落には組合の理事さんが種卵を下さったのですが、丁度そのとき巣鶏がなかったので、東黙の家だけが孵化が出来なかったのです。」
「そうでしたか。そのときに巣鶏があって、養鶏貯金さえやっていたら、今日の心配はなかったのだね。」
「はァ、そうです。でも巣鶏が出来なかったものですから・・・。」
 S訓導は、自分の教え子が貧困のために、近く退学しなければならぬかと思うと、師範学校を出たばかりでまだ純情であるだけに、暗然たらざるを得なかった。
「それにあの生徒は真面目な子供であるだけに、一層可哀想だ。また六年で今一息というところで退学させてしまうのは、本当に惜しいことだな。」
 三十年間も育英に身を捧げてきた同情深い老校長にとっては、たった一人ではあるが、この真面目な東黙を失うことは、本当に残念なことだ。しかもそれが貧困のためであることは、更に堪えられない淋しさであった。
「校長先生、お願いです。何とかして彼を救ってやって下さい。」
 S訓導は恐ろしく真剣な顔になり、その語尾が少しふるえた。
 S訓導は、どうしてもあの可憐な少年東黙の退学を黙視していることは出来なかった。どうかして、せめて普通学校だけは卒業させてやりたいものだと心の底から願った。

 二人の間にはやや暫く沈黙が続いた。菅校長はまた静かに書類を取り上げた。
「いいです、S先生。じゃ今日夕方、私の官舎にまで一寸来るように伝えておいて下さい。」
 菅校長は今修学の中途で倒れんとしている我が教え子東黙を助け起すよりも、絶対に倒れないようにしてやるべきだ。倒れてしまってからでは却って骨が折れるものだ。どうしても倒れぬ前に手を添えてやるべきだと思った。
「はァ、伝えますがどうぞ校長先生、彼を責めないで下さい。」
「ええ分っていますよ。私は彼に同情こそすれ、彼を責める権利は一つもないと思っています。」
「はァ、分りました。」
 S訓導はただ安心したように頷いた。
「実はねS先生。私は昨年の春、理事さんから種卵を頂いて孵化した白レグが今十羽おりますから、その内の五羽を東黙に分けてやるつもりです。」
「はァ、それはどうも・・・。」
「それに今全部卵を産んでいるのだから、五羽やれば月謝は充分払えるわけですからね。」
 菅校長は貧困のために苦しんでいる東黙を悦ばせてやりたい。東黙の家庭を幸福にしてやりたい。そのためには与えられるだけは捧げてやりたいものだと思っていた。そして彼を呼び寄せて励ましてやりたい。たった一言でもよい、愛に満ちた言葉をかけてやりたい。愛に満ちた言葉こそ、本当に彼を蘇えらすものだと思った。
「校長先生、あ、ありがとうございます。」
 S訓導の声はうるんだ。S訓導はあまりの嬉しさに、老校長の顔をただまじまじと見るばかりであった。老校長を伏し拝みたいような気にさえなった。
「S先生、与うる者は受くる者よりも幸なりですよ。先ず第一与うる前に嬉しいし、与うる瞬間に嬉しい。また与えた後でも嬉しいですよ。」
「はァ、さようでございます。」
「そして遂に与えたことさえ忘れてしまって、何とはなしにただ嬉しいものですよ。」
「はァ。」
 S訓導は頷くばかりであった。
「理事さんが毎年毎年数千個の種卵をよろこんで無償配付されているその心境が、今私にもどうやら分るような気がしますよ。」
 菅さんの顔はいつになく輝いた。
「はァ、全く理事さんは、毎年毎年農民のために、沢山種卵を無償で配付されていますが、私共はああした尊い行為に感動するだけの明るい心を持ちたいと思っています。」
 純真な思想を持った訓導と、熱心な教育家である菅校長との間には、東黙の欠席をめぐって美しい師弟愛の話が続いて、何時果てるともみえなかった。
 私はそんな会話を聞きながら、掲示場のほとりや、校庭の植込みのそちこちを低回した。

 私の直ぐ目の前には、数本の落葉松が植えつけられてあった。その枝からすくすくと伸びているさみどりの新しい芽の一つ一つを見守った私は、そうっとその新芽に触ってみた。尊いほど美しい新芽だ。全く心の奥底から清められるようだ。一切を捨て、一切の小智と小我を捨てる者にこそ春が蘇って来るのだ。
 心頭の雑念を去って、自然の天地を見るべきだ。そして更に進んで、人生と自然に対し感激を持つべきだと思ったりした。
 もう阿達山下には、暖かい春風が吹いていた。この春風に吹かれるとき、我も人もまた可憐な東黙にも等しく春が蘇っていた。
 私はもうそれ以上、この美しい師弟愛、人間愛の話をじっと聞いている訳にはいかなかった。
 私は職員室に通ずるコンクリートの段を上って行った。その正面には斎藤理事長が嘗て生徒の集卵を激励するために贈られた丸い大時計がかかっていたが、それがコチコチと静寂を破って時を刻んでいた。
 私は、古典的な建物である職員室の硝子戸を開けて入った。
「こんにちは。」
「やァ、いらっしゃい。」
 にこやかに笑った菅さんは、見ていた書類を自分の前に押しやった。
「実はさっき来ましたが、お打合せのようでしたから・・・。」
 私はたった今まで、慈愛深い校長と、純情の若い訓導との会話を盗み聞いて、その美しい師弟愛に胸を打たれたのであったが、流石にそれとは言えなかった。
「いや、別に打合せというわけではありませんが、ご存知の東黙が、折角六年生になったのに、月謝が払えないで退学するというものですから・・・。」
 それから菅校長は、今の打合せの結果を要領よく話してくれた。
「まァそんなわけで、今度は彼に成鶏を飼わせるつもりです。」
「そうですか。実は今外で少しはお話を伺ったのですが、そうすれば東黙は救われますね。あの東黙は昨年の春、不幸にして巣鶏が出来なかったのです。」
「そうですよ。」
 菅さんは大きく頷いた。
「それが今日の退学という不幸な原因になったことは、本当に可哀想です。」
「それで実は、あなたから種卵を頂いて育てた私の白レグ十羽の内、五羽を彼の今後の生きた学資として贈るつもりです。」
「いや、成鶏なら私の家に沢山おりますから・・・。」
 私は十羽しかいない菅さんの鶏を半分わけなくても、私の鶏を分けてよいと思った。
「はい、有難うございます。でもあなたの種鶏は郡民の養鶏のために飼っておられるのですから、一羽だって貴重です。それに東黙は私の教え子ですから、私が当然面倒をみてやる義務があるのです。」
 菅さんはそう言って、にっこりと笑った。可愛い自分の教え子、しかもあと一年で卒業というところまで漕ぎつけて来た彼を、今ここで退学の悲しい道を歩ませることは、何としても忍びないことであった。
 菅さんは自分としてはそう大したことはできないにしても、自分で出来るだけのことは真剣になってやってやりたい・・・そうすれば彼も救われて喜び、また自分も嬉しい。更に何か出来る力を与えられたということが、自分自身にとってもっと嬉しいことであると思っていた。
 私は十羽しかいない鶏を、五羽分けてやるという菅さんの気持ちを尊く思った。
「そうですか、ではどうぞそうして東黙を救ってやって下さい。東黙の部落は尹中燮君の部落でしたね。」
 私は育雛の講習に行った中燮の存在をふと思い浮べたのであった。
「ええそうです。卒業生の中燮君もいるので、万事に好都合です。」
「中燮君は先生もご存知のように、先だって記念植樹の日に、道の試験場の育雛の講習に行って、帰る時自分達が育てた雛をそっくり貰って帰ったのですよ。」
「それはなかなか面白い試みでしたね。」
「そうですよ。ただ育雛の講習だけでは効果が挙がらなかったのですが、自分が手にかけて世話して育てたものが自分のものになるところに、従来の講習との違いがあるのです。何でも三十羽貰ってきたと言ってましたよ。」
 私はこのような講習の方法も相当効果的だと思った。つまり育雛に成功しようと思えば、最もよく雛を愛さなければならず、最もよく愛するには、雛というものを知らなければならぬ。最もよく知るには、最もよく愛さなくてはならぬ。だから愛することと知ることとは、常に両立すべきだと思った。
「それで三十羽の鶏は、皆元気で育っているのですか。」
「ええ、立派に育っていますよ。それに中燮君も講習に行ってきてから、非常に養鶏に熱心ですよ。」
 私は、誰でもあるところまでは進む熱心さはあるが、そのあるところの境界線を、一段上に飛び越すのが大きな努力であって、そこに特別の勇気を要するのであるが、中燮君の如き青年には、この大なる勇気をつけてやることが将来必要だと思った。
「まァ卒業生や在学生が農業に励み、勉強をしながら養鶏をして、利益をあげていることは嬉しいことですね。」
 菅さんは自分の手塩にかけている卒業生や生徒の日常の事を思って、自ら満足していた。
 私はそれから暫く学童の養鶏のことについて打合せをして、学校を辞した。

 学校の裏側の籬の裾には、真白い雪のような小米桜が人の世を憚(はばか)るように慎ましやかに咲いていた。私は学校の門を出た。そして私は路傍に咲き乱れている草の花を見た。それらの草の花一つ一つがみなそれぞれの自分の世界を持ち、自分自身の悟りを持って咲いているようにみえた。
 私はその一茎の路傍に咲いた草の花を見て、その驚異に打たれて、大自然の尊さをしみじみと味わった。そして大自然の尊いということは、頭で受け容れるべきでない。必ず魂で受け入れるべきだと思ったりした。
 私は更に路傍の一茎の草の花にも等しい、この東黙君と中燮君の二人の少年に心を引き付けられてしまった。

 その日のことであった。
 校庭の籬に侘しく咲いている小米桜に夕闇が迫ってきた頃、私は江東邑内の裏道を、籠に入れられた真白い鶏を、輝いた目で幾度も幾度も覗き、ほほ笑みながら帰って行く一人の学童を見た。
その学童こそ、江東普通学校の六年生尹東黙であった。
 我が教え子を思う菅校長の師弟愛は、貧しくも模範生である彼を退学させるには忍びなくて、遂に自ら愛鶏の半分を割いて、その退学をせき止めたのであった。
 菅校長の愛のプレゼント五羽の鶏の卵は、東黙の月謝となり、学用品となり、楽しい修学旅行費と変った。

 その翌年の三月、遂に蛍雪の功なって、栄えある卒業証書は六十余名に授けられた。その輝く卒業生の中に一段の希望と悦びを見せていたのは尹東黙の顔であった。
 更に自分の教え子を、今こそ校門より送り出す菅校長の目にも感激の涙が光っていたことも忘れられないことであった。
 天知る、地知る。人は知らざるべし。知らるるを求めず、自らその分を尽して楽しむ菅校長のその心境と、また貧困に苦しみ、泣く、人は知らざるべし、自ら涙を拭って立つ、天知る、地知るが故に堪うる東黙の健気な心事を思いやって、私もまた感激の涙が滲み出るのをどうすることも出来なかった。

「これでもうすっかり済みましたね。」
「はい。全部植えてしまいました。」
「どうもご苦労でした。」
「今日は全く暖かい植樹日和でしたね。」
 こうした話が、そちらでもこちらでも交わされていた。
 四月三日の記念植樹日には、全鮮至る所で、どんな津々浦々でもこうした緑化作業が行われるのであった。
 記念植樹を済ませた江東の官民は、萬柳堤の枯れ芝を踏んで、三々五々、鍬を担ぎホメを提げて帰って行った。
 
 私は軽い疲れを覚えたので、独り枯れ芝の上に腰を下した。
 その辺りにはついこの間、子供達が枯れ芝を焼いた跡が黒々と残っていた。
 私の横に転がっていた不忘の碑は、何時の時代に、誰のために建てられたものか知れぬが、年々の畦火や野焼の煙で焼き焦がされていた。その淋しく古びた碑の周りには、廻り来た春の光に黄色い草の芽がすくすくと萌えていた。
 清い流れの水晶川の水車小屋のほとりには、所々猫柳が天鵞絨のような銀鼠をほどいていた。
 いつもの洗濯場には、五六人の婦人が早春の淡い太陽に、きらりきらりと洗濯棒を光らせながら調子よく水砧を打っていた。
 青い大空には雲雀が弧を画きつつ囀っていた。
 邑内の東方の外れにあった醤油会社のか細い煙突は、ひょろひょろと中空に突っ立って、線香のように煙を吐いていた。
 あちらを見てもこちらを見ても、何となく春めいてみえた。
 じっと静かにこうした景色を眺めていると、私は草の上に仰向けに寝て、心行くまで眠ってみたい。そして目を覚ましたら、静かな川の面に礫(つぶて)でも投げて遊んでみたいような気がしたりした。

 その頃組合の養鶏事業は、一ヵ年に鶏卵三十万個を出荷するようになっていたので、毎日毎日忙しい目の回るような日がつづいた。
 卵の選別や汚染卵を拭いたりするために、人手が足りないので、妻は勿論、その当時六つになったばかりの晃子までも動員して、卵の整理をやっと間に合わせていた程、その頃の生活は多忙であった。だからこうして戸外に出るたまの機会は、私の自然に対する親しみを特に深めるのであった。
 この気持ちは、毎日ごみごみした都会に住んでいる人が、空気の澄みきった大空を眺めることができる田舎を懐かしく思うのと同じであった。
 私は静かに大地をじっと眺めた。所々クローバの丸い薄緑の葉がポチリポチリと芽生えている。
 私は作業服にくっついた枯れ芝の屑を払って立ち上がった。
 そして舎宅に帰って来ると、数本の落葉松や公孫樹の苗木を、舎宅の周りや牧舎の運動場に植えつけた。

「理事さん、郵便です。」
 今年普通学校を卒業したばかりの、顔の丸い愛嬌者の給仕が一束の郵便物を届けに来た。
 私はそれを受取ると縁側に腰をかけて、それらの一つ一つを見ながら縁側の上に置いていった。
 その中に角い洋封にペンで無造作に書いたものがあったが、それを見ると、凡そ私の知人でないことだけは直ぐに分った。手紙の裏面を見ると、ただ鮮やかに「京城子」と書かれてあった。私の知っている限りの友人に斯かる筆跡の人はいないので、不思議に思うと同時に一層の好奇心に駆られながら封を切ってみた。
 すると中からは、便箋と小為替券が現われてきた。私は不思議に思って急いで読み下した。

 これは極めて些少でありますが、貧者の一燈です。貴下の聖業の経 費の一部に使って頂けたら本当に仕合せであります。   京城子
    重松理事様

 便箋は極めて色の淡い桃色であったが、筆跡は確かに男子であることは疑う余地はなかった。
「おい、これは一体誰だろう。お金を送ってくれたが・・・。」
 私はそう言って、その手紙を縁側にそうッと置いた。妻は子供の洗濯物を竿に通して干してしまうと、急いで縁側に来た。
「まァ、どなたでしょうね。お金など送って下さって・・・。」
 妻は〇〇円の小為替券とその手紙をじっと見つめた。
「それが全く僕にも見当がつかないのだよ。」
「京城子と書いてありますから、京城のお方には違いないですね。」
「そうだよ。この通り消印も京城のスタンプだが、肝心の局名がはっきりしていないのだよ。」
 私の声に妻もまた更にその封筒の消印や為替券の消印に目を注いだが、どうもはっきりしなかった。
「あなた、昨年の秋でしたね。京城愛畜生として、感謝と激励の手紙が来ましたのは?・・・」
「そうそう、あれは青木知事さんのお書きになった『変った養鶏家』の記事を読んでいたく感激した。どうぞ半島農村のために、将来一層活動して下さいと書いてあったね。」
 私はその頃各地の無名士から、激励の手紙や感謝の書簡をよく貰ったものであった。そしてその度ごとに私は小気味よい鞭撻を感じていたのであった。
「でも今度のようにお金を送って貰ったりしたのは、今までになかったですわ。」
 妻は又京城子と書かれたその洋封を手に取ってしみじみと見ていた。
「そりゃ前にも事業費の足しに使ってくれと、Kさんから沢山の浄財を送ってくれたことがあったが、あの時はKさんの神様のような清い心が分っていたので、それを無にしては相済まないと思って、種鶏の購入費に当て、部落に種卵の配付をしたんだったね。」
「そうでしたね。」
「しかし、あの時はKさんということが分っていたから、お礼状も差出すことが出来たし、それに僕はKさんの人格を充分知っていたから、その厚意を厚意として受けたのであったが、今度の場合は、ただ『京城子』とだけで、差出人がどなたかが分らないのだから、全く困ったね。」
 私はKさんのときは、色々Kさんに言って断ったが、Kさんは神のような清い心で、是非役立たせてくれるようにとのことで、ついにその厚意を受けたのであった。
「あなた、この京城子って方は、私共の事業の性質が充分に分っておられるのでしょうか。」
 妻はそう言って私の顔を見た。
 元々この養鶏事業は、再生した私の仕事として私の意志で始めたのであったが、事業の経営に要する経費は、給料生活の私にはかなり負担が多かったので、時々は相当苦しいようなこともないではなかった。
「それは事情をよく知っている方だろうよ。それにしても僕等は今のように養鶏事業を拡張経営しても、そのために苦しくてもマイナスは出来ないのだからね。まァ与え得るものは幸なりだよ。」
「それは全くその通りですわ。」
「つまり神は京城子をして、僕等が与え得るために、僕等に与えたのだよ。」
 私は実際、物も才能も生命も、みんな神様からの授かりものだとしみじみと思った。だから必要な時には、惜し気もなく出すべきだと思った。
「でも、私はこの京城子と書いてある方の厚意を厚意として素直に受入れることが出来ます。そしてこの方の純情に触れることができますわ。」
「それは僕だって同じだよ。つまり純情に触れ得る者は純情なりでね。」
 私は美しいものを美しく見得るものは、心が澄んでいるものであり、愛される者は愛し得る者であると思った。
「それでこのお金どうなさいます?」
「どうするったって、お金など頂ける筋ではないよ。」
 私はこの京城子の厚意は嬉しい。京城子の温かい気持ちには触れることができるが、しかしどうしてもこのお金を私自身が勝手に使うべきではないと思った。
「厚意だけは有難いですのに、本当に困りましたわね。」
「全くだ。この手紙によると経営費に使ってくれとは書いてあるけれど、これを直ちに僕等の事業費として使うことは出来ないよ。この京城子の心を心として永遠に生かさなくてはならないのだからね。」
 私はこの京城子の密かに為された善行は不滅だ。実行した善行には、それ独特の生命があるのだ。生命があるものは必ず育って行くものだ。だから京城子が忘れた頃に、思いもよらぬところで見事に育っている姿を見ることが出来るであろうことを確信していた。
「でもどなたか分らないのだから、お返しすることも出来ませんね。」
「そうだよ。それで第一困っているんだ。」
 私は住所氏名を書かないで、ただ京城子と書いてあるこの手紙当惑しながら又取り上げた。ただ京城子だけだから返すにも返されず、お礼を言おうにもお礼も言われず、こうした床しい厚意を受けながら、どうすることも出来ないことをじれったく思った。そして尚も、
「まァともかくも、この際これを一応預かっておいて、他日京城子の心を心として生かすことが出来るときに、これを使用することにしようよ。」
「まァ、そうなさいますより他ありませんわ。」
 妻はそう言いながら、その辺りに散らばっている新聞や手紙などを片付けた。丁度その時、
「ごめん下さい。尹中燮でございます。」
「あら、いらっしゃい。」
 妻は玄関の戸を開けて中燮君を迎えた。
「あの、理事さんいらっしゃいますか。」
「ええおりますよ。あなた、養鶏部落の尹さんがみえましたよ。」
 妻の声に私も玄関に出て行った。
「よう、中燮君か。どうした?」
「理事さん、こんにちは。」
 中燮君は相変らず小倉の学生服を着て、その右手には何時にない白い風呂敷包みを持っていた。
「あの今日から育雛の講習会に行きますので、一寸ご挨拶に上りました。」 
 そう言って頭をペコリと下げた中燮君はにこにこしていた。彼は普通学校を出ると、家庭に踏み止まって母を助け、ささやかな農業をしていたが、何か機会があれば進んで出席して、自分というものを充分磨き立てたいという希望を、子供ながら胸にしっかとかい抱いていた。
「そうだ。育雛の講習会は明日からだったね。」
 丁度その頃平壌の隣接郡から、一名ずつ青少年を選抜して、道の試験場主催で育雛講習会を開催し、育雛に関する知識を授けることになっていたので、江東郡からは、比較的進取の気性に富み、且つ熱心な養鶏家であり、また卵の貯金から買入れた牛の品評会に出品して、見事に一等賞を勝ち得た、極めて真面目な少年中燮君が一も二もなく推薦されたのであった。
「はい、明日から三週間の日程でございます。」
「それは相当長期だね。」
「でも私は講習に出るのは初めてですから、非常に楽しみにしています。」
「それは結構だよ。講習中は充分緊張して、心をこめて受講すべきだね。真面目に熱心に講習を受ければ、随分色々の仕事を覚えられるものだからね。君が充分覚悟して講習を受けてくれば、それは実に驚くほどよい働きをすることが出来るのだからね。大いに頑張ってやってきたまえ。」
「はい。講習は誰にも負けないように大いに頑張ってきます。」
「大いに頑張って、楽しんで受けてきたまえ。」
 私は講習を受けにいく者の心理には色々あると思った。即ち大いに頑張って、講習の知識を少しでも自分のものにしようと努める者もあるが、それと反対に、講習に極めて無関心でいる者もある。また講習を楽しんでいそいそと受ける者と、仕方なしに受ける者とがある。正に受講生心理の種々相であるが、まだ年の若い尹君を出席させるに当って、こうした激励の言葉をかけておくのも必ずしも無意味ではないと思った。
「では行って参ります。」
「ウム、病気をせぬように、充分注意してね。」
「はい、分りました。」
 中燮君の声には力がこもっていた。男らしく語尾が明瞭で、明るい底力のある声で、何となく頼もしい気がした。
 中燮君は学生らしくペコリと頭を下げると、白い風呂敷包みを抱えてスタスタと歩き出した。
 今植えたばかりの公孫樹の枝に子雀が二三羽止って、淡い太陽の光の中で鳴いていた。
 二人は向き合って電車に乗った。街頭にはまだ身を切るような風が吹きすさんでいた。乾き切った空気の中を、電車は平壌の旧市街の方に向って軽い砂塵を巻き上げながら走って行った。

 漢城銀行の前から、華やかな一台の自動車が、毛皮の外套を着た紳士を乗せて、電車の側をすれすれに追い越した。
 古茶けた帽子をかむった人、マスクをしている人、毛皮の襟巻きをした麗人、真黒いシャツに印袢纒の荷車曳きや、赤い鼻の負担軍の通っている中を、電車はチンチンゴーゴーと追い越して、何時の間にか箕林里の終点に着いた。

 電車から降りると直井さんの案内で、私は外套の襟をかき立てながら、凹凸になった爪先上がりの凍て道を歩いて郊外に出た。
 その辺りの岩山は、何ヶ月もかかって発破をかけられて岩が削ぎとられ、屏風のように峙っていた。

「あれが山羊の牧場ですよ。」
 直井さんは黒い皮の手袋のまま指した。
 前方の小高い丘を見ると、疎らな松林の間から、バラック建ての山羊舎が見えて、牧柵の中には数頭の雪のように真白い山羊が見えた。
「ほう、なかなか沢山いるようですね。」
「ええ、何でも乳の出るのが三十頭くらいと、それに仔山羊が十四、五頭いると言ってましたよ。」
 そう言って直井さんはポケットから朝日を出して火を点けた。
「この牧場主も、平壌の北金融組合の組合員ですか。」
「そうです。もうかなり古い組合員ですが、牧場を開始したのはつい最近ですよ。」
 私と直井さんはそんな話をしながら、かんかんに凍てた道を、ものの二三町も歩いて、丘の上にある山羊の牧場に着いた。

 この牧場は平元道路から少し入った所で、北方は松の疎林がある山で、南はなだらかなスローブであった。
 相当広い牧場は更に金網で区画して、そこには可愛い夢みるような顔をした仔山羊が十四五頭入れられ、互いに押し合って遊んでいた。
 私共が牧場に近づくと、何か餌でも持って来たかと思ってか、幾頭かの山羊が牧柵に前足をかけ、その細いうなじを差し延べて、メーメーと鳴いて何物かを求めるようであった。
 母山羊がメーと鳴くと、隔離されている沢山の仔山羊が一斉に、可愛い赤んぼのような声を立てメーメーと鳴きたてる。
 牧舎の一部を区画した事務室らしいところから、父親らしい朝鮮服を着た中年の男と、一人の洋服を着た息子らしい青年が出て来た。
「いらっしゃい。」
 その父親らしい人が直井理事を見つけると、丁寧に頭を下げた。
「やァ、昨日一寸お知らせした江東の理事さんが山羊を見に来られたから、案内して来ましたよ。」
 直井さんはそう言いながら私を紹介した。
「こんにちは。私は江東組合の重松ですが、山羊を見せていただきに来ました。」
 そう言って私は外套を着たまま帽子を取った。
「ようこそ、直井理事さんからお話を聞いていました。あのこれは私の息子です。」
 父親は側にいた息子を顧みてにっこり笑った。
「こんにちは。理事さんが養鶏を奨励されて、成績を挙げておられますことは、よく新聞で承知しております。」
 内地の園芸学校を出たという息子の金さんは、父親の朝鮮語に引き換え、ひとつも癖のない国語で馴れ馴れしく挨拶をして、丁寧に頭を下げた。
「やァ、お邪魔に上りました。」
「ようこそ。」
 金さんはなかなか如才のない応接振りであった。
「あの、理事さんは昨日の紀元節には篤行者として、知事さんから表彰されまして、おめでとうございました。平毎で拝見しました。」
「いやァ有難う。実はそれでね、折角表彰を受けたのだから、その記念に今度は山羊を飼いたいと思ってね。」
「今度は養鶏と山羊ですか。」
 内地に永く行っていた金さんの応対振りは、誠に世馴れたものであった。
「そういう訳ではないが、ずっと前から子供に山羊乳を飲ませてやりたいと思っていたのでね。」
「はァ、それは結構です。理事さんは子供が沢山おありなさるのですか。」
「いや、一人だけです。」
「赤ちゃんですか。」
「いいや、もう六つになっているけれど、山羊乳が非常に母乳に近いというから飲ませてやろうと思ってね。実は子供が赤んぼのときから、何処かに山羊はいないかと探していたのです。」
 私は本当に晃子が赤んぼの時から、どうかして山羊を手に入れたい。そして山羊乳を飲ませてやりたいと、一生懸命に仔山羊を探していたのだが、どうしても見つけることができなかったのであった。
「そうでしたか。山羊乳はご承知のように人乳と殆ど変わりませんよ。だから母乳の少ない方は山羊乳を飲ますに限りますよ。」
「そうそう。私も医者からそんな話を聞いたことがあったよ。」
「そうでしょう。内地でも山羊の牧場では、小児科のお医者さんと連絡を取りましてね、子供の患者で栄養のよくない者が来ますと、医者が山羊乳を飲ますとよいと言って、大いに山羊乳を宣伝していますよ。」
 それから金さんは一通り内地の山羊の牧場の話をして、大いに内地通振りを示した。
「それで君は山羊乳にヒントを得たのかね。」
 私は金さんが園芸学校出身でありながら、凡そ関係の少ない山羊の牧場を始めたその動機が聞きたかった。
「いや別にそういう訳ではありませんが、これだけの大都市の平壌に山羊の牧場は必要だと思いましてね。」
 金さんは本職の園芸の方はまだ時期尚早だと思ったが、山羊の牧場は将来必ず有望であると考えたのである。
「それはそうだね。でも山羊の飼育は都市ばかりでなく、寧ろ農村の方が必要だよ。」
「そうですね。」
「まァ、考えて見給え。朝鮮の農村生活は、君も知っている通り非常に単調で、遠慮なく言えば全く無味乾燥だからね。」
「はァ。」
「しかしその無味乾燥な農村の生活でも、農業の経営法によって非常に面白く、都会人が夢にも見られぬような新鮮な鶏卵を食べたり、芳醇な山羊乳を手軽に飲むことが出来るのだからね。」
「はァ、そうですね。」
「今日農村の一部青年の中には、農村生活は趣味がないとか、やれ都会のように栄養が取れないとか言っている者もあるが、農業の経営を合理化して、豚を飼って美味しい肉を食べたり、山羊を飼って芳醇な乳を飲んだり、鶏を飼って新鮮な卵を食べたりすれば、都会人の思いもよらぬ栄養を摂ることが出来るしね。」
「全くです。」
 金さんは、ただ頷くばかりであった。
「それに、豚や山羊や鶏の朝夕の世話は、本当に楽しい勤労で、趣味の畜産としても、また子供達の情操教育からみても是非必要で、これ等は農村人のみが味わうことの出来る楽しみであり、また興味であるのだからね。」
 私は農村人の娯楽は、都会人のように必ずしも映画を見なくてもよい。農村に相応しい趣味の畜産に求むべきだと思っていた。
「はァ、そうですそうです。」
 金さんは何時の間にかお客さんのような気持ちになっていた。
「殊にだね。僕等のように農村の第一線に勤務している者は、こうして手軽に飼育することが出来る趣味の畜産によって、自らを慰め、自らの保健は元より、家族の健康を維持し、たまには近隣の者にも乳や卵を分けて大いに喜ばせたり、それが普及すれば何時の間にかその地方の副業にもなるわけだからね。」
「それでは理事さんは、今度は養鶏と同じように山羊もやりますか。」
 金さんは流石に早くも職業的に私の山羊の飼育に乗り出すことを、内心恐怖しているらしかった。
「いや、そういう訳でもないが・・・ ハハハ ヽ ヽ ヽ。」
 私は言葉をにごして尚も続けた。
「時に金さん、どの仔山羊がいいかね。」
 私はそう言いながら、だんだんと仔山羊の方に足を運んだ。私につづいて直井さんも父親も皆、仔山羊の牧柵にもたれかかるようにして仔山羊を眺めた。

 如月の薄い太陽が照り輝いている牧柵の中には、ザーネン種の真白い柴犬大の仔山羊が群れていた。
 敷藁の上に寝ているもの、互にもつれ合っているもの、ピョンピョン跳ね回っているもの、頭で互に突き合っているもの、メーメーと赤んぼのような声を出して鳴いているもの等々々・・・。
「どれがいいかね。牡牝欲しいのだが・・・。」
 私は同じような仔山羊が十五六匹もいるので、その選択に迷ってしまった。
「どれも同じです。好きなのをお選びなさい。価格はみな同じです。」
 金さんは無造作に答えた。
 私は牧柵の中に手を差しのべてみた。するとその中の一匹が、小さい頭でコツンと私の掌を突いた。そして又二歩ほど退いて又コツンとパンチを食わしに来たので、私は素早くその仔山羊を抱き上げてみた。

 抱き上げられた仔山羊は、メーと悲しい声で鳴いた。
 私はその仔山羊の母山羊を知るために、親山羊の牧柵の中に下ろしてみた。すると仔山羊はあちこちと沢山の山羊の中を駆け回って、自分の母山羊を探しまわっていたが、やがて有角種のみすぼらしい母山羊の貧弱な乳房にブラ下がった。
「あの可愛い仔山羊が、あの山羊から生れたのですね。」
 直井さんは、初めて私の山羊の鑑定法が分ったらしかった。
「そうです。あの仔山羊は中々かわいいが、親がちょっとね・・・。」
 そう言いながら、又私は仔山羊の牧柵に手を差しのべた。今度は沢山の仔山羊の中から、雪のように真白い仔山羊が走り出て、私の人差指を乳首のように銜えて、チュウチュウと吸い始めた。
 私はあまりの可愛さに又抱き上げてしまった。
 抱き上げられた仔山羊は安心しきって、その可愛い眼を輝かせていた。そして細長い耳をピンと立てて長い四肢を突っ張っていた。私はそっと大地に下してみた。仔山羊は前と同じようにあちこちと親山羊を探し回った。すると彼方に群れを離れて落葉を食んでいた大きな乳房の山羊が、その仔山羊を見るとキッと眼を瞠って、両の耳を立て、メーメーと慈愛のこもった声で鳴いた。その声に仔山羊はメーメーと小さい哀れっぽい声で鳴きだした。そして磁石にでも吸い付けられるように走って行って、母山羊の豊かな乳房に夢中に吸いついた。

「金さん、あの親山羊の搾乳量は?」
「あれはこの牧場で一番沢山出る山羊で、一日に二升五六合くらい出しています。」
「じゃァ、牝の方はあれに定めるよ。」
 そう言って私は外套のポケットから、予て用意していた小さい首輪を取り出してその仔山羊にはめてやった。
「あれは内の種蓄にしようと思っていましたが、とうとう見つけられましたね。」
 金さんはこの牧場で一番良い山羊の仔を発見されて、とんでもないことになったと思ったらしかった。そして尚も、
「それにあれはまだ生れてから、十五、六日ですから、山羊乳がないと育ちませんよ。」
 金さんは何とかして、その仔山羊を私に諦めさせたかったのだろう。
「それはいいよ。今日帰る時、山羊乳を一升くらい買っていくから。それから後はバスの便で隔日に一升づつ送ってもらってね。」
「はい。」
「今後二十日も飲ませたらいいだろう。そのうちに餌を食べるようになるだろうから・・・。」
 金さんは良い山羊を選ばれたが、まァかれこれ二十日間に乳が一斗ほど売れるから結局好都合だ。これで大した損もないと思ったらしい。
 私は又同じ方法で、他の山羊の仔の中から、優秀な牡の仔山羊も見つけ出した。そして準備してもらった大きな丸い籠に二匹を一緒に入れて荷造りをした。

 暫く江東行きのバスを待った。間もなく古ぼけたガタガタになった九人乗りのバスが来た。私は一同に別れを告げてそれに乗った。そして自分の足下に山羊乳の一升瓶を置いて、膝の上に仔山羊の籠を抱くようにして乗せた。
 バスがけたたましいエンジンの音をたてると、仔山羊は不安そうにメーメーと鳴いた。牧場でも二頭の母山羊が我が仔の鳴き声を聞いて悲しそうに鳴いた。
「山羊でもちゃんと分かるようですね。」
 こうした小動物にはあまり関心を持っていない直井さんは、外套のポケットに手を入れたままじっと私の膝の仔山羊を眺めた。
「そうですよ。仔山羊でも確かに何事か起ったと思っているのでしょう。」
「あまりに小さいですが、大丈夫育ちますか。」
「愛はよく育むと言いますから、大丈夫ですよ。」 
 もうバスは進み出した。
「さようなら。」
「さようなら。」
「ありがとうございました。」
 バスの音にメーメーの声も聞こえなくなった。
 紀元節の翌日であるのに、平壌地方は氷のように寒い如月の風が、幌の隙からヒュウヒュウと吹き込んできた。私は自分の襟巻をとって、そうっと仔山羊の籠を覆った。
 バスは枯れつくしたポプラ並木の白い凍て道をひた走った。

 江東にバスが着いたのは、その日の午後三時頃であった。
 私が温突に入った時には、もう小使たちによって、仔山羊の籠も、小さいトランクも、風呂敷き包みも、乳の一升瓶も、皆そこに運ばれていた。
「お父ちゃん、お帰りなさい。」
 かわいい鳶色の外套を着せられた今年六つになった晃子は、僅か二晩泊りの旅行から帰ってきた私を、さも長旅からでも帰って来たように喜んだ。
 そしてトランクを引っ張ってみたり、風呂敷包みを解いてみたりして、最後に籠の襟巻を取った。二頭の仔山羊は互に相寄り添って蹲っていたが、長い耳を動かして不安そうに眼を瞠った。
 こうした小動物をはじめて見た晃子は、心から不思議そうに眺めた。
「お父ちゃん、これなあに? うさぎ?」
「いいや、山羊の仔だよ。晃ちゃんのお友達よ。」
「そう、山羊ってなあに?」
「山羊はね、大きくなったら晃ちゃんに美味しい美味しいおっぱいを出してくれるのよ。」
「そう、晃子おっぱい大好きよ。」
 そう言うと、晃子は炊事場の妻に大声で呼びかけた。
「お母ちゃん、お父ちゃんが晃子のお友達に山羊の仔を連れてきたのよ。」
 その声に、妻は温かい茶を入れて、炊事場から上って来た。
「あらッ、これ何ですの?」
「お母ちゃん、仔山羊よ。晃子のお友達よ。」
「まァ、かわいいこと。如何なさいましたの?」
「これ、お父ちゃんが知事さまのご褒美に頂いたのよ。」
「違うでしょう、これは晃ちゃんのお友達でしょう。」
 そう言って妻は湯気の立っている茶を差し出した。
「あなた、おめでとうございました。」
「有難う。お蔭で立派な金側時計を頂いたよ。」
「お父ちゃん、山羊はどうしたの?」
「山羊はね、晃ちゃんにおっぱいを飲ませるために買ってきたのよ。」
「まァ、かわいいですこと。この山羊が早く手に入っていましたら・・・。」
 妻は山羊の籠を覗きながら、もう心の中で六年前のその頃のことを色々と思い出していたようだった。そして急いで籠の紐を解きはじめた。
「今からだって遅くはないよ。健康のために飲ませてやるさ。」
 私も手伝って、紐を解いた。
「お母ちゃん、山羊のお乳は美味しいの?」
「美味しいですよ。ほーら、かわいいでしょう。」
 妻はそう言いながら、籠の中から二頭の仔山羊を抱えて温突に出した。仔山羊は背伸びをすると、辺りを見廻しながらメーと鳴いた。
「お母ちゃん、山羊の仔が赤ちゃんのようにメーと鳴いたね。」
「そうよ。メーやがメーやのお母ちゃんに、おっぱい頂戴と言ってメーと鳴いたのよ。可哀そうね。」
 妻がその一頭を抱いて膝の上にあげると、晃子も小さい膝の上に他の一頭を抱き上げ、小さい手で仔山羊の背を撫でた。仔山羊は母子の温かい膝の上に抱かれると、安心したように伏目がちにしていた。

 そのうちに一頭の山羊が空腹を訴えて、メーメーと鳴きだした。そこで買ってきた山羊乳を温めて、小さい瓶に入れて乳首をつけ口に含ませてやると、二頭の仔山羊は互に小さい足を踏ん張って、押し合いながら貪るように飲んだ。
 お腹がふくれると、小さい丸薬のような糞を十四五個ポロポロとこぼした。
「お母ちゃん、メーやがポロポロを出したよ。」
「まあ、メーやいやァね。」
 妻は温突用の小さい箒と塵取を持って来て、それを掃き取ると雑巾で拭いた。
「まるで正露丸のようだね。おや又あれがこぼしているよ。」
「まァ。」
 妻は素早くお尻のところに塵取を置くと、ポロポロと皆、塵取りの中に入ってしまった。
「ポロポロしていますからいいですけれど、大変ですわ。」
「でも、あのきょとんとした顔は憎めないじゃないか。」
「ええ、あの潤んだような眼が本当にかわいいですわ。」
 そのうちに気持ちよくなった仔山羊は、温突の上をつるッつるッと滑りながら歩いた。
「お母ちゃん、メーやがスケートをしているよ。」
「そう、晃ちゃんメーや好き?」
「大好きよ。お友達よ。」
 仔山羊を中心として、私共親子三人の話は、明るく朗らかに暫く続けられた。

 こうして紀元節に表彰を受けた記念に買い入れられた二頭の仔山羊は、私の家族の一員に加えられ、限りなき家族の愛撫を受けてぐんぐん大きくなった。

 それから暖かくなると、ささやかな牧舎が建てられ、周囲に牧柵がめぐらされて、いよいよ牧場らしくなった。そちこちから来る視察者からも珍しがられたり、可愛がられたりした。

 そして牡は敷島号、牝は霞号と命名し飼育している中に、その翌年の正月の二日には、柔らかい敷藁のいっぱいしてある牧舎の中に、霞が小さい時と同じような可愛い仔山羊を牡牝ニ頭産み落した。
 それから牧舎の春は、いやが上にも春めいてきた。
 搾乳の上達するにつれて、日々の搾乳量もただ増加の一途を辿って、初産でありながら一日に二升五合くらいは出た。
 毎朝、毎夕、芳醇な山羊乳の瓶が卓上に飾られ、私共家族が飲んだ残乳は、料理に使ったり、育雛用としてヒヨコに飲ませたり、また成鶏に飲ませて産卵を促進させたりした。
 またある時は病人に、またある時は乳の足らぬ赤んぼに贈ったりして、みんなから喜ばれた。
 今もなお山羊乳で病気が治った人で、感謝の手紙をくれる人が沢山いる。

 それから四年目には、私の牧場は山羊が十二三頭になり、また江東にも三十頭余りの山羊が飼育されるようになり、人々から山羊乳が愛用されるようになった。
 山羊乳を加工してカルピスを作り、烈日の下で作業した時などは、阿達山の清水で飲んだりした。
 その頃から水晶川のほとりや、阿達山の丘の緑草の中に真白い山羊が放牧されて、夢のような情景を展開した。
それは正に一幅の画であり、詩であり、また平和な農村の姿そのものであった。
 それは品評会の翌日であった。
 私は山根常務を案内して、養鶏部落の松鶴里(しょうかくり)に出かけた。萬柳堤のポプラの枯枝に取り残された幾枚かの枯れ葉は、江風に吹かれて戦いていた。
 水晶川の清い流れに、白菜を洗い清めていた婦人たちの背には、淡い冬日がわななきながら照っていた。
 その川下で水砧を打っていた婦人の上にも、淡い光が漂っていた。
 人も草も木もみな何物かに追われつつ、わなないているようであった。静かな淡い日の光だ。少し強い風が吹けば、消えてしまいそうな日の光であった。
 私は一切のものをかなぐり捨てて、ただ思惟すべき冬が来たのだと思いながら山根常務について歩いた。

「ここが名古屋の部落です。」
「ほう、そちこちに沢山名古屋種が遊んでいるね。何という部落かね。」
「松鶴里と申します。」
 私はそう言いながら、部落の一番取っ付きの家に入って行った。そこには七、八羽の丸々と肥えた美しいバラ色の金色に輝いた名古屋種が、コッココッコと大地を漁っていた。
「おお、これはきれいだ。美しい。」
 京城の真ん中に住み馴れておられる山根常務は、田園の美しさに、すっかり引き付けられていた。そして尚も続けた。
「これは白レグのように、よく産卵するかね。」
「はァ、卵肉兼用種ですけれど、中々よく産みますよ。」
「こうして画のように美しい鶏を見ると、僕も飼ってみたくなったよ。子供の情操教育のためにもね。」
 そう言って顔を上げられた途端に、かけていた金縁眼鏡が山吹色にピカリと輝いた。こうして山根常務と相対して話していると、何だか大学の教授と話しているような感じがした。
「何羽くらいお飼いになりますか。」
「そうだね。雌五六羽と雄一羽くらいかね。」
 そう言いながら山根常務はじっと名古屋種に見入った。
「承知しました。」
「ああ、あそこには立派な犢(こうし)がいるね。」
「はァ、あれは昨日の卵の牛の品評会に出品して、三等に入賞したのですよ。」
「ほう、卵の牛だね。だから見たまえ、鶏と牛とが仲良くしているよ。」
 山根常務は目の前で一群の名古屋種が、赤い犢(こうし)のそばで、頻りに何か餌を漁っている姿に目を吸い付けられていた。大豆殻をむしゃりむしゃりと食んでいた犢は、淡い冬日を受けて目を細くしていた。
「こうした情景は実に何ともいわれないね。」
 都を遠く江東に来られて親しく見る田園の風物が、山根常務にはすっかり気に入ったらしかった。

 それから同じような四、五軒の農家を見て、部落の総代である金南慶氏の宅に行った。
 大根葉の吊るしてある大門をくぐって内庭に入った。淡い冬日が当っている軒の松丸太には、古武士のような鋭い目をした鷹が一羽つながれていた。我々が近づくと大きく羽ばたいた。するとカラカラカラと鷹につけていた鈴が、辺りのしじまを破った。
「ほう、これは鷹だね。」
 永らく都市に住み馴れた山根常務の目には、珍しく映ったらしい。
「はァ、この金さんは毎年冬になると、この鷹で沢山の雉を獲って八九十円くらいになるそうです。」
「ふうん、そりゃ豪勢だ。名鷹匠だね。・・・おや、そこにも犢(こうし)がいるね。」
 山根常務はまた牛小屋の方に足を運んだ。主人の金さんは二頭の牛の背を擦りながら、
「はァ、家には卵の牛が二頭おりますが、こちらの一頭は昨日二等に入賞いたしました。」
 と、嬉しそうににこにこして答えた。

 それから金さんは、山根常務や私や書記を、自分の薄暗い居室に案内して、鷹狩りで獲ってきた雉をご馳走しながら、養鶏部落にまつわる面白い物語を語りだした。
「私の部落であるこの松鶴里は三十戸で、昭和四年の春に理事さんから、一戸当り種卵を十五個づつ貰ったのですが、その年の十一月の在来種の整理期には、まだ九十二羽の真黒い在来種がいたので、組合の職員の中には、この部落は種鶏整理はダメだろうと、早くも悲観説を唱える者もありましたが、重松理事さんから、十日間の期限で自発的に在来種を整理するようにとのことで、九日目には遂に九羽になりました。
 約束の十日目には、理事さんが種鶏の検査に来られたが、そちこちの軒に殺して凍った鶏のむくろが吊ってあったので、あれはどうしたのかと理事さんから聞かれ、私はその鶏を指しながら、あれは四、五日すると誕生日や先祖祭があるので使うためですが、理事さんが来た時一羽でも生きている在来種がいたら、我が部落の面目に関するというので、自発的に在来種を始末して、ああして軒に吊るして凍らせているのです。もうこの部落では、あの凍った在来種のむくろ以外には、永久に再び在来種を見ることが出来ないでしょうとお答えしたのですが、本当に目覚めた協同の力は、どんな事でも出来ます。実に目覚めると協同の力ほど偉大なものはありません。」
 と金さんは、なかなか流暢な国語で手まね面白く話して聞かせた。

 非常に気持ちがよくなった金さんは、雉の肉を食べながら又こう語った。
「これは隣の智禮里の在来種夜襲事件ですが、丁度昭和四年の春、名古屋種の種卵の配付を受けた智禮里の五十戸の部落は、やはり私の部落のように約束の十一月が来ましたが、御多分にもれず、尚も七十五羽の在来種が誰彼の家に残っていました。これも理事さんが十日間の内に整理を迫りました。そこで部落の人たちは、協同の利益のため、この精神こそ、永遠に部落を救うものであると信じて、総代は部落の人達を呼び集めて協議した結果、鶏の行商人に片っ端から在来種を売り払ったが、なお三戸で七羽の在来種を残しており、どうしても整理に応じないので、約束の最後の日が明日に迫ったその夜、再び部落の役員会を開き、最後の手段として、実に在来種の夜襲事件が決行されたのであります。ここに完全に智禮里という種鶏部落が建設されたのであります。この在来種の夜襲事件は智禮里養鶏部落の礎となり、部落の歴史を飾る麗しいエピソードとして、永遠に伝わることでありましょう。」
 こう物語った金さんは、今はもう自分が物語の中の人物になってしまっていた。
「いや協同の力は実に偉大ですね。」
 先刻から熱心に聞いていた山根常務は、教育の部門を担任しているだけに、流石にこうした物語をも、興味をもって聞いておられた。金さんは俄かに思い出したように、
「さァ、まァどうぞ・・・ これは私が獲ってきた雉です。京城のお客さんに召し上がっていただくのは光栄です。どうぞ・・・。」
 この部落を背負って立っている金さんは、この建設エピソードにすっかり気分をよくしてしまった。
「いや、どうも沢山いただいたですよ。ではこれで失礼して、今度はその在来種夜襲事件で有名な智禮里に案内していただきましょう。」
 山根常務も久し振りに、ごみごみした都塵を避けて、何もかも清められたような清澄で閑静なこの田園に来て、飾り気のない質朴な組合員南慶氏の物語に、いたく胸を打たれたものがあったらしかった。そして私を顧みられた。
「重松君、君は本当に幸福だね。」
「はい。私は理事という聖職にあることを心から感謝しております。」
 そう言いながら私は南慶氏の温突を出た。
 山根常務も私につづいて出られた。

「ではこれから夜襲事件の智禮里にご案内しましょう。」
 私共は南慶氏に別れを告げて、干菜の大門を出た。
 そしてダラダラ坂の小径を拾って丘を下りた。
 南慶氏の鷹が強い羽ばたきをしたとみえて、鈴の音がガランガランと閑寂な枯野を越えて聞えてきた。
 冬枯れの世界は実に物静かだ。淡い太陽の光に何もかも枯れ尽くしていた。私は落葉の微かな音にも侘しさを感ぜずにはいられなかった。
 江東の高いポプラの枯木立に日が落ちかかっていた。赤土の畑を隔てて、私は静かに木立の中の落日を拝んだ。私はこんな時にも、何時も自然の荘厳さにただ打ちふるうばかりであった。
 本当に冬枯れの世界は物静かで尊いと思った。

 それは菅校長が卵の牛の品評会を打ち合せに来てから、まだ間もないときのことであった。
 組合の掲示板はもとより、邑内の要所要所には、卵から牛への品評会の掲示が貼られ、学校の掲示場にも卵から牛への品評会のことが細々と書かれてあった。
 かくて郡内はもちろん、隣接の各郡までも、品評会の噂がそれからそれへと伝わって、人が二三集まれば、必ず品評会の話で持ち切りであった。

 霜凪に晴れた学校の運動場には、組合の職員と六年生の男子が槌やスコップや鶴嘴を持って元気よく待機していた。
 職員室から出て来た菅さんは、六年生を集めて三班に分けて一段高い声で言った。
「さァ、これから第一班の生徒は重松理事さんと共に、正門にアーチを作って下さい。第二班は私と共に運動場に棒杭を打って、それに牛を繋ぐ綱を張って下さい。第三班は組合の書記の人と運動場の中央部に万国旗を張って下さい。みんな分りましたか。」
「はい、分りました。」
 生徒は明朗な口調で、はっきりと答えた。
「先生、どうもお手数をかけてすみません。」
 私はいくら教育的価値があるとしても、色々手数をかけることを本当にすまないと思って丁寧に頭を下げた。
「いいや、どう致しまして。ではあなたは正門の飾付けをやって下さい。」
 菅さんは若者のように、運動場の中央部に出て行った。そこには組合から運んできた沢山の棒杭や綱が置かれてあった。
「第二班の者は、その棒杭を丸い印のつけてあるところに、しっかりと打ち込んで下さい。」
 そう言って菅さんは上着を脱いで、一番大きい重い槌を持って上段に振り上げて、ヨイサヨイサヨイサと大地に打ち込んだ。
 それに倣って生徒の班もヨイサヨイサと掛声をかけて、勇ましく槌を振り上げて、杭を大地にぐんぐんと打ち込んだ。その槌音が清く澄んだ大空に響いて、阿達山に勇ましくこだました。
 そして横に十列、一間置きの間隔で棒杭が打たれ、それに綱が張られた。
 中央部にも何時の間にか、高々と棒が立てられ、その頂上には大国旗が掲げられ、それから更に万国旗や組合旗が蜘蛛の巣のように張り巡らされた。
 正門には、予て用意していた松葉で、大きい緑のアーチが作りあげられ、中央部に「卵より牛への品評会」と大書した額が掲げられた。
 これで各班の準備はすっかり出来上がったのであった。
「いや、どうも皆さんご苦労でした。もうこれで明日の卵の牛の出場を待つばかりです。」
 私はそう言って頭を下げた。協同の力でこうした仕事をすれば忽ちだ。あの大空に響いた槌の音、みんなが力を合わせて綱を張ったあの勇ましい掛声、アーチを作りながらの和やかな語らい、組合旗のはためく音、私は何となく胸が高鳴った。何といっても協同の力だ。渾然として融け合った力だ。みんなの気分が一つに溶けこんだ心の力だ。本当に愉快だ。これですっかり会場の設備が出来たのだと思うと、何となく私の心は躍った。
「どうもみなさん有難う。」
 私は埃まみれの手で帽子を取った。
「いいえ、どう致しまして。でも割に早く、なかなか立派に出来ましたね。」
 菅さんはそう言いながら、そこらを一わたり眺めて微笑みながら、槌を担いで学校の倉庫の方に行った。生徒たちもスコップや竹箒や鶴嘴を担いで菅先生について行った。
 初冬の陽は急に西に傾いた。学校の周囲の冬木立は、くっきりと中空に濃い影を投げて、夕風におののいていた。
 私は広い運動場に打ち込まれた棒杭や、十列に張られた綱や万国旗を顧みて、よくも僅かの時間にこれだけの仕事が出来たものだ。汗の一滴一滴がみんな立派に生きて輝いているのだ。働きの妙味は何といっても流汗淋漓たる中にあるのだ。私はポケットからハンカチを出し、顔の汗をそうっと拭いた。
 そして心の中でミレイのように「今日の日の働きを嘉納したまえ」と祈った。
 陽はだんだんと沈んできた。空は夕焼けていた。教会の鐘がカンカンと流れてきた。そして私の祈りは天に立ち昇って行くように思われた。

 こうして楽しい一夜が明けると、十一月一日(昭和六年)の朝が来た。
 私は冬晴れの大空を何処(いづこ)ともなく渡って行く鳥の影を追うて仰いだ。そして今日は上天気だ。卵の牛の品評会日和だと心の中でささやいた。
 会場の設備は一列に二十頭づつ繋留し、十列で二百頭の予定で、前列から五列までを牡牝の犢(こうし)とし、六列を仔牛を連れた牝とし、七列及び八列を牝の成牛、九列及び十列を牡の成牛として振り当てたのであった。
 その日はもう定刻前から、邑内には牛の大市のように、卵の牛が繰り込んで来た。そして正午までには、早くも学校の運動場は卵の牛で埋れてしまって、恰も牛牛牛という感じであった。
 出品者の誰の顔を見ても、希望に燃え、感激に輝いていた。
 この日最も注意を引いたのは、二三年前に卵の貯金で買入れた牝牛が、まだ産んで間もない可愛い仔牛を連れて出場していたことであった。こんなときには場内には思わず拍手が起こり、歓声がどっと沸き上がったりした。
 朝から一点の雲もなく晴れ渡っていたので、人々は世にも珍しい卵から牛への品評会を見んものと、会場へと雪崩込み、ために運動場は人人人、牛牛牛で、大きな渦を巻いていた。

「理事さん、こんにちは。」
 そう言って丁寧に頭を下げた尹中燮君は、普通学校はその年の春卒業したのであったが、まだ学生帽をそのまま冠っていた。彼は小さいとき不幸にして父を失い、かよわい母親の手で、小さい妹と共に育てられ、母子三人が世の荒波にもまれながら暮してきたのであったが、燃ゆるが如き好学心を持っている彼の心を察して、母親は彼と共に、組合から白レグの種卵を持って行って、それを大事に孵化育雛し、産んだ卵は全部組合に貯金して学費に当てたのであったが、彼は十六歳の春、見事に卵の貯金で普通学校を卒業し、卵のおかげで卒業証書は見事にかち得られたのであった。そして卒業と同時に、残った卵の貯金三十二円を引出して、赤い牝の犢(こうし)を買入れ、健気にも農村生活のスタートを切ったのであった。今曳いてきた牛が即ちそれであった。
 中燮君は、赤い丸々と肥った手入れのいきとどいたその犢(こうし)を、まるで自分の兄弟のように大事に曳いて来たのであった。
「やァ、尹君か。これはなかなか立派な犢(こうし)だね。」
 私はそう言って尹君の牛の方に歩いて行った。毛の色といい、肉付きといい、骨格といい、実に見事なものであった。その辺りにいた人々は、どっと中燮君の牛を取り巻いた。そして見物人の誰かが、「これは犢(こうし)の中で一等賞だろう」とささやいていた。
 そのうちに次から次へと繰り込んできた牛は二百頭を突破して、さしもに広い運動場も、今は全く牛で埋まってしまった。
 道庁から派遣された綾織技師や郡の技術員は、一生懸命になって審査を始めた。そして入賞が決定すると、その度ごとに組合員は拍手を送ったり歓声を上げたりした。
 私は自分で一わたり見て廻った。そしてこの二百余頭の卵の牛をどれも皆入賞させたい気持ちで一杯であった。これがどうして区別がつけられよう。みんな尊い努力の結晶だ。一個三銭足らずの卵に心を込めて、貯めに貯めた尊い結晶だ。この尊い努力、この尊い自覚、この尊い生命に、どうして区別がつけられようかとさえ思ったりした。

「理事さん、お客様が見えられました。」
 李書記は沢山の見物人を押し分けて、お客さんを案内してきた。
 道庁差廻しの自動車は、藤原知事代理として佐々木財務部長、青木前知事、山根金融組合協会常務理事、高橋理財課長、河野連合会理事などで、その他道内各郡の技術員たちであった。
 一行は私の案内で場内を一巡された。
「やァ、これは盛んだ。大した牛だね。何頭集まったかね。」
 そう呼びかけられた青木前知事は、その年の春に退官され、平壌の閑静な南山町に居を構えられ、昭和水利組合の創立事務を掌握されている傍ら、一市民として各方面の指導に当っておられたのであった。
 殊に組合の養鶏事業には、知事在官当時から、深い理解と同情を持っておられたのであったが、退官後も尚この事業に興味を持たれて、
温かい目で見守られ、毎年記念日の鶏卵品評会や、こうした牛の品評会にまでも親しく出席して、鞭撻して下さるのであった。
「現在卵の牛の総数は二百三十五頭ですが、本日既に出場している頭数は二百頭を突破いたしました。」
 そう言いながら、私はそちこちと出品牛の中を縫いながら案内した。
「卵の力も大したものだね。それに組合が主催であるのと、出品牛が全部卵の牛だから、これだけの出品頭数があったのだろうが、郡や道の主催では、なかなかこれだけの盛会は期せられないね。」
 青木前知事さんは、自分が在官中から目をかけていたこの事業が、何の蹉跌もなく、すくすくと伸びてきたことを非常に喜んでおられた。
「いや全くお蔭さまでございます。」
 私はもう感激で胸がいっぱいであった。
「とにかくここまで事業が大きくなると、君も愉快であろうが、同時に荷が重くなったね。」
「はい、でもこの頃はしみじみと働き甲斐があると思います。」
 自分が培ってきた事業がすくすくと伸びて、今日はこうして数多の来賓を迎えて、自分の事業の結晶である卵の牛を集めて、これが品評会を催すということは、私としては本当に感慨深かった。それと同時に責任の重いことも痛感した。
 しかしまた仕事をすれば荷が重くなったり、働けば風にも当ったりするのは当然だと思った。何もしないで気楽に暮したいなら、平凡に終るに限るのだ。少なくとも事業への栄光の道は、荊の道であり、十字架への道であると思った。自分で出来る仕事に全力を注いで、脇目もふらず進んで行くことだ。それが聖職を生かす所以だ。それが一つの進むべき道だ。だからたとえその道が険しくとも登って行くべきだと思った。そして私は静かに「荷が重くなったね」と言われた青木前知事の言葉を意味深くしみじみと噛みしめてみた。
「おお、あれは仔牛が産まれているのだね。」
 青木前知事は第六列に繋いであった仔牛連れの牝を興味深く眺めておられた。
「はい、これは三年前に買入れた牝が産んだのです。」
「ほう、卵の孫というわけだね。」
 青木前知事の言葉に、一同はどっと爆笑した。
「はァ。」
「昨年五十頭の品評会の時には、仔連れの牛はなかったのだが、今年は相当多いね。」
 そう言って青木前知事は、今度の品評会に特に感興を持たれたようであった。
 どの列に繋がれている牛の前にも、若干の乾草や大豆殻が置かれてあった。繋がれてあった牛はそれを少しずつ食みながら、中には冬の淡い太陽の光を受けて、モーと気だるい声を出して鳴いているのもあった。
 そして最後に一番前列の犢(こうし)のところに来た。
「おお、これは見事な牛だ。君の犢(こうし)かね。」
 そう言って青木前知事は手袋のままで、犢(こうし)の頭を摩った。犢(こうし)は僅かに頭を動かして目を細めた。
「はい、今年普通学校の卒業記念に買いました。」
 中燮君はペコリと頭を下げた。自分の犢(こうし)が沢山いる中から、特に知事さんの目に留まったことをこよなき喜びとして。
「なかなか手入れも行き届いているし、それによく飼いたててあるね。大事にしてやりたまえ。」
「はい・・・ はい。」
 中燮君は少年らしく頭を下げた。前知事さんともあろう人が、自分のような田舎の少年に声をかけてくれるのは、卵の貯金で牛を買入れたからだ。本当に有難いことだ。
「この少年は小さい時から、母の手一つで育てられまして、学資は卵の貯金で支払って、今年の春めでたく卵のおかげで卒業証書を頂いたのです。」
 私は側から中燮君の牛を見ながら付け加えた。
「そうかね。そしてこの牛は、その卒業記念に買ったんだね。」
 青木前知事さんはにこにこしておられた。
「はい。」
 中燮君は流石に嬉しく、品評会に出品する牛を持ち得たことを非常な誇りに思った。
「それはエライ。しっかりやりたまえ。」
 青木前知事さんはそう言って満足そうにまた歩き出した。
そして次から次へと牛を見廻られた。
「ほう、ここには馬がいるね。」
 青木前知事の一行と共に牛を見廻っていた誰かが、一番前列の端に繋いであった三頭の馬を見つけてささやいた。
「この馬は、みんなが牛を出品しているのに、自分は馬を買ったので出品が出来ないのは残念だ。でもこの馬だって等しく卵の貯金で買入れたのだから、是非見てもらいたいと言って出品したのです。」
「ふうん、それはなかなかウマイ考えだ。」
 と即座に言われた青木前知事の言葉に、又々一同は爆笑した。
 こうして二百十三頭の牛をずっと見廻られると、一同は式場である天幕の中に入って行かれた。
 そして午後二時に振鈴が響きわたると、それぞれ席に着いて賞状授与式が挙行された。
 私は感激に胸を轟かせながら、開会の辞を述べた。綾織道畜産技師の審査報告に次いで、それぞれ賞品が授与され、朴郡守の告辞、藤原知事、青木前知事、山根協会常務等の心からなる祝辞があって、最後に一等に入賞した尹中燮君が、感激に輝く面持ちで次のような答辞を述べた。

 本日鶏卵貯金より購入した牛の品評会が開催されまして、ここに二百十三頭の出品を見、今その褒賞授与式を挙行され、我等はその栄誉を荷い、且つご参列下さいました知事様をはじめ皆様から、ご懇篤なる御訓諭を下さいまして、有難いことは何とも申し上げる言葉がありません。
 惟いますに、この養鶏施設が始まりました当初は、卵が牛になるとは考えてもおりませんでしたが、組合の方々の熱と愛とに由る指導は、遂にこの盛況をみるに至ったのであります。
 今の農村は世界的不況の影響を受けて、農村は生活のドン底に喘いでおります。また農村の青年達は進むべき道を失ったような感があります。
 しかるに我が江東は幸いに養鶏施設があって、鶏卵貯金によって、学びたき人には学資を与え、牛無き人には牛を与え、土地無き人には土地を買わせ、病魔に呻吟している人には薬を飲ませる等の事実は、生きた教訓として、着々我々の眼前に展開されているのであります。
また勤労貯蓄の美風は日々に普及していき、我が農村の更生の道はここにありと、強く感じられるのであります。
 しかし我等はこれを以って満足しないで、一層研究練磨を加えて、本趣旨に報いんことを決心する次第であります。茲に簡単でありますが、受賞者一同に代わりまして謹んで御礼を申し上げます。
   昭和六年十一月一日
               受賞者総代  尹 中 燮

 かくて初冬の一日、卵の牛の品評会は、鶏王国である江東に相応しい催しで、いとも和やかに終り、一般観衆の脳裏に「卵から牛へ」の深い印象を与えたのであった。
 組合員は何れも皆希望に輝き、感謝の至情を捧げつつ、入賞の旗を押し立てて三々五々牛を引き連れて家路についた。
 
 会場には初冬の斜陽の中に、組合旗が翩翻として輝いていた。
 それはある土曜日の午後であった。
 事務室では算盤を弾く音、一枚一枚とめくっていく帳簿の音、事務室の隅っこでお湯の沸く音、皆それぞれが初冬の音の世界を持っていた。
 組合の窓口には金を借りに来た者、利息の支払いに来た者、貸付金を返済に来た者、預金に来た者、引出しに来た者、卵の貯金に来た者等の顔がいっぱいに並んでいた。
 ちょうどそこへ黒い詰襟服を着た普通学校長の菅さんが入って来た。
「こんにちは。土曜日ですのになかなかご多忙ですね。」
 菅さんはにこにこしながら、ずっと事務室の中に上って来た。
「やあ、いらっしゃい。まァ、どうぞ。」
 私は私の横に置いてあった応接テーブルの前の椅子をすすめた。
「今日は土曜日ですのに大変ですね。」
 そう言って窓口の組合員を見ながら菅さんは椅子に腰を下した。
「はァ、もうこの頃は、組合は土曜日も何もありませんよ。」
 私は山のように積まれた伝票に判を捺しながら顔を上げた。
 その時窓口で貸付をしていた李書記は、右手にペンを握ったままつかつかと私の前にやって来た。
「あのお話中ですが理事さん、今年は卵から牛への品評会をおやりになりますか。」
「ええ、先日も言った通り、日取りはまだ定めていないが大体十一月の初めにするつもりですよ。」
 私は判を捺した伝票を李書記に渡しながら答えた。
「分りました。今ちょうど組合員から聞かれたものですから・・・。」
「そうですか。卵の貯金から買い入れた牛は全部出品するように、どうぞみんなに伝えておいて下さい。」
「そして場所は何処にいたしますか。」
「いや、それが問題で僕も当惑しているのですが・・・。」
 私は昨年(昭和五年)の十月に、卵の牛が五十頭突破記念の品評会を普通学校の厚意で運動場で開いたのであったが、今回は二百頭突破記念の品評会で、相当沢山の牛が集まって来るので、何処で開いたらよいかとその場所について非常に心配していたのであった。
「実は私もそのことについて今日お伺いしたのですが・・・。」
 菅さんは今給仕が運んできたお茶をそのまま静かに机の上に置いて、初めて来意を告げた。そして尚もつづけた。
「今日六年生が、今度組合で卵の牛が二百頭になったので品評会をされるということを話しているのを聞いたのですが・・・。」
「はァ、ご承知の通り五十頭の品評会のときに、二百頭になったら品評会をやると言っていたのですが・・・。」
「そうそう、確かそう言われましたね。」
 菅さんは大きく頷いた。
「ところがもう二百頭は今年の春に突破したのですが、時期がちょうど耕作で牛の使用期でやれなかったのですよ。」
「ほう、二百頭を突破したのはこの春でしたか。全く早いものですね。」
「そうです。全く夢のようですよ。」
 私は本当に早いのに驚いた。昭和三年の暮に初めて下里の金禮淑婆さんが待望の卵の牛を買入れて、みんなを驚かせたが、この金婆さんの卵の牛に投げた一石はあまりにも大きい波紋を画いた。偉大な反響を呼び起こした。そしてこのただ一頭の卵の牛が口火となって、枯れ野に火を放ったように部落から部落へと飛火して、卵の牛はだんだんと殖えていったのを今更のように驚いた。
「今何頭になっていますか。」
「もう二百三十五頭になりましたよ。」
「二百三十五頭ですか。素晴しいですね。」
 菅さんは我が事のように喜んでくれた。
「いや、これも皆さんのお蔭ですよ。」
「それで実は、こんな珍しい意義ある催しはまたとないのですから、今度も是非、前回のように学校の運動場でやっていただきたいと思ってお願いに来たのですが・・・。」
 菅さんは熱心に私の顔を見つめて言った。
「そうですか。それはどうもありがとうございました。でも今度は二百三十五頭ですから、少なくとも二百頭以上は出品があると思いますが、相当運動場を汚しますよ。」
 私は二百頭の牛を繋いで、学校の運動場を牛市場のように汚しては本当に申し訳がないと思った。しかし会場としては何といっても学校が便利でよい。だからできることなら学校でさせていただきたいと内心考えていたのだ。だが実際問題として、二百頭の牛を学校の運動場に繋ぐことは、設備もなかなかだし、それに糞尿で運動場を汚すことが非常に心配であった。
「いやいや理事さん。卵の貯金で買入れた牛の品評会なんて、全く世界に類例のない事で、こんな教育的な催しは、もうまたとない機会です。どうしても学校でやって下さい。それに私の学校の卒業生や在学生の卵の牛も相当出品されるのですから・・・。」
 菅校長は運動場の汚れることよりも、面倒な手数のかかることよりも、この教育的価値の極めて大きい品評会のためには、いくら犠牲を払ってもよい。それよりも本当に生徒に対して生きた教育、根強い教育をすることだ。現実の教育をすることだ。実物示唆の教育をすることだ。そこにこの品評会が生徒に及ぼす価値を、心から感謝しなくてはならぬと思っているのであった。
「しかしその日は半日以上も繋いでおくのだから、相当糞尿を出すと思いますよ。」
「ええ、結構ですよ。糞は全部学校の堆肥に頂きますよ。」
 私は本当にこれでよかった。心配していた会場問題は完全に解決した。これで安心した。本当に学校が借りられることは何という仕合せだろうと思った。
「まァ、そんなことは末節の問題で、私はこうしたまたと得がたい実物教育によって、生徒たちにまことの教育、まことの知識を持たせたいのです。本当の教育はただ書物を読ませたり、講義を聞かせたりするだけでは駄目なのです。つまり魂にふれた教育が必要なのですよ。」
 もう二十数年を教育界のために尽してきた菅さんは、しっかと教育の大地に立っていた。
「そのお説には、私も全く同感です。」
 私はそうした菅さんの考え方には全く共鳴した。そして正しい教育精神旺盛な菅さんに心から敬意を表した。私は尚も言葉を続けた。
「とにかく恒産なきものは、恒心なしと言いますが、我々理事者にも、豊かな指導恒心が必要だと思いますよ。」
「そうです。そうです。」
 菅さんは大きく頷いた。
「この問題は学校の先生だって同様だと思います。・・・まァ、私共に指導恒心が必要であるが如く、教育者にも教育恒心が必要で、もしお互いが恒心なき指導者であったり、恒心なき教育者であったりしては、指導や教育の内部的発展も、生活の深化もあり得ないことになりますからね。」
 私はそう言って、しみじみと菅さんの顔を見た。
「そうです。それに全く違いないのです。ところがまたそれがお互いが持つ大きな悩みの一つですよ。」
 二十数年間、教育界にあって苦しみ抜いてきた斯界の老練家であり、また研究家である菅さんである。
「それはお互いさまですよ。ともかくもお互いは、教育指導の恒心を創造し、教育の大地、指導の大地を開拓せねばなりませんね。」
「そうです。少なくともそう努めなくてはなりませんね。」
「ですから、学校では宏遠にして旺盛なる教育精神に燃え、組合では宏遠なる理想を把持して、指導精神を漲らせることが必要で、そこに色々の施設が生れたり、事業が創作されたりするのですね。」
 私はそう言いながら伝票に判を捺して、それを机の片隅に置いた。
「そうですね。何といっても第一線に立っているお互いの一人一人が、教育精神に白熱し、指導精神に灼熱しなくてはなりませんね。」
 菅さんはそう言って私の顔を見つめた。
「そうです。ところで学校で実物教育が必要なように、組合員だって土に生きる苦痛を味わいながらも、現実に卵から牛への進出の欣びを体験させて、それによって初めて彼等は土に生きる根強さと尊さを持つようになるのですよ。つまりあらゆる生活の難関を突破して、自力で牛を持ち得て、初めてそのよろこびに燃えるのですね。」
 私はそう言いながらまた伝票に判を捺した。
「いや全く尊い事です。貴重な体験です。」
「人間は体験を通じて、初めて、聞いたものや、見たものが自分のものになるのですね。」
「そうです。何といっても体験には力がありますよ。それに苦しい体験は人間を深めてくれますね。」
 永い間教育の仕事に携わって洗練されている菅さんの言葉には非常に味があった。菅さんは尚も続けた。
「体験は極めて貴重ですが、ただ不幸に出会ったからとて、それで体験したとは言われませんね。」
「それはそうです。どんな不幸でも、どんな災難でも、どんな失敗でも、それを十分噛みしめて反省し、そこから新しい結論を見出してこそ、初めて自分の体験として役に立つのですものね。」
 私はこんな話をしている中に、嘗て貫通銃創を蒙ったその頃の苦しみと悩みとの中に、反省して新しい自分の辿るべき人生観を発見し、再生のよろこびの中に貴重な体験を得たことをしみじみと感謝した。
「いや仰せのように体験は尊いものですね。」
 菅さんもまた永い過去に於ける自分の色々の体験を心の中で呼び起こしていたのである。
「だから現在卵から牛へと進出した二百三十五名の農民は、この尊い体験を得て、大地にしっかと立って離れないのですよ。」
 私は、働くことの尊さを忘れていたこれ等の貧しい組合員が、初めて自力によって自分の牛というものを牛小屋に繋いで、農業に対して新しい力を見出して、大地にしっかと立ったことを愉快に思った。
「全くですね。」
 菅さんは感激したように頷いた。
「そしてその農民が土を思うように、お互いが第一線の聖職、つまり先生は教育界のために、組合の職員は組合運動の大地に根を下して精進すれば、そこにがっちりとした真の進むべき道を見出すことができると思いますよ。」
「同感ですね。」
 菅さんはそう答えて、次の私の言葉を待っていた。
「農民の生活が大地に深く根を下しているように、我々理事者も組合運動の大地に根を下した強さを持っていなくてはなりませんね。つまり指導の恒心ですよ。」
 そう言って私は菅さんの顔を見つめたが、菅さんは黙って聞くばかりであった。
「また我々の真の指導精神は、真に地軸を貫く組合精神の大道に立脚すべきであると思います。」
 私は机の隅に置いてあった湯飲み茶碗を取って、一口ぐっと飲んだ。
 丁度そのとき、貸付係の李さんが一枚の借用金申込書を持って、私の机の上に差し出した。私はそれを一通り調査すると判を捺して渡した。李書記はそれを受取ると、軽く頭を下げて私の方を見た。
「あの、お話中ですけれど、卵の牛の品評会の会場は何処に定まりましたでしょうか。今組合員達が聞いているものですから・・・。」
「それについて今菅先生とも色々ご相談した結果、前回のように学校の運動場をお借りすることにしましたよ。」
「そうですか。それはどうも菅先生ありがとうございます。」
 貸付係である首席の李書記は、一寸菅さんの方を向いて、にっこり笑って如才なく頭を下げた。
「いいや、こんな教育的な催しは学校の方が進んでお願いしなくてはなりませんよ。」
「会場につきましては理事さんはとても心配しておられましたが、何時も何時もどうも相済みません。」
 李書記はまた頭を下げた。
「それでね李さん、前日の準備には、まァ上級生も手伝いますが、組合からも誰か指導に来て下さいよ。」
「ハイハイ、みんなで参ります。誠にどうもありがとうございました。」
「それくらいのことは当然ですよ。いつも内の生徒が卵の貯金で色々とお手数をかけているのですから、それに今度は、その貯金の結晶である卵の牛の品評会ですからね。」
「いいや、卵のお世話は当然ですから・・・」
 そう言って笑いながら李書記は自分の机に帰って行った。
 私はこうした菅先生と李書記との会話を聞いて、愉快でたまらなかった。
「どうもとんだお邪魔をいたしました。」
 菅さんは急に思い出したように腰を上げた。
「いや、どうも有難うございました。」
「では二百頭突破記念の品評会場は、学校の運動場と定めて下さい。設備はお手伝い致しますから・・・。」
 菅さんは最後にまたそれを付け加えて、丁寧に頭を下げて事務所を出た。
 私は玄関まで送って行った。
 もうそのときは、窓口に沢山来ていた組合員も大分少なくなっていた。
 事務室では伝票の集計をする算盤の音、帳簿を繰る音、金を数える音、湯が沸く音が静寂の中に微かな音をたてていた。
 事務室の西側の倉庫の前の日溜まりには、四五頭の乳用山羊が散り敷く落葉の中に臥して、暖かい太陽を浴びて、眼を伏し目がちにしながら、その細いうなじを落葉に差し伸ばしていた。
 またしても枯れ草の上にポプラの葉は閑寂な音をたてて散った。牧場の大ポプラの霜枯れた葉が、牧場の中にも、牧舎の屋根にも、大地に寝ている山羊の上にもひらひらと引っ切り無しに散った。閑寂な音をたてて散った。
 洪君が組合の給仕に採用されてから、暖かい日が続いた。小鳥は梢に踊っては大地に下りた。そこには柔かな草が萌えていた。
 長い間、雪に埋れていた西鮮の子供たちは、丘のほとりに僅かばかり黒い土を見出しては、小鳥のように爽やかに快活に踊ったり、わめいたり、手を叩いたり笑ったりする。その声が組合の倉庫にこだまして聞えた。
 土が見えたぞ、ポプラが芽を吹いたぞ、小鳥が歌っているぞとよろこぶのは、決して子供ばかりではなかった。
 もう、四月の大地は暖かな脈を伝っていた。
 組合の横の日当りのよい空地に放飼いしていた母鶏は、所々青々とした草萌えを見つけて、コッココッコと雛を呼んでいた。その声に十四五羽のヒヨコはバネ仕掛けのゴムマリのように飛んで行った。
 それを他所に見ながら、初めて給仕となった洪君は、日給二十銭を給され、新しい小倉服を着て甲斐甲斐しく働いた。

 ある朝のことであった。私は事務の関係で朝七時に出勤した。
「お早うございます。」
 洪君は養鶏室から私に挨拶をした。
 私はこの早朝だ、まだ誰も来ていないだろうと思っていたのに、洪君から出し抜けに呼びかけられていささか驚いた。
 洪君はにこにこしながら、養鶏室や職員の机の上を整理したり、ハタキをかけたりしている。
「お早う。随分早いね。一体君は何時頃来るのかね。」
 私は、もちろん洪君は朝が早いとは知っていたが、こんなに早いとは思わなかった。
「この頃九時が出勤時間ですから、七時ちょっと過ぎには来ています。」
「朝食を食べて?」
「はァ、ランプを点けて食べます。」
「ランプを?」
 私は洪君が組合に入ってから、誰よりも早く来るということは知っていたが、ランプを点けて朝食を食べて来ると聞かされては、ただもう頭が下がるばかりであった。そして私自身、少年給仕の洪君に強く鞭撻されるのであった。
 それにまた、我が子を早く送り出す母親の毎日の努力を想いみるとき、私は我が胸をひしひしと痛く打たれるのを覚えた。
「毎日朝早くからエライね。なかなかきついだろう。」
「いいえ、私は毎日早く起きて来るのが楽しみでごさいます。」
 洪君は給仕として為すべき事を忠実に努めているだけのことだと単純に考えているようである。
 私はのびのびと善き働きにいそしみ、素直に育っていくこうした青少年を見るとき、その一人一人に対して感謝の言葉をかけたいような気がした。
「あの理事さんにお願いがありますが・・・。」
 洪君は何を思ったのか急に真面目になって、私の顔を見ながら生徒のように不動の姿勢をとった。
「お願いって、何ッ?」
「私にも学童のように種卵をいただきたいのですが・・・。」
「ああ、いいとも。養鶏をやるかね。」
「はァ、こうして毎日組合に出勤しているのですから、私も卵の貯金をしたいと思います。」
「ふうん、それはいい。大いにやり給え。」
 私は洪君に種卵を配付する約束をした。

 それから二三日すると、洪君は白レグの種卵を籠に入れて持って行った。何事にも熱心な洪君はすぐにそれを抱卵させて、孵化すると大切に育てたのであった。
 
 それから杏の花が咲いて、若葉が萌え出て、アカシヤの花が咲いて青葉が茂って、秋風が吹いて、裏の阿達山が紅葉して、今度は吹く風にひらひらと落葉が散って落莫たる冬になった。
 私はじっと静かな気持ちで落葉のささやきを聴いた。そしてその静かな落葉のささやきを聴くと、ただ何となく地に伏して泣きたいような気がした。地に伏して祈りたいような気がした。
 その頃から洪君の鶏はぼつぼつ産卵するようになった。一年近くも一生懸命に育て上げた洪君の心は躍った。

 初冬のある朝であった。
「理事さん、家の鶏がこんな卵を産みました。」
 洪君は学童が持って来る時のような小さい籠に卵を入れ、ちゃんと名札を付けて、私に持って来て見せた。
「ほう、これはなかなか立派だ。」
「まだ産みはじめたばかりですから、小さいですけれど・・・。」
「それはだんだん大きくなるさ。」
 私はそう言いながら、籠の中から卵を机の上に取り出してみた。どの卵も皆真白で、それに大きさも大体揃っている。
「みんな綺麗でしょう。」
 洪君は自分が持って来た卵を嬉しそうに眺めた。
「今日は幾つ持って来た?」
「はァ、二十個です。」
「重量は?」
「産みはじめで小さいですから丁度一キロです。」
「ふうん。じゃァ六十五銭だね。」
「はい、私の日給の二日分に五銭多いです。」
 その頃洪君の日給は三十銭になっていた。
「全くだね。君の日給の二日分より多いね。そう思うと鶏もなかなか馬鹿にできないね。」
「そうです。この頃農家で六十五銭の現金を隔日貯金する家は一軒だってありません。全く鶏を飼えばこそです。」
 洪君は僅かばかりしか貰っていない自分の日給のことを思うと、本当に鶏は有難いものだと思っているようだった。
「そうとも、今毎日何個くらい産むかね。」
「雌が九羽で六個から七個産みます。」
「ほう、この寒さにいい成績だね。」
「はい。種卵がよかったからでしょう。」
 洪君は今まで在来種だけ飼っていたので、初めて飼った改良種の産卵率のよいのに驚いているようだった。
「一日に六個産むと、二日で君の一日分の給料より多くなるね。」
 洪君の従来の日給に比較すると、卵一個が三銭として、二日で十二個であるから三十六銭で、洪君の日給より六銭多いわけであった。
「そうです。私と鶏とで毎日働きますと、何年かの内には沢山貯金が出来ます。でも私の給金は義務貯金に積んだ残りは父母に渡しますから・・・。」
 あまり裕福でない家庭に育った洪君は、自分の僅かな給料も、貯金を差引くと、全部よろこんで父母に提供していたのであった。
「そうすると、残るのは君の義務貯金の他に卵の貯金だけだね。」
「はい。ですから、この卵の貯金は私にとって大事な貯金でございます。」
「そうだね。でも君は毎日組合に来るのだから、その都度持ってくれば卵の貯金も随分大きいものになるよ。・・・まァ、鶏と共に起き、鶏と共に働きたまえ、必ず何か報いられるよ。」
 洪君は本当に毎日鶏と共に起きて、組合に出勤し、鶏は卵を産むために働いていたのであった。
「私が出勤した後は、小さい妹が鶏の世話をしてくれるのです。」
 こうした二人の会話が交わされるのも珍しいことではなかった。
 洪君は耳が切れそうな厳冬でも、誰よりも早く、しかも出勤時間より一時間半くらい前に来るのが普通であった。
 そして零下二十四五度の寒さのときでも、八時過ぎには、襟巻も外套も眉も帽子も、白く息で凍らして出勤した。
 こうした洪君は一年中誰よりも早く出勤して、しかも熱心に勤務した。

 洪君が組合に採用されてからは、毎年毎年鶏卵の取扱いは増加するばかりであった。
 そして昭和四年度には、取扱いの鶏卵数も二十万個に達し、これらの鶏卵は、少年洪君の手によって整理されたものがかなり多かった。
 かくて年々鶏卵の受付が多くなったので、組合としても愈々専任の取扱者が必要となったので、ついに洪君は養鶏係として組合の事務員に抜擢され、卵の受付はもちろん、養鶏貯金の整理を担当するようになった。
 この栄誉ある昇進は素より、組合職員も、組合員も、毎日出入りしている養鶏貯金者も非常によろこんだ。

 洪君が事務員に採用されてから、まだ間もない時のことであった。洪君は相変わらず誰よりも早く出勤していた。
 まだ八時過ぎであったが、早くも学校の生徒が卵を持ち込んで来た。生徒たちは卵の籠を事務室に置くと、また頭を下げて出て行った。その度ごとに私も洪君も生徒に会釈した。
 その中に二三人の上級生らしい生徒が話しながら入って来た。
「今度この組合の洪さんは給仕から事務員になったんだよ。エライなァ。」
「エライとも。毎日早くから僕たちの卵をせっせと受付けてくれたのだもの。」
「そうだよ。僕たちだって、洪さんのように真面目に熱心にすればエラクなるよ。」
「そうとも。」
「君は学校を出たら何になる?」
「そんなことはまだ分らないや。」
「そうだよ。僕たちは今一生懸命に勉強して、そして毎日卵の貯金をして、自分で月謝を払えばいいんだ。」
「君は卵の貯金をして、上級学校に行くのか?」
「まさか、卵の貯金だけでは行かれないや。」
「でも下里の尹景燮さんは、卵の貯金から医生になったじゃないか。」
「ウン、あの人もエライ人だよ。」
「だから僕たちもあんなにエラクなるんだよ。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
 私は先刻から、この純真な少年たちの会話を頼もしく聞いていた。
 朗らかな生徒たちは、組合をまるで自分の家庭のように思っているようだった。
 私はしみじみと理事という聖職を尊く思った。
「今日は軍隊に卵を納めるので、集卵動員令をかけていたのだったね。まだ出勤時に四十分も前だのに大分卵は出たじゃないか。」
「はい、もうほとんど予定の数には達しました。」
 洪君はそう答えながら卵の受付を機械のようにせっせとしていたが、ふと玄関に入って来た菅校長を見つけると、丁寧に挨拶して私に知らせに来た。
「お早うございます。」
 菅さんはにこにこして、鶏卵取扱室に入って来た。
「ああ、お早うございます。」
「今朝の集卵動員令の結果はどうですか。」
「はい、この通り成績極めて良好ですよ。」
 私は四列に並べてある数十個の卵の籠を指差した。
「やァ、これはなかなか沢山出ましたね。この分なら予定数の出荷は大丈夫ですね。」
「はい、もう充分です。」
「まァ、それで安心しました。せっかく世話を願っている斎藤理事さんにご迷惑をかけてはすまないと思っていましたが・・・。」
 菅さんは集卵については、何時も我が事のように心配してくれた。そして機械のように手を動かして卵の整理をしている洪君を愉快そうに見た。
「ねェ、洪さん。今度事務員に昇進されたそうで本当におめでとう。」
「はい、有難うございます。これも皆様のお蔭でございます。」
 洪君はにっこりと笑って頭を下げた。
「私はあなたを推薦するとき、六年間皆勤の君はきっと真面目にやってくれると確信していましたよ。」
「はァ、先生のご鞭撻のお蔭でございます。」
 洪君は少年らしくややはにかんだ。
「いや、理事さん、有難うございました。学校を卒業しても使って下さる人が十分指導して下さらないと、よい結果を得られないのですが、これで生徒たちにも、とてもよい影響を与えましょう。」
 菅さんはどこまでも教育者としてものを判断し、教育者として感謝することを忘れなかった。
「いやどう致しまして。家庭に於いてよき家族は、事務所に於いてもよき事務員ですよ。こうした洪君に出会えたのも先生のお蔭ですよ。」
「本当に有難うございました。」
 菅さんは我が事のようによろこんでいた。
「洪君は組合の給仕になっても、四年間全く無欠勤でしたよ。」
「ああ、そうでしたか。六年間皆勤の洪君の旺盛な精神は組合でも生きていましたね。」
 菅さんは大きく頷いて、自分の期待の外れなかったことを心から喜んだ。
「それにご存知のように、私の組合は全職員が出勤時間の三十分前には全員揃うのですが、洪君はどんなに寒いときでも、どんな大雪のときでも、毎日一時間半以上早く出勤して働いていますよ。」
「本当に組合の職員は、皆朝が早いですね。」
「はァ、こうして生徒が朝早くから卵を持って来ますからね。」
「どうも朝早くから色々とお手数をかけて相すみません。」
「いや、生徒のためばかりではありませんよ。お互いが出勤時間の少なくとも三十分前に全員が揃って、それぞれ部署に着くということは、毎日現業に携わっている私共の当然の義務ですよ。」
「まァ、そう言われればそうですけれど・・・。」
「そうでしょう。汽車が九時に発つのに、九時過ぎて駆けつけては何時も汽車に乗り遅れるのは当然ですからね。どうしたって現業者は時間前に部署に着いていなくてはなりません。」
「それはごもっともですね。」
「まァ、これも熱心な職員と若い洪君等の努力で、互いに相励まし相励まされたわけですよ。」
「いや、今朝は大変愉快なお話を伺いました。」
 菅さんは絶えずにこにこしていた。
「そうそう、お話することを忘れていましたが、まだまだ愉快な話がありますよ。」
「そうですか、どんなお話です?」
 菅さんは何時になくその炯々(けいけい)たる眼を輝かせていた。
「あの洪君ですね、毎日出勤の度毎に卵を持ってきて、必ず貯金をしていましたが、四年間給仕を無事に勤めたのも父母のお蔭だと申しましてね。それで今までにも卵の貯金で豚は何頭も買いましたが、今度は給仕から事務員に昇進しましたので、その記念にですね昨日の市日に卵の貯金を四十三円引出して、見事な牝の犢(こうし)を買い入れまして、両親にこれで立派に農業をするようにと贈ったのです。・・・私はこうして善い事をしてくれる青年をみると嬉しくてたまりませんよ。こうした青年は必ずまた涙の出るような美しい働きをしてくれると思っています。」
「本当ですね。今朝は気持ちよい、生きた教育的価値のあるお話を伺いまして気が清々しました。」
 菅さんは胸中密かに自分の学校の卒業生からこうした善行者を出したことを喜んでいた。
「まァ、お互いが大衆を教育したり指導したりするには、どうしても眼前の一人を動かさなくてはなりませんね。自分の眼前の一人を動かし得ない者は、決して大衆を動かすことは出来ませんね。」
「全くです。」
 菅さんは熱心に私の顔を見つめていた。
「遂に眼前の一人をも動かし得ない者は、自らも動いていないと言えますね。」
 私は他人に熱を伝うるには、ただ口先だけでは駄目だ。先ず熱を伝える前に自分自らが現実に白熱し、熱し切らなくてはならぬと信じていた。
「はァ、その通りです。私共が生徒を教育するということは、非常に困難でありますが、その教育苦難の道を、おっしゃるように自分自ら愛をもって貫いていかなければなりません。」
「そうです。先生が子供を教育したり、私共が職員や組合員を教育指導したりするのには、どうしてもただ一つ愛の熱情でぐんぐん押し進んでいくより外ありませんね。」
 私は、教育指導は愛の熱情の無限の創造、つまり繰り返し繰り返し試みていかなければならぬと思っていた。
「全くです。」
 菅さんは我が意を得たりというように言った。
「まァ、教育理論も指導原理も必要ですが、それを自分の体験として生かさない理論や原理であったなら、その教育や指導は何の意味もない、全く無価値なものだと思いますよ。」
「そうですとも。教育体験もなく、指導体験もなくては真の教育や指導ができるものではありませんね。」
 菅さんは新しい給仕が運んできたお茶を美味しそうに飲んだ。
「とにかく先生にしても、組合の理事にしても、教育実践指導実践の態度を持つことが必要であり、また尊いことだと思いますよ。」
 私も菅さんに誘われたようにお茶を飲んだ。
「まァ、お互いは何でも自分でやってみることですね。そして自分で苦しんでみることですね。」
「そうです。そうすると人を愛することが如何に難しいことであるか、また教育という仕事が如何に尊いものであるか、指導という仕事が如何に尊いものであるかが分かりますね。」
「そうです。それをしっかりと体験することができたら、お互いがこういう蕭条たる辺境の第一線に起っていても自ら満足して働くことができるのですね。」
「全くです。」
 菅さんは瞬きもしないで、私の次の言葉を待っていた。
「そりゃ、こうしてお互いのように第一線の生活には耐え難い困苦というものがあっても、先生は生徒のために、組合の職員は組合員のために、指導教育に全魂を打ち込み、命がけになり得た時に、初めてお互いは自ら自分の価値が分ってくると思います。」
「そうすると、全魂を打ち込み命がけになり得なければ自分の価値も分らないし、また聖職の意義も分からないことになりますね。」
 菅さんはじっと私の顔を見ていた。
「まァ、そうも言えますね。」
 私は軽く答えた。
 丁度その時、玄関の戸を開けて小さい可憐な少年が卵を持って入って来た。
「お早うございます。」
「あッ、先生も来ていらっしゃるぞ。」
 一人の少年がつぶやいた。
「理事さんも見えておられるぞ。」
 他の一人がこっそりとつぶやいた。
「先生、お早うございます。」
 二人は帽子を脱いで頭を下げた。
「ああ、お早う。君等は一年生だな。卵を持って来た?」
 菅さんは椅子から立ち上がって、その生徒の方に歩いて行った。そして満足そうににっこりと笑った。
「やァ、ごくろうさん。ありがとう。」
 私も椅子から立って二人の側に行った。
 二人の少年は、にこにこしながら出て行った。
 菅さんは側で甲斐甲斐しく卵の受付をしていた洪君に眼を向けた。
「洪さん、あなたは本当によいことをなさった。出世の記念の犢(こうし)にどんなにご両親が喜んでいることでしょう。どうぞ何時までも何時までも今の気持ちでしっかりおやりなさいよ。では理事さん又来ます。今日は本当に気持ちのいいお話を伺いました。ありがとうございました。」
「いや、ご苦労でした。これで軍隊に納入する卵も整いました。有難うございました。」
 菅さんは、教え子の出世記念の犢(こうし)を深く頭に刻み込んで事務所を出た。
 私は雑草の中にすくすくと育っていく一茎の草花を見守っているような気持ちで、何時までも玄関に立ちつくしていた。
 日暮れ頃、私は水晶川のほとりを歩いた。そして私は私たちの世界が黄昏だけであったらと思ったりした。私は黄昏の世界ほど尊いものはないと思った。一本一本の樹が薄暗の中に、何もかも枯れつくした赤土の大地に、おのがじし寂しい疲れた影を投げていた。ふと顧みると邑内の高い教会の屋根も、郡庁の屋根も、草葺の屋根も、皆平等に薄暗の中に包まれていた。
 水晶川の流れに沿うて、白い道がほのかに暗の底に走っている。
 私はまた牛をいたわりながら帰ってくる牛舎曳きを見た。彼等は日中は重い荷物を満載して、雪の凍て道を車を軋らせ、牛を引っ張って運搬したのであった。
 空も、木も、小鳥も、牛も、人間も、皆ひたすらに黄昏の静寂の前におののいているようであった。
 こうして黄昏ていく冬枯れの野末の道では、逢う人間のすべては尊く思われた。
「おや! 重松さん、何処へ?」
 ふと、呼びかけられた私は、驚いて後を向いた。そこには黒いマントに長靴を履いた普通学校の菅校長が、枯れ芝の上をすたすたと歩いて、私を追っかけていた。
「また部落指導でしたか。」
 夕明りに菅さんの笑い顔が浮んで見えた。
「ええ丁度抱卵期ですから、一寸様子を見に・・・あなたは?」
 私は白い軍手のまま帽子をとった。
「私は卒業式がすんで一段落ついたものですから、生徒の家庭訪問をして、今その帰りですよ。」
「それはご苦労でした。じゃァ、ご一緒に帰りましょう。」
「はい、お供させていただきましょう。」
 もう二人は水晶川に沿うて、萬柳堤の枯れ草の上を肩を並べて歩いた。ずっと向こうの茶色に枯れた雑木林と、黒い大地にぼんやりと青い縞を染めた麦畑とを取り混ぜて頂いた低い丘陵の起伏がうねうねとして遠く黄昏の空につづいていた。
 そして更に丘陵の起伏の末が何時か大気のうちに融けこんだあたりは、一脈の連山が、まだ白々と雪を頂いているのが、夕暮れの空明りにはっきりと見えていた。
「部落の方も沢山雛が孵って、ピヨピヨと鳴いていましたよ。」
 菅さんは長靴で若者のように颯爽と歩いた。
「そうでしょう、農家では早くから孵しますからね。」
「早いのは、もう鶏くらいになっていましたよ。」
「それは紀元節頃に抱卵したのでしょうね。」
「はァ、今日私の行った崇義里という部落は、ご承知のように、非常に貧しい人が多いようですが・・・。」
「そうです。あの部落も相当貧乏な人が多いのですよ。」
「ところが貧乏部落なのに、入学児童が非常に多いのですよ。」
 菅さんはそう言って私の顔を見た。
 そのころは今と違って、毎年三月になると、普通学校では新入生の募集のために、試験休みを利用して、職員がそれぞれ手分けして、丁度組合員を募集する時のように、各部落に出張する有様であった。
「それはまた面白い現象ですね。」
「ところが、それがやはり卵のお蔭なのですよ。」
「えッ、卵のためですか。」
「はい。あの部落の貧乏な人たちも、鶏を六、七羽飼って、組合に卵の貯金をすれば、学童一人の月謝と文房具費が出るという事がはっきりと分ったのですよ。」
「なるほど、卵の貯金で月謝の支払いができることが分ったのですね。」
「そうです。卵から月謝へという経験が出来たのですよ。」
 その頃毎年生徒募集で手をやいた菅校長は、こうした傾向を心からよろこんだ。
「経験が智慧を磨き、経験が自信を与えるというが全くですね。」
 私はその頃から澎湃として起こって来た学童養鶏を本当に心強く思った。
「経験のない智慧は痒いところに届かないし、経験のない智慧は真相に触れないものですが、貧乏な人たちでも卵の貯金をしてみて、その経験ができたわけですね。」
「そうです、そうです。」
 菅さんは我が意を得たりという風に大きく頷いた。
「経験は、無知でも教えるといいますが、正にこの事でしょうね。」
 私は自分の提唱している副業養鶏が、意外に根強く沁み込んでいるいることを心から頼もしく思った。菅さんは何を思い出したのか、急に話を転じた。
「この頃組合は大分忙しいようですね。それに養鶏の仕事もありますので大変ですね。」
「そうですよ。今では職員も全く手不足ですよ。」
「そうでしょうとも。」
「それで実は先日道庁に行った時、高橋課長は差当たり給仕をおいて、卵の整理を手伝わせてはどうかと言ってましたが・・・。」
「それは結構でしょうね。」
「誰かよい者がおりませんか。」
「そりゃ邑内にも普通学校の卒業生は沢山いるにはいますが・・・。」
「この付近の部落に適当な者はいませんか。」
「そうですね。」
「毎日農業の手伝いをしているような、真摯な困苦欠乏に堪ゆる少年が欲しいものですね。」
「そうそう、おりますおります。」
「おりますか。」
「ここから二十四五町もあって少し遠いですけれど、松鶴里に洪鳳岐というよい少年がおりますよ。」
「何年の卒業生ですか。」
「今年の卒業生で、身体はあまり大きくはありませんが、非常に真面目な少年ですよ。何でもたしか学校も六年間皆勤でしたよ。」
「ほう、六年間皆勤とは素晴しいですね。」
 私は六年間皆勤、無欠席で卒業したということは、本当に偉大だと思った。大変な努力だと思った。
「それに学校を出ても,ブラブラ遊んでいないで、毎日家事の手伝いをしていますから、あの少年なら必ず将来性がありますよ。」
 菅さんは六年間皆勤をしたという洪鳳岐君に立派に折紙をつけた。
「全くですよ。」
 私は六年間、皆勤の努力の跡は不滅だ、努力の汗は決して消えるものでない。消えたように見えても、必ずどこかで立派に実を結ぶものだと信じていた。そして尚もつづけた。
「とにかく一度会ってみましょうよ。」
「そうですか、お会い下さいますか。」
 菅さんは自分の教え子が給仕に採用されることを非常によろこんだ。そして私が直接会うなら必ず採用は直ぐに決まると信じていた。
「ええ家庭の状況や、本人の日常の生活を見た上で、決定したいと思います。」
「それは何より結構です。どうぞ一度会ってやって下さい。洪君の部落はあの丘を越えて二十四、五町ばかり行ったところですよ。」
 菅さんが指差すままに私はその丘の方を振り向いてみた。目の前には青磁色に澄んだ水晶川が流れていた。所々小石の堰に流れが遮られ、水が淀んだあたりは真白に澄んでいた。
 邑内からこの松鶴里に通ずる長い自然木の橋が架かっていた。
 夕明りの水面には、松鶴里の山の松林が仄かに映っていた。
 そして堰を漏れて迸る水の音が、淙々として黄昏ていく野末に静かに響いていった。
 川を隔てて山につづいた丘の上には、松鶴里に通ずる一本の小さい帯のような小道がほんのりと見えていた。
「ははァ、あの丘の道を行くのですね。」
 私は突いていたステッキで指した。
「そうです。あの山路を越すと直ぐですよ。」
「では近いうちに訪ねてみましょう。」
 二人が四方山の話をしながら肩を並べて邑内に帰ってきたときはもう灯し頃であった。
 教会の鐘がカンカンと黄昏の澄み切った空に響いた。

 それから四五日後のある日曜日であった。
 私は首席の李書記と共に洪鳳岐少年を訪ねるために家を出た。
 教会の横の小さい路地を通って、枯れ芝を踏んで水晶川に出た。
 松鶴里の北側の山々には、元日から積った雪が所々の谷間に細い帯のように残っていた。
 それでも遥か彼方の山々は紫色に霞んで、何となく早春らしい感じがあった。
 二人は黙々として歩き、橋を渡り、丘を越え、山を越えて部落に着いた。その入口にささやかな草葺の家があった。これが洪君の家であったが、父親も洪君も山に薪を採りに行って不在であった。
 母親と妹らしい少女が家の前で、朝鮮臼で高梁をついていた。私共は簡単に来意を告げて、暫くその辺りを逍遥して洪君父子の帰りを待つことにした。
 やがて妹の教えるままに裏山を見ると、洪君父子は担軍いっぱいに薪を背負って帰ってきた。
 私は遊び盛りの少年洪君のこの健気な働きぶりを見て、愉快でたまらなかった。
 山を下ってきた父子は、この意外な来訪者を不思議に思っているようだった。二人は家の前の庭に担軍を下すと、申し合わせたように大きな深呼吸を二つ三つした。
「理事さん、いらっしゃい。」
 父親が朝鮮語で質朴そのもののように挨拶をした。
「理事さん、今日は。」
 洪君は先生に対してするように丁寧に礼をした。
「やァ、今日は。なかなかエライね。毎日こうして働いている?」
「はい。学校を卒業したのですから、今は一生懸命に父母の手伝いをしています。」
 洪君はまだ十六歳の少年で、無邪気ににこにこと笑っていた。
「教育の真の目的は、人々に善いことをするように強いることだけでなく、人々をして善いことをなすことの中に、楽しみと喜びを見出さしめることでなければならない。私は少年洪君がその楽しみと喜びを見出していることを嬉しく思った。
「それは結構だね。ところで今日訪ねて来たのは、実は君を組合の給仕に来てもらおうと思ってなんだが・・・。」
 洪君は聊(いささ)か面喰ったようであった。
「はァ、それは父母が承知してくれるなら行きます。」
 洪君は一寸顔を赤くした。
 そこで李さんは簡単に洪君の両親に来意を告げて、その承諾を求めた。
「洪君、僕の組合は君も通学しているとき、時々来て知っている通り、職員は出勤時間より三十分前に全員揃うのだが・・・。」
「はい。朝の早いことはよく知っております。」
「それで君は給仕だから、職員よりももっと早く来て、色々の準備をしなくてはならないが、ここから二十四五町もあるのに、毎日そんなに早く起きることができるかね。」
「大丈夫です。きっと早く行きます。」
 洪君は小さい眉を僅かに動かした。
 私は六年間皆勤した洪君の顔色を見て、最早それ以上聞く必要はないと思った。
「じゃァ、四月一日から出勤したまえ。」
「はい、有難うございます。」
 一通りの話が済むと、私は洪君の一家に別れを告げて、土饅頭の墓のある丘を越え、山を越えて、また水晶川を渡って、萬柳堤の広場まで帰ってきた。
 つい先頃まで雪に埋もれていたこの萬柳堰の地上には、小さな草の芽が枯草の間から小さい頭を擡(もた)げていた。
 私は軽い疲れを覚えたので、枯れ芝の上に腰を下した。そしてじっとその一つ一つの芽を見ていると、自然というものの不可思議な謎の深さがしみじみと感じられた。
「李さん、今日はよかったね。」
「そうですね。」
「あんな子供がにこにこして働いていたのは、実に愉快だったね。」
「そうです。まだ遊びたい盛りですのに・・・。」
 李さんもにこにこと働いているあの少年を見て、悪い気持ちはしなかったらしい。
「全く父子が、いや一家族がああして楽しく働いているのを見ると、自然に頭が下がるね。」
「はい。」
「あの少年は必ず将来、我々の小さき同志として働いてくれるですよ。ね、李さん。やはり菅校長は教育者だけあって、人間を見る目が高いね。」
「はァ、敬服しますね。」
「とにかく大きい船には深い水が要るように、我々の大きい仕事には長い年月が必要だし、長い年月を飽かずに働くのには、真摯飽くなき人物が要るのだからね。あの小さい一人の同志が見つかったことは、我々にとっては貴重な発見であり大いなるよろこびだね。」
「全くです。」
 李さんはにっこり笑った。
 私はステッキを枯れ芝の上に置いて、両の手で枯れ芝の上を触ってみた。指先に触れた大地は、まだ冬の寂しい眠りを思わせるほど冷たく静かであった。
 柳の美しい緑の間から見える煉瓦建の赤い工場は、その大煙突からモクモクと恐ろしいほど黒い煙を吐いていた。
 藍色に暮れた大空には銀色の旅客機が大きな鳶のように飛んでいた。
 史蹟に輝く大平壌の中を流れている大同江は、今も昔ながらに悠久に流れていた。その沿岸には、緑の柳がなよなよと風に吹かれながら、美しい姿を水に映していた。
 粋な画舫が鏡のような水面にポッカリと夢のように浮んで、数羽の燕が軽やかにスイスイと飛んでいた。
 流石に平壌は柳の都、水の都で、全く画のように美しかった。

 その日漸く平壌に着いた景燮氏は、ある下宿屋の薄暗い室に落ち着いた。
 それから今まで着ていた木綿の朝鮮服を脱いで、小倉服に着替えると、その翌日からは、今までホメや鍬を握っていた節だらけの手に、なれぬペンや又時には聴診器などを握るようなこともあった。

 こうして田舎の一寒村から都会へ出て、しかも小作人から医生を目差して、医学の一学徒として三十六歳の晩学で、新しい教育を受けた若い青年達に伍していくことは彼にとってはなかなかの苦労であった。
 殊に景燮氏は若い時に書堂で不規則な漢文を僅かに勉強したばかりで、国語さえも知らなかった。それに引き換え医生という大望はあまりにも実際とかけ離れれていた。
 しかも彼の郷里下里の家庭には、残された妻とその三人の幼い子供が、あらゆる困苦と戦いながら、何時医生の栄冠を勝ち得て帰ってくるかわからない父を侘しく待っているのであった。
 学科が済んで薄暗い下宿に帰って来て、あれを思いこれを考える景燮氏の心はチ々に乱れて胸を掻き毟られるようであった。
 景燮氏は今こうして現実に自分自身が実際の苦痛や悲しみの立場におかれてみると、初めて今まで想像からつくりあげられた同情というものの力の弱いことに気がついた。
 そして我が身に降りかかってくる苦痛や悲しみに対しては、命がけでこれに当るべきだ。自分自身で玉砕すべきだと思った。
 昔からよい夢を人に語るなという伝説があるが、よい夢ばかりでなく、苦痛や悲しみも、決して人に語ってはならぬ。ただじっと耐えていくところに人生無限の力が湧いて来ることを知った。
 また景燮氏は、生きるも死すも、苦しむのも、悲しむのも、人に迷惑をかけないで、全て自分一人で耐え忍んでいきたい。それが男らしいやり方だと思った。淋しい生き方ではあるが、しかし男らしい生き方だと思っていた。
 偉大なる成功者は、いつも力強い男性的な勇気を持っている。
 そうだ、男性的勇気で何時でも自分のことは自分の力で、ただ一人で闘っていくだけの底力を持たなければ、本当の成功者にはなれないのだ。尹景燮氏はそう思うと、もうじっとしていられなくなった。愈々ここに真剣な実に血の滲むような死闘の努力と生活が続けられたのであった。

 それから丁度一年という月日が流れた。
 愈々待望の医生の選抜試験が行われた。
 数多ある立派な応試者の中に、景燮氏はただ一人質素な小倉の詰襟服で、まるで使丁のような恰好で学科試験を受けたが、日頃の努力が報いられて見事にパスしたのであったが、実地試験では惜しくも失敗してしまった。
 景燮氏は久方振りに郷里に帰ってくると、直ちに組合に訪ねてきた。
 挨拶が形の如くに交わされた。
「先日の実地試験は、本当に惜しいことをしたね。残念だったね。」
 私は学科試験は相当優秀な成績でパスしながらも、実地試験に惜しくも失敗した景燮氏を気の毒にこそ思ったが、その失敗を批判したりするような気持ちにはなれなかった。
「学科試験の方は、うんと勉強していましたので自信がありましたが、実地の方は何しろ脈をとったり、聴診をしたりするのですから、今までホメや鍬ばかりを握っていた私には相当難しいことでした。」
 人間的な苦悩を苦しみ抜いた如何にも人間らしい人間である氏はそう言ってにっこりと笑った。
「そうだろうとも、一体その実地試験というのはどんなことをするのかね。」
 私は景燮氏に深く同情もしていたが、またあれだけ奮闘家の景燮氏が失敗したという実地試験はどんなものであったかと大いに関心を持った。
「はァ、試験場は平壌の慈恵医院で、患者は施療患者でしたよ。」
「慈恵医院でね。」
「はァ、それに試験官は院長さんや内科の博士の先生方で・・・。」
「ふうん。」
「私が診療をさせられたのは、胸部に浮腫ができている患者でしたが、博士の先生から、この患者は何処が悪いのかと聞かれました。」
「ふうん。」
「私は大体形の如く診察して、腎臓が悪いようですと答えたら、更に試験官がこんな容態の場合は腎臓だけかと聞かれたので、一寸まごついたが、脚気もありますと答えました。」
「ははァ、そりゃなかなかうまかったね。」
 私は今まで何も分らなかった景燮氏が、ここまで診ることができるようになったことを嬉しく思い、且つ尊いとも思った。
「そこで私は腎臓か脚気かに診断を下すのには、もっとよく診察しないと断定は難しいですと答えました。」
「ふうん。」
「すると試験官はまァよろしいと言われたのですが、その間私の診察の態度や順序などをじっと見ているので、田舎者の私は気がボーッとして、すっかりあがってしまいましたよ。」
 少しの横着気もない純朴な気のいい景燮氏の告白は勿論真実であった。
「全くね。自分より凄い人が沢山立ち会っていると思うと、誰だって相当気が引けるからね。」
 私はたとえ臨床に失敗したって景燮氏は本当に凄いと思った。
「そんな訳で今度は失敗して誠に申し訳がありませんが、何れ又近く実地試験があるはずですから、今度は必ず成功しますよ。」
 景燮氏は、心ひそかに期するところがあった。
「まァ、一度や二度の失敗に失望することなく、大いにやってくれ給え。しかしこれから家に帰ってどうするつもりかね。」
「はァ、もう後は実地試験だけに漕ぎ着けたのですから、私は二三日して又平壌に出て、田和病院で研究を続けるつもりです。何れ出壌前に又お伺いいたします。」
 それから四方山の話をしていたが、景燮氏は胸に燃ゆる希望を秘めて組合を辞した。
 それは景燮氏が再び田和病院に実地の研究に出発してからまだ間もないことであった。
 京城日報社長の松岡正男氏が当組合の副業養鶏の奨励状況を視察にみえた。そして事務所で色々と状況を聴取された後、自動車を飛ばして下里の養鶏部落の視察に行かれた。
 一行は私の案内で、部落の前で自動車を降りて、そちこちの農家営農状況や、また副業養鶏の状況を親しく視察された。

「重松さん、白レグの頭に青インクをつけてあるのはどうした訳ですか?」
 松岡社長は一群の白レグに得意のカメラを向けながら尋ねた。
「はァ、これは先刻お話申し上げました通り、この部落が全部白レグ部落で、自分の鶏と近所の鶏とが区別がつかないものですから、自分の鶏の印に青インクをつけているのでございます。」
 私はそこに集まって来た青インクの鶏を見ながら説明した。
「なるほど、部落全部が同一の白レグを飼っているのだから、区別するためですか。これは面白い。はッはッは・・・。」
 松岡社長はパチリと一枚写すとカメラをポケットに収めた。
「なるほど、自分の鶏の所有権を明らかにしたのですね。」
 久松秘書も物珍しそうに見て笑った。
 それから一行は卵から豚へ牛への実況を見た。

 地主の尹東寛氏の庭を通って、色のさめた春聯の張られた小さい門を抜けて出ると、そこには小さい草葺の景燮氏の家があった。
 その軒端には黒く光った砧磐が凭せ掛けてあった。
 小さい二間つづきの温突にくっついて粗末な物置が建てられてあった。その物置の中には二三束の松葉が積まれ、その横には高梁を搗いていたらしく、少し紅く染まった空の朝鮮臼が杵を突っ込んだまま置いてあった。
 その物置の側には、高梁稈で無造作に造られた粗末な小さい鶏舎が建てられて、その付近には赤インクをつけた一群の白レグが遊んでいた。
「ここのは赤インクですね。」
 松岡社長は秘書の久松氏を顧みながら面白そうに見ていた。
 そして小さいそのみすぼらしい家をじっと見つめていた。
「重松さん、この家は小作人ですか?」
 都会人でもこうした家に住んでいるのは小作人だろうと一目で分ったらしかった。
「そうです。」
 と、私が答えると、薄暗い温突の中から、生活にやつれた中年の細君が顔を出してにっこり笑って頭を下げた。
「この家の主人?」
 松岡社長は、小作人の生活状態を聞いてみるつもりらしかった。
「はァ、この家の主人は尹景燮さんと申しまして、今年三十六歳になる貧しい小作人でありますが、実はただ今もご説明申し上げました通り、あの小さい卵が豚になったり、牛になったり、土地になつたりするのをじっと眺めてみて、遂に豁然として人生を大悟いたしまして、三十六歳の晩学で卵の貯金から医生を志しまして・・・。」
「ほう!」
 松岡社長は驚異の眼を見張った。
「それから卵の貯金を引出して、まだ小さい三人の子供とこの細君を後に残しまして、蹶然立って平壌の医生講習所に入学いたしましてね。」
「ほう、そりゃ実に素晴しい話ですね。」
「はァ、そして先頃試験を受けたのですが、学科試験は見事に合格したのですが、惜しいことに実地試験が駄目でしたので、今また平壌の田和病院で研究しておりますが、本人も今度は必ず実地に合格するといって頑張っています。」
「いや、それはどうも、今どき珍しい美談ですね。」
 松岡社長は静かに久松秘書を顧みた。
「久松君、感心じゃないか? こんな教育的特種が路傍の石ころの中に転がっているよ。これから成川に着いたら平壌の支局に電話で督励して、早速田和医院にその尹景燮氏を慰問して、記事を直ちに本社に送らせ給え。」
「はい、承知いたしました。」
 久松秘書は小さい原稿用紙を取り出して、その要点を控えた。
「重松さん、こんな立派な企ては、お互いが力をつけてやって成功さすべき義務がありますね。」
「はァ、有難うございます。どうぞ大いに激励してやって下さい。」
 私は眼の付け所の高い松岡社長の人格に敬服した。凡そ新聞人が色々の人に接して、そしてそれ等の人の中から、美を見出し、魂の光を見出そうとすることはなかなか容易でないのであるが、美を美として魂の光を光として真面目に受け入れてくれる松岡社長の深みのある人格には敬服しないではいられなかった。
「ああ、今日は大変いいものを見せて頂きました。まだこれから今日は陽徳までの日程ですから、これで失礼いたします。本当に有難うございました。」
 松岡社長は久松秘書を促してタクシーに乗ると、砂塵を挙げて一路陽徳に向った。

 松岡社長が視察にみえてから間もないことであった。
 昭和五年七月十七日の京城日報の二面に三段抜きとして景燮氏のことが次のように載せられてあった。

   卵から医生が生れる
     養鶏貯金の興味から廓然として大悟す

 悪事千里を走り善事門を出でずの喩えにもれず、埋もれていた美談一つ・・・が松岡本社長の平元道路視察の途上、江東の重松金融組合理事から伝えられて、世に出ることとなった。江東金融組合の重松理事は、付近の農民に養鶏の有利なことを教えんと、自ら養鶏をなして範を示し、これが有利なことを宣伝した。
 熱心なる努力は次第に付近の農民に理解され、われもわれもと養鶏を始め、養鶏から金組への貯金、その貯金から牛、田地、花嫁貰いと貯金は種々活用されている。
 その養鶏家の一人で江東郡江東面下里尹景燮(三六歳)さんは、妻の李彩述(三二)さんとの間に尹載文(一三)尹載民(一〇)尹載彬(七)の三人の男子を持つ父であるが、養鶏から得た金組貯金が僅かづつながら大きくなるのをみて、豁然として大悟し、人生も努力すればある程度まで為し遂げられることを思い、予てから希望していた医学に志さんとし、卵の貯金を引出して平壌へ来り箕城医学講習所に入所した。同所では予科一年、本科二年で卒業生を社会へ送り出しているが、別に六ヶ月卒業の速習科を置いている。尹さんが入所するに選んだのはこの速習科であった。尹さんは付近にささやかな下宿を求め、苦学力行学習に余念がない。妻子ある中年者の学習は青少年に比して、甚だ劣等である場合が多いのであるが、尹さんの熱心な勉強は、よく同級生を抜き、相当よき成績を挙げている。尹さんは記者に対して次の様に語った。
 私が医生になろうと思って勉強しているのに対して、江東金融組合の重松理事さんから特に色々お世話になっておりますが、誠に感謝に堪えません。私が医生になった暁には、多くの貧しい人々には出来るだけ施療的にやってあげたいと思っています。これが私の前途に対する光明です。
 更に同所の呉専任講師は次の様に語った。尹さんの勉強振りには、実に感じ入っています。医生になった暁には、どんなにか世のため、人のために働かれることであろうと思っています。(平壌支局)


こうした各方面からの心からなる鞭撻を受けて、景燮氏は夜の目も眠らずに刻苦勉励して、更に死闘を続けること一年にして、遂に卵の貯金から医生への宿望はなった。

 輝かしい栄冠は遂に景燮氏に授けられたのであった。即ち昭和六年六月十一日付で医生の免許状が、朝鮮総督から下付されたのであった。丁度松岡社長が視察に来てから一年目であった。
 苦闘二年! 齢三十八歳になった無学農夫、尹景燮氏の実に血の滲む努力は、遂に報いられたのだ。実に四十余名の受験者の中、唯二名の合格者としての栄冠を勝ち得たのであった。
 合格の日、景燮氏は組合の事務所に走り込んで来た。
「理事さん・・・。」
「おお! よくやってくれた!」
 二人が堅くしっかと握った手の上に、二人の涙が一緒になって落ちた。
 私はこの医生に合格したことを、一年前に奮闘美談として同情して下さった松岡京城日報社長に直ちにペンを走らせた。

 やがて昭和六年七月三日の京日紙上に「鶏卵から医者が生れた。江東金融組合に絡まる涙ぐましき美談」と題して、予て一年前に松岡社長が紹介した涙ぐましき美談が一年後の今日、完全に結実されたと書いて、私の書簡の全文が掲載された。
 松岡社長はなお丁重なる書簡と京日のメダルを私と景燮氏あてに贈って、私どもを励まして下さった。
 更に同日京日の社説に次の一文が掲載されてあった。


   卵から医生、忍耐力の成果
「卵から医生が生れたという先日の本紙の記事を読まれた読者諸君は、貧苦の一小作人平安南道江東郡の尹景燮氏の忍耐と努力とに依る成功美談に多大の感激を催されたことと思う。
 鶏卵成金は内地にも随分多く、朝鮮の江東にも卵から豚へ牛へ土地へと進出する者が少なからざるは勿論であるが、鶏卵から生ずる一銭二銭の薄利を貯金して、学問に志し、少年時代に僅かに書堂に学んだばかりの薄弱なる基礎知識を以ってして、終に総督府免許の立派な医生になり済ました尹君の如き実例は、内鮮を通じて絶無ならざるまでも稀有であろう。
 一小作人から身を起して医生となった尹君は、目下平壌の病院にあって良医としての完成に努力を続けているということであるが、われ等はこの涙ぐましき美談を聞いて、砂中に珠玉を拾い得た快感を生ずるを禁じ得ないと共に、今更ながら不撓の意力の成果の偉大なるものあるを驚嘆せずにはいられない。
 世には努力主義を提唱する者はある。鼓吹するものはある。けれどもこれを実行する者は甚だ少ない。その間にあって、一小作人の身をもって、三十五歳を越えて学に志し、遂に所期の目的を達し得た尹君の如きは、正に一個の非凡人と言わねばならぬ。
 農村の疲弊は最も涙ぐましき時代相の一つである。財界不況に依って農村が大いなる痛手を受けたことは争われない。疲弊困憊して気息奄々たる農村を救わんが為に、政府も朝鮮総督府も異常の苦心を重ねているのであるが、しかもその農村の小作人の中から、学費を稼ぎ出して立派な医生になったという事実は、一面には農村救済の余地が十分に存在し、而して農村を救済するものは農村自身であることを最も雄弁に物語るものでなければならぬ。
 粒々辛苦の結果を巻煙草の煙に吹き出してしまつておきながら、納税の苦痛を訴うるのは意義をなさない。農村の救済は言うまでもなく、現下の急務である。当局がこの点に関して多大の考慮を費やしつつあるは、当然の事実であるが、農村自身が自ら進んで眼前の波濤を漕ぎ抜く決意を示さず、ただ徒に助け船の至らんことを待つようでは駄目である。 
 農村の疲弊は素より憂うべきではあるが、勤倹努力の精神の萎縮は、更に一層憂うべきことと言わねばならぬ。論より証拠、卵より医生が生れ出たではないか。「努力」「勤倹」という言葉は昔からあまりに使い古された言葉である。けれども、この言葉は決して黴は生えない。日に新たにして、日に新たなる意義を持っている。われ等は農民諸氏に対し、洋服を着る勿れとは敢えて言わない。ただよく働き、よく貯蓄し、而してよく之を利用せよと勧告する。
 而して又同じ勧告を農民以外の凡ての国民にも寄せたいと思う。幾度も繰り返していう事ではあるが、不景気にも不拘貧乏にも拘わらず、贅沢の気風は依然として改まらず、廃退思想、享楽主義の蔓延が時を経るに従い、益々盛んならんとしつつあるではないか。生活苦の半分以上と言わざるまでも、その一部分は手製の苦痛なりと称しても過言ではなかろう。
 決心次第、発奮次第で、卵から医生が生れ出るのである。われ等はすべての青年が尹景燮氏の如き意気に学ぶところあらんことを希望して止まない。十人此の如く、百人此の如く、千萬の人此の如くならば、経済困難を打開すること易々たるものであろう。(京日社説)

 今は成川郡の奥、その名も卵にゆかりある卵山里で、朝に悩める人の手を握り、夕べに病苦の人を慰め、或は施療に、或は実費治療に、貧しき人々に救い神と讃仰され、面民から慈父と敬慕されつつある人こそ、卵の牛に発奮し、豁然として人生を大悟し、苦杯の幾年を征服し、医生の聖職に身を捧げつつある尹景燮氏であった。
 私は静かに氏の幸福を祈った。
 昨日からしめやかに降って来た雨の音も、今日は何となく物静かであった。
 尹景燮氏のいぶせき家の軒端には、聊(いささ)か雨にぬれた一群の白レグがそれぞれ自分の嘴で、体のそちこちの羽繕いをしながら佇んでいた。それを温突の中から静かにじっと眺めていたのは、今年三十六歳となる尹景燮氏であった。

 景燮氏の机とは、ほんの名ばかりで、荒削りの煤けた松板に、無造作に脚を叩き付けたばかりである。その机の上には、古ぼけた漢書が二三冊のせられてあった。
 その内の一冊は繙(ひもと)かれて熱心に読まれていた。
 百姓である景燮氏は晴耕雨読なんてしゃれた言葉は知らないまでも、晴れた天気には、朝も早くから夜も遅くまで野外に出て耕し、雨が降るときは、こうして机に倚って好きな漢方医の書物を見ているのが常であった。
 彼は暫くすると、書物を閉じて大きな吐息をもらした。
 働けど働けど傾く家運は何時挽回されようとも思われず、黙々として眼をつむった彼の眼の前には、卵から豚へ牛へ土地への奇跡的事実がはっきりと繰り展べられていくのであった。
 あゝあゝ、俺ァ実際たった今まで、卵が牛になるなんて夢にも考えていなかった。しかし隣の禮淑婆さんはあの貧しさで、第一番に卵の貯金で牛を買った。あれから我が部落には卵からの牛がどんどん殖えていくばかりだ。そればかりじゃない、田や畑を買った者さえある。また最近では卵の貯金で花嫁をもらった者もある。考えてみれば本当に凄いものだ。俺ァ働くことにかけては決して人に負けない自信を持っている筈じゃ、腕一本であの広い田も畑も耕した。土地の開墾もした。だがしかし貧乏な生活だ。わびしい生活だ。
 理事さんから頂いた鶏、あの尊い、生れて初めての卵の貯金! あの何物にも変え難い卵の貯金を俺は一体如何するッ? 豚? 牛? 土地? 否々父の病気のとき、家が貧しいばっかりに碌々医者にも診てもらえなかったではないか・・・。
 あの時の苦しさ、あの時の悲しさ、俺はそれを考えると全く腸を断ち切られるような思いだ。しかし世の中には、まだまだ俺と同じような苦しみに、悲しみに、貧しさに戦いている人たちが沢山いるのだ。
 そうだッ! 俺は先日理事さんにお話したようにどうしても医者にならなきゃならん。そして貧しい人達のために、すべてを捧げよう。だが俺は漢学こそ少しは弁えているが、普通学校も出ていない全くの無学の徒だ。それで果して試験に合格できるであろうか。なァになァに、出来ないことがあるものか。あの小さい卵が牛になったじゃないか・・・ 熱だ。意気だ。一切は努力だ!
 と、こう叫んだ景燮氏は、もうじっとしていられなかった。

 そして軒の雨垂れを硯に受けて墨を摺って、古い煤けた白露紙に手紙を書いた。
 雨が小止みになると、卵を入れた籠の中にその手紙を入れて、自分の子供に命じて組合に届けて来た。
 私は事務室で早速その手紙の封を切って読み下した。

 諺文(おんもん)まじりで書かれたその文面によると、尹景燮氏は愈々卵の貯金を引出して平壌の箕城医生講習所に入学することを決心したのであった。
 私は手紙を読み終わって、景燮氏の盛んなる意気に感激した。
 私は書記たちを顧みて、
「諸君、景燮さんが平壌の医生講習所に入所するから、卵の貯金を出してくれと言って手紙を寄越したよ。」
 そう言って、私は景燮氏の手紙を机の上に広げてみんなに見せた。
「あの下里の尹景燮氏が、医生講習所に入所するんですか?」
 書記たちは皆私の机の傍に集まって来て、手紙をさしのぞいた。
「先日、朝起会に行った時、その話は聞いていたのだが、愈々決心したらしい。どうだろう、成功の見込みがあるかね。」
「そうですね。あの人は研究心の強い人で、一旦決心したら何処までも成し遂げる性格を持っていますから大丈夫でしょう。」
 数多の組合員の性質や信用状態を知り尽している、この組合で一番古い書記の李さんは、確信あるものの如く答えた。他の書記たちもそう信じていた。
 私は貧しい小作人である景燮氏が、しかも三十六歳で、断然意を決して医生講習所に入学して、大いに勉強しようと決心した盛んなる意志に対して、敬意を表せずにいられなかった。
 三十六歳にして尚学徒たらんとする景燮氏の心の中には、何かしら大きな革命が渦巻いているに違いないと思った。
 こんな話の最中に、青年委員の尹敏燮君が組合に訪ねて来た。
「理事さん、今日は。」
「おゝちょうどよいところへ来た。君の部落の景燮君が医生講習所に入学するという通知が来て、今そのことについてみんなで話しているところだが・・・。」
「はァ、私も以前そんな話を本人から聞いておりましたが、本人はずっと前からそのつもりで準備をしていたようです。」
「そうかね。」
「はい。それにあの人は何事にも熱心で、研究心が強いから、大丈夫成功すると思っていますよ。」
 それから尹君は、景燮氏が夜は遅くまで諺文(おんもん)を習ったり、漢方医の書物を勉強したり、また時には朝も暗いうちから起き出して勉強している健気な有様を話したりした。
「実際感心だ。いや感心というよりも、お互いに景燮氏のこの盛んな壮図によって大いに啓発され、じっとしていられないような発奮を感ずるね。」
「ほんとうです。」
 尹君は私と同感とみえて大きく頷いた。
「僕はハイカラな洋服など着込んで得々としている一部青年達に、果してこの尹景燮氏の如き意気ありやと叫びたいね。いや、青年達ばかりでなく、お互い自身もそうだよ。」
「はァ。」
「僕達は職務上当然読まねばならぬ書物でさえも、ややもすれば読むことを怠り勝ちであるが、それを思うと尹景燮氏に対しても何だか恥ずかしいような気がするよ。」
「そう言われると私共も何とも言葉はありません。」
 尹君は眼を落とした。
「いや、僕は決して君を責めているのではないよ。ただ尹景燮氏のこの偉大なる企てに僕自身が鞭撻されているんだよ。卵から医生へ! なんと雄々しくも美しい人生の行進曲ではないか? ねェ-尹君。」
「全くです。私の部落の名誉です。どうぞ失敗しないでやってくれればいいですが・・・。」
 若い者の通有性として、なかなか他人の善き行い、美しい行いをそのまま素直に受け入れられないで、きっと何かと批判的に陥りやすいものであるが、尹君は善を善として、美を美として正しく受け入れることができる尊い魂を持っている。
「なァに君ッ! 失敗が何だ、失敗すればこそ進歩するのだ。人間は失敗するほど豪くなるのだよ。だから一度や二度失敗したって、どしどし素志を貫徹すべきだよ。そうしてこそ天下の英雄になれるんだ。」
 私は失敗は決して恐れる必要はないと思っていたが、この場合貧しい生活に喘いでいながらも、敢然として起った景燮氏だけに失敗させたくなかった。だから失敗するほど偉くなると言いながらも、心の中ではひたすらその成功を祈って止まなかった。
「まァ一度くらいの失敗は、人として止むを得ないかも知れませんね。」
 尹君は景燮氏が普通学校も出ていないことを心配していた。
「そうだね。しかしたとえ失敗したって僕等には何もこれを責めたり、咎めたりする権利はないんだよ。」
「そうですとも・・・。」
「それに景燮さんもよく世の中のことが解っているのだからね。」
「はァ。」
「つまりだ。景燮さんは自分よりもっと貧しい人、もっと無学な人、もっと淋しい人、もっと不幸な人のあることを十分知っていて、そんな人達のために何とかしたいという気持ちが心の内にいっぱい燃え盛っているのだから、必ず成功するよ。」
 私はただこの上は神に祈ってでも、どうしても景燮氏を成功させたいと思っていた。そして尚も続けた。
「お互いに景燮さんのために真剣に成功を祈ろうね。」
「はい。心から祈りましょう。」
 こうして、暫く景燮氏の話を次から次へとしていたが、尹君は聊か興奮したような顔をして事務所を引き下がった。
 それから五日ばかり経って、再び尹君は組合を訪ねて来た。
「理事さん、先日は失礼いたしました。」
「いゝや、まァどうぞ。」
 私は事務室に入って来た尹君に椅子をすすめた。
「あのぅ今朝尹景燮さんが平壌の医学講習所に入学のため出発いたしますので、私が部落の代表として組合まで送って来ました。」
 尹君はすすめられた椅子の肩に手を掛けたまま突っ立っていた。
「そうそう、今日発つことになっていたのだったね。それで景燮さんは?」
「はァ、今参ります。」
 と、尹君は事務室の入口の方を振り返った。
 鶏卵受付のところには、普通学校の一年生らしい小さい生徒が五、六人卵を持って来ていた。その一年生の中にこれも医学講習所の一年生になる景燮氏が顔を現した。
 何時でも堆肥に汚れた朝鮮服を着ていた景燮氏は、流石に今日は臍の緒切って以来三十六年来初めての晴れの入学の門出だ。白い木綿の朝鮮服を着て、頭も奇麗に刈って、顔も剃り、中折帽も冠って、見るからにこざっぱりとしていた。
 鶏卵受付の処で、卵を持って来ている普通学校の小さい一年生と、晩学の一年生である尹景燮氏が相並んで立っている様は誠に面白い対照であった。

 景燮氏は事務室に上って来て、私の前で丁寧に頭を下げた。
「色々理事さんにはお世話になりました。お礼を申し上げます。愈々今日出発いたします。元より年をとってからの勉強ですから、成功するかどうかわかりませんが、入学いたしましたら命懸けで勉強して、医生になって帰りたいと思っています。出発に当って一寸ご挨拶に参りました。」
 景燮氏は今は心身を新たにして、奮闘の意気に燃えていた。
「いやどうもわざわざ有難う。どうか身体を大切にして、一生懸命に勉強して、必ず医生の栄冠を勝ち得て帰ってくれ給えよ。」
 私は新しい希望に燃えて出発する景燮氏に対しては、甚だ平凡で月並ではあったが、この際、他に適当な言葉を発見することが出来なかった。
 さなきだに物事に熱心な景燮氏は、今命がけで勉強すると言っている。命がけの勉強。嗚呼何という悲壮な覚悟であろうか。
 命をかけたら何でも出来る。
 三十六歳の景燮氏が斯くも悲壮な覚悟をしているかと思うと、私は心臓の躍動をさえ覚えるのであった。
「私の留守中でも、子供には卵の貯金をするように言いつけておきましたから、万事宜しくお願い致します。」
「ああ、いいとも。心置きなく勉強してきたまえ。命がけで勉強して、それで失敗したら運命だからね。」
「はァ、しかし私も熱はありますが、何といっても三十六歳ですから、若い人たちに伍して行くのは骨が折れるでしょうけれど・・・。」
「なァに大丈夫だ。大いに頑張り給え。男子としてやれるだけやって、それで失敗したとて、何も失望落胆することはないよ。」
「はァ、私も今度は石に噛り付いても頑張ります。」
「ウム、やり給え。たとえ失敗したって、君の部落には君を慰めてくれる沢山の組合員が待っている。また可愛い君の子供が待っている。君の愛鶏が待っている。それに理事という相談相手が待っているからね。安心してどうかしっかりやってくれ給え。」
「はァ、有難うございました。それでは理事さん、行って参ります。皆さんどうかお身体を大切に・・・。」
 と、景燮氏は書記たちにも丁寧に頭を下げた。その顔は流石に出発だ。今までに見たことがないほど明るく輝いていた。
「まだ自動車の時間には間があるね。」
 私は事務室に掛かっている時計を見上げた。
「理事さん、養鶏貯金を引出して、勉強しようとする現在の私には、ここから平壌まで一円七十五銭の自動車賃は大金です。毎日百姓して働いていたことを思えば、平壌まで十里の道を歩くことは何でもありませんから、歩いて行くつもりです。」
 景燮氏は白い風呂敷包みを肩に背負って立ち上がった。
 私は入学の門出にある景燮氏が、十里の道をものともせず歩いて行くという健気な心に動かされた。
 私は心ばかりの餞別を紙に包んで渡した。
「どうぞご機嫌よう。」
「はァ、どうぞお大事に。本当に色々とお世話になった上に餞別まで頂いて、何ともお礼の申し上げようもありません。必ず命がけで勉強して、成功して帰って参ります。」
 景燮氏は成功を心から誓った。
 書記たちも皆椅子から立ち上がった。
 晩学の景燮氏の出発だ。私も尹君も引き付けられるようにして景燮氏について出た。
 景燮氏は私共に見送られながら、一歩一歩と踏みしめて歩き出した。
 その足音が静かな朝の空気に響いて、勇ましい人生の行進曲の如く聞えた。
 江東橋の上に差しかかった景燮氏は、またも後を振り向いて丁寧に頭を下げた。
 私と尹君とは思い思いに景燮氏の成功を祈りつつ、一歩一歩と遠ざかって行く景燮さんの後姿を何時までも何時までも見送っていた。