マイク・ベルナルド
どんなに格闘技事情に疎いとしても、彼の名前は一度でも聞いたことがあるはずだ。
K-1創世記から、アンディ・フグ、アーネスト・ホースト、ピーター・アーツと共に「K-1四天王」の一角に数えられ、96年のK-1 GPで準優勝した、K-1が誇ったハードパンチャーである。
そんな彼が、バレンタインデーに母国南アフリカのケープタウンで急死した。
死因は薬物自殺と報道されているそうだ。
正直、彼が亡くなったという実感が個人的にはまだ湧いてない。
アンディも2000年の8月に白血病で他界してるので、96年のK-1 GPファイナリスト2人が、もうこの世にいないという事になる。
その事実が本当に信じられない。
マイクは敬虔なクリスチャンだから自殺なんて考えられない人だったのに…。
一体何があったのか…。
マイクで印象に残ってるのは、2000年10月のK-1福岡大会。
2ヵ月前に他界したアンディが生前、自分が出場予定だった福岡大会にはマイクに代替出場してほしいというリクエストをしていたという。
マイクはその頃K-1を離れてボクシングの世界に身を置いていたが、アンディのリクエストを聞いて、全てのスケジュールをキャンセルしてK-1福岡大会に参戦した。
その時、マイクが見せた戦いぶり。
普段蹴りを出さないマイクがアンディの得意技であった踵落としやフグトルネード(下段後ろ回し蹴り)を見せ、まるでアンディの魂がマイクに乗り移ったかのような戦いぶりで、ユルゲン・クルト、ミルコ・クロコップらを下した。
結局この年のグランプリ本戦には怪我で出場を辞退したが、この福岡大会におけるマイクの戦いぶりは、心に刻まれる戦いぶりだった。
他にもアンディとの三度の激闘。
二連覇王者アーツを沈めた96年のグランプリ。
ミルコの左ハイに沈んだ99年のグランプリ開幕戦。
ゴングが観客の大歓声にかき消されるくらいの熱気を生む逆転劇を見せた2001年3月、横浜でのジェロム・レ・バンナとの一戦。
共にカウンター狙いに終始し、膠着したまま終わってしまった2003年7月、福岡でのフランシスコ・フィリォ戦。
かつての同門ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤの拳に沈んだ2004年3月のさいたまスーパーアリーナ。
ゲーリー・グッドリッジの拳に沈んだラスベガス。
勝ち試合でも負け試合でも、印象深い試合が多い選手だった。
自分自身、一番最初に見た格闘技がK-1で、その創世記に戦ってた選手なので、思い入れは強い。
だから今回の訃報は本当に残念だし、信じたくないのが本心だ。
時代が時代であれば、すぽるとでも、朝のワイドショーでも特集が組まれただろうが、すぽるとでのほんの数分のみのニュースで終わってしまったという事実が、今の日本格闘技界の現実だ。
それが凄くやりきれず、悔しい思いもある。
でもマイクがK-1のリングで幾多の伝説を残した事に変わりはない。
ありがとうマイク。
そしてお疲れ様。
天国で、アンディと一緒にK-1の動向を見守っていて下さい。
R.I.P.Mike.
どんなに格闘技事情に疎いとしても、彼の名前は一度でも聞いたことがあるはずだ。
K-1創世記から、アンディ・フグ、アーネスト・ホースト、ピーター・アーツと共に「K-1四天王」の一角に数えられ、96年のK-1 GPで準優勝した、K-1が誇ったハードパンチャーである。
そんな彼が、バレンタインデーに母国南アフリカのケープタウンで急死した。
死因は薬物自殺と報道されているそうだ。
正直、彼が亡くなったという実感が個人的にはまだ湧いてない。
アンディも2000年の8月に白血病で他界してるので、96年のK-1 GPファイナリスト2人が、もうこの世にいないという事になる。
その事実が本当に信じられない。
マイクは敬虔なクリスチャンだから自殺なんて考えられない人だったのに…。
一体何があったのか…。
マイクで印象に残ってるのは、2000年10月のK-1福岡大会。
2ヵ月前に他界したアンディが生前、自分が出場予定だった福岡大会にはマイクに代替出場してほしいというリクエストをしていたという。
マイクはその頃K-1を離れてボクシングの世界に身を置いていたが、アンディのリクエストを聞いて、全てのスケジュールをキャンセルしてK-1福岡大会に参戦した。
その時、マイクが見せた戦いぶり。
普段蹴りを出さないマイクがアンディの得意技であった踵落としやフグトルネード(下段後ろ回し蹴り)を見せ、まるでアンディの魂がマイクに乗り移ったかのような戦いぶりで、ユルゲン・クルト、ミルコ・クロコップらを下した。
結局この年のグランプリ本戦には怪我で出場を辞退したが、この福岡大会におけるマイクの戦いぶりは、心に刻まれる戦いぶりだった。
他にもアンディとの三度の激闘。
二連覇王者アーツを沈めた96年のグランプリ。
ミルコの左ハイに沈んだ99年のグランプリ開幕戦。
ゴングが観客の大歓声にかき消されるくらいの熱気を生む逆転劇を見せた2001年3月、横浜でのジェロム・レ・バンナとの一戦。
共にカウンター狙いに終始し、膠着したまま終わってしまった2003年7月、福岡でのフランシスコ・フィリォ戦。
かつての同門ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤの拳に沈んだ2004年3月のさいたまスーパーアリーナ。
ゲーリー・グッドリッジの拳に沈んだラスベガス。
勝ち試合でも負け試合でも、印象深い試合が多い選手だった。
自分自身、一番最初に見た格闘技がK-1で、その創世記に戦ってた選手なので、思い入れは強い。
だから今回の訃報は本当に残念だし、信じたくないのが本心だ。
時代が時代であれば、すぽるとでも、朝のワイドショーでも特集が組まれただろうが、すぽるとでのほんの数分のみのニュースで終わってしまったという事実が、今の日本格闘技界の現実だ。
それが凄くやりきれず、悔しい思いもある。
でもマイクがK-1のリングで幾多の伝説を残した事に変わりはない。
ありがとうマイク。
そしてお疲れ様。
天国で、アンディと一緒にK-1の動向を見守っていて下さい。
R.I.P.Mike.