12月4日(日)、古市から阿倍野橋駅までもどってきた私は次の目的地天王寺公園に向かいます。
 
イメージ 1←茶臼山
 
大阪城の4㎞南に位置する茶臼山、天王寺公園内にある小さな丘という感じです。
 
道明寺・誉田の戦いの翌日1615年5月7日、真田幸村隊はここ天王寺の茶臼山に布陣します。
数では劣る真田隊は家康の本陣目掛けて総攻撃、あとわずかで家康の首に手が届くところまで攻めましたが、何重にも押しかえす徳川軍が反撃。しばらく抵抗を続けた真田隊でしたが奮戦むなしく壊滅しました。

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       安居神社→
 
茶臼山の北約300mのところにある安居神社内、真田幸村戦死跡之碑と銅像です。
真田幸村が疲弊して休息しているところを徳川兵に討ち取られたと言われています。銅像は最近作成されたのだそうです。
 
ここから今度は市営地下鉄を乗り継いで玉造駅で下車。大阪城と茶臼山の中間地点、真田山公園に向かいます。
 
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←三光神社
 
真田山公園三光神社内にある真田幸村銅像と真田の抜け穴跡
半年遡って、前年1614年の大坂冬の陣。
幸村は真田丸という砦をこのあたりにつくり、奮戦、徳川軍に大打撃を与えました。
 
周辺はたくさんのビルやマンション、アパート名に”真田山”の文字が使われています。幸村は大阪の人たちの英雄なんですね。
 
そして、旅の最後は大阪城へ。
真田山公園から約2㎞。歩いて行くことにしました。

時代はふたたび大坂夏の陣にもどります。
1615年5月7日、濠を埋められ裸城同然となっていた大坂城は、もはや殺到する敵兵を防ぐ術もありません。
真田隊を壊滅させた徳川軍は城内に続々と乱入。火の手が天守にも上がり、深夜大坂城は陥落しました。
そして翌5月8日、助命の嘆願も無視された秀頼は淀殿らとともに籾蔵の中で自害したのです。
 
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二週間ぶりに大阪城にやってきました。
夕方の天守閣。
南東方向から撮影しています。
 
今年、大阪城は天守閣復興80年を迎えたのだそうです。
昭和になって建てられた豊臣時代の模擬天守閣はほんとうに美しく堂々としています。
やっぱり大阪城は「太閤さんの大坂城」ですね。