病気のほうがあと検査を残すのみとなりましたのでここ半年の話をツラッと


まず去年の10月頃に急な発熱、下痢、嘔吐に襲われまして病院でもよくわからんけど喉が腫れてるからそれが原因じゃないか?とはっきりしない診断をもらいましてとりあえず薬を飲んですぐに治りました。

でも喉の腫れはいっこうに収まらずそれでも気にはならなかったのでそのうち治るだろうと放置しておりました。

翌年の2月に入りさすがに違和感を感じで喉を見てみるとだいぶ腫れが大きくなってきており痛みも時々あり。

それでも我慢してましたが仕事柄声を出す仕事なので支障が出始めてきておりさすがに病院を受診、それが二月の末ごろでした。

一つ目の病院でははっきりせず大きい病院を紹介され、その次の病院でもしっかりとした病名は出ず。

その時になんとなく感づいてはいたんですがまた次の病院を紹介されたときに渡された封筒には「北海道がんセンター」と書かれてました。

一瞬「え?マジ?」って思いましたが念のための検査をするのに設備が整った病院がここしかなかったんだろと思ってました。

そしてまた後日に病院へ出向いて検査。鼻からカメラを通して喉の映像を撮ったんですがそれがまぁ痛かった 泣。

検査が終わって先生に「いつから入院できそう?」といきなり聞かれ「えぇ?入院ですか?逆にいつ頃がいいですか?」と聞くと「できれば来週とか、早めのほうがいいと思う。ガンの疑いがあるから早めにしてほしい]と言われ「あ、わかりました。職場と話してみます。」ってな流れでした。

意外とすんなり受け入れられたというか覚悟はできてたというかそんな感じでした。

まだ決まったわけじゃないですし。


その後職場へ出勤。一応所長やリーダーにはこういうことで病院行ってきますとは言ってました。

で、「ガンかもしれないんでとりあえず一週間ほど入院したいんですが…」と所長に報告。

それはダメなわけないでしょ入院しなさいてな感じで言われ、そのあと電話で親にも報告。

電話したのは親父「え~と、喉痛くて病院行ったら腫瘍らしくてもしかしたらガンかもしれないって言われてね~。入院することになった」というと

「そうか…なに?ポリープみたいな感じ?」

「まだ結果でないとわかんないけどね。そんな感じだわ」

「そっか、うん。わかりました~」

てな内容だったと思うけど親父はたぶんすごい動揺してたんじゃないかなって思う。

その後、両親とか弟に対してすごく申し訳い思いが込み上げてきてしまって職場のトイレでボロボロ泣きました。

で、あとは何人かの人にこういうことだすってことを連絡しました。


入院したのは三月五日。

結局検査の結果はすぐには出るわけはなく一週間のつもりがどんどん伸びていきキャンセルしたライブもいくつかありました。その節は本当に申し訳なかったです。

検査の間もいろいろ大変でした。

一回目の検査では喉を部分麻酔で切って細胞を採取するという手術をしたんですが部分麻酔ですから当然意識はあります。

麻酔で痛みはありませんが目の前で喉にメスを入れられるとこを見なきゃならんのですからまぁ怖かった 笑

その後のCTでもどうやら造影剤のアレルギーがあったらしく造影剤注入後全身に痺れみたいなものが走りそれからの記憶が曖昧…笑

一応意識は失ってはいなかったみたいですがしばらく血圧が上60から上がらなくてちょっと危なかったみたいです 笑

こんな思いをしても結局まだ病気ははっきりせずまたさらに喉の細胞を採取することに。

今度は全身麻酔で手術したんですがいやぁ怖いもんですよね…手術台目の前にするともう頭真っ白ですよ。笑

30分くらいの短い手術だったんですがそれでも麻酔で眠るってどんな感じかわからないので怖かったです。

「じゃあ今から麻酔入れます。そのあと何回か名前呼びますので返事してくださいね。」と言われ一回返事した後はもう覚えてません。あっという間でした。麻酔スゲー!!

気が付いたら病室のベッドの上でした。

このあたりから喉の腫れがさらに大きくなりほとんど喉がふさがりそうな状態で会話は満足にできない状態で呼吸も息苦しい状態が続きました。夜中呼吸ができなくて何度も目が覚めて満足に眠れませんでした。

そんな状態でも何とか1~2週間ほど耐えやっと結果が出ました。ここまでで入院して一か月。

病名は悪性リンパ腫で血液のガンだと言われました。

両親も来ていたんですがきっと内心は動揺していたと思います。

自分は「あぁそっか。こりゃダメなやつだ。死ぬんだなぁ」と開き直った感じでした。

なんであんなに落ち着いてたのかはわからないです。笑

その後看護士さんが両親に一生懸命なんか説明してたんですが自分はなんも聞いてませんでした。

やっぱり動揺してたのかも。


その後どれほど進行してるかを検査するためもう一回CTを撮らなきゃいかんということで抗アレルギー剤打って医者の見守りの元というちょっと大がかりな感じで撮影。

薬が効いたのか何事もなく終了。

後日PETというものを撮ったんですがこれがまぁ長い全部で4時間くらいかかったんですかね?

二回に分けて撮るんですが一回目は40分くらいで二回目は20分くらいかけて撮るんですがその間一切動けないのが結構きつい。

そんなこんなで結果は一番進行度合いが低いレベル1(だったかな)だそうでまぁ抗がん剤治療で十分回復は見込めます的な感じだったので一安心。


4月の上旬あたりから抗がん剤治療始まり~。

リツキサンてのを一日目に打って次の日にCHOPってのを打つんですがCHOPってやつの副作用がキツイ!!

打ったその日の夜にひどい吐き気で眠れず吐き気止めをもらって何とか就寝。

次の日もムカムカしたりだるさなどが続き一週間はまともに動けませんでした。

また匂いで吐き気を催したりもしたり。

味覚もすっかり変わってしまいひどいときは何を食べても苦味しか感じない時もあり、あまり食事が進みませんでした。

2週間もすればその症状はよくなりました。

何より呼吸が困難になるほど腫れていた喉がほとんど元通りになっていたのは本当に嬉しかったです。


4月の下旬ごろから髪も抜けはじめ丸刈りに。

床屋のおっさんに「いやぁ、頭いい形だねぇ!黒人みたいだわ!」と絶賛。将来ハゲたらスキンでいいかなぁと思いました。


で、入院中ってホントに暇で本も何冊読んだかってくらい読みまくってたんですがとうとう耐えきれず外出の時にiphoneに変えてきました。笑

で戦艦作って戦うアプリに激ハマりしたんですが変えてから一週間ほどで退院の許可が。笑

ホントなら二か月は入院しなきゃならないところが順調に回復してるそうなので退院しても大丈夫だとの許可が出ましてさっそく次の日退院しました。笑


あんなに出たくてたまらなかった病院でしたがいざ退院となると少しさびしくなりました。

なんだかんだ二か月いましたし同じ病室の人たちや看護士さんとも仲良くなってきていたので…

やっぱり明らかに周りの人より年齢が若いので看護士さんはもちろん患者の人たちまで心配してくれて、たくさんアドバイスくれてすごいありがたかったです。

みんな退院できたんだろうか…


で、退院はしたもののまだ治療は続いてました。

大体3週間に一回のペースで抗がん剤を投与するのを全部で6回受けました。

今月の頭に最後の抗がん剤治療を受け、後はもう一回CTとPETを撮り一応は終了といった感じです。

通いになってもやっぱり抗がん剤の副作用は辛く、家から出られない日もよくありました。

もちろん体調がいい日は外に出てよく遊んではいましたが。笑

その間相手にしてくれた人たちには本当に感謝しています。

何かして気がまぎれると副作用も少し軽くなるんです。

そのおかげでどうにか乗り切れました。

今の職場も自分をクビにはせず休職ということにしていただき手当も出してくれました。

復帰したらこのご恩には全力で報いなければならないと思っています。

そして支えづつけてくれた両親、入院中毎日仕事終わりに通ってくれたおばさんには本当に頭が上がりません。

精神的に不安定で冷たく当たったこともよくありましたが本当に感謝しています。

お見舞いに来てくれた人たちにも助けられました、誰かと話せるということがこんなに楽しいことなんだと改めて実感できました。ただ来てくれたというだけで本当に嬉しかったです。

あと少しで終わります。

本当にありがとうございました。


あと、実は僕の婆ちゃんにはこのことは知らせていません。

婆ちゃんはガンでじいちゃんを亡くしておりその際に病院とのいざこざで嫌な思いをしています。

だから親戚一同でこのことは隠そうということになったんです。

だから地元にはちょくちょく帰ってますが婆ちゃんには正月以来会えていません。

いとこがお盆に行ったとき最近俺に会ってないけど元気なのかと尋ねられたそうです。

僕の家は両親共働きで幼少期はほとんど婆ちゃんの世話になっていました。

だから両親には悪いかもしれませんが僕は半分婆ちゃんに育てられたと思っています。

今は髪の毛や眉毛がなく明らかに見た目でわかってしまうのでまだ会えませんが元の姿に戻ったら何事も無かったかのように婆ちゃん家にホットケーキを食べに行こうと思っています。

危うくスルーするとこだったぜ…(スルーした)


帰って来たぞー!!!!

ひゃーぁぁぁ~



というわけで今年も年に1度の避難祭りというらしいので行ってきました。
去年はスルーしたので今年こそはと気合い十分で挑んだこの肉に苦肉!!!!




来年もよろしくお願い!!!!