今日も皆さんお疲れ様でした。
今日は早く帰宅できたので、今日思ったことを書いてみます。
皆さんは誤解してしまった経験がありますか?
誤解とは
[名](スル)ある事実について、まちがった理解や解釈をすること。相手の言葉などの意味を取り違えること。思い違い。「誤解 を招く」「誤解 を解く」「人から誤解 されるような行動」
という意味だそうです。
この辞書の書き方でいうと、誤解というのは主に自分がするもののように感じます。
相手の思いとは違う意味で思いを捉えてしまう。
少なからず皆さん経験があるかもしれません。
よく僕の先輩が「言葉80%」といいます。
この言葉にいつも違和感を感じてしまっていました。ただその違和感がはっきりせずモヤモヤし続けていたので、ちゃんと考えてみました。
人間との他の動物との大きな違いは、言語を使って意思を伝えることができます。
もちろん動物たちも鳴き声や動きで思いを伝えることができますが、人間のように細かく具体的に思いを伝えることができません。
つまり言葉は人間の進化の上で生まれた超優れものなわけです。
しかし、その便利な言葉も完璧ではなく弊害があります。
それが誤解なんだと思います。
これが本当に厄介で、たった一言言った言葉がその人の考えの全てだと捉えてしまいます。
そう言った意味で僕の先輩は言葉80%といいます。
僕がきになるのはこの80%という数字です。
本当に誰にとっても80%なのでしょうか。
人によっては、70%、60%の捉え方ができる人もいるのではないでしょうか。
前に、その先輩と同期と飲んでいるときに、同期が元彼の愚痴を話していました。
それを黙って聞いていたんですが、ついつい我慢できずに、元彼をかばうようなことを言ってしまいました。
ズタボロに言われました。笑
仕事の中でも、子供に対する支援の仕方で、職員同士が話している際、一人の先生はその子への思いを話しており、もう一方の先生は正論を話していました。
自分としてはどちらの意見も自分の立場として考えられれば、そう言ってもおかしくないなーと感じながら
「◯◯先生の言っていることも正論だとは思います。」と言ってしまいました。
案の定。
は?
キレられてしまいました。どちらかというと、思いの強い先生の気持ちの方が自分の考えとしてはあっていたのですが…。
もちろん、僕自身がもう少し言い方を考えないといかんやったんやろうなぁーとも思うんですが、そこはわかってほしいという思いもありました。
言葉を80%で捉えてしまうことは、誤解の温床だということです。
もしその同期が、その先生が僕の言葉を50:50。フィフティフィフティで聞いてくれていたら、僕は間違った解釈をされずに済んでいたかもしれません。
でもふと考えたのですが、じゃあ自分は相手の言葉をフィフティフィフティで捉えることができているのでしょうか…?
最初の辞書の言葉にもあるように誤解は自分がしてしまう目線で書いています。
でも、今の二つのエピソードのように誤解をした経験よりも、誤解された経験の方が激しく思い浮かびませんか?
でも、自分が誤解された経験の100倍誤解してしまっているのかもしれません。
この辞書の言葉のように、自分の誤解に気づけなければ、「なんで言葉80%でこの人は捉えるのだろう」と偉そうなことは口が裂けても言ってはいけないわけです。
人に自分の気持ちをわかってほしいと思う前に、自分が言葉というものの全てを信じてしまわないように努力する必要があるのではないかとあう結論に達しました…。
他人と仕事をして言ったり仲良く過ごしていくコミュニティの中で、相手への言葉、相手の言葉の捉え方を見つめなければならないのかもしれません…。
人と接するって難しいですね。笑
今日も上手くまとまりませんでした。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
みなさんの意見も聞かせてくださいね。
よろしくお願いいたします。
おわり。


