土曜日に駅前でお祭りが開催された。
リビングでスマホをいじる下の息子(ボヤージュ)に「今日は駅前でお祭りがあるから一人でブラブラ行ってくるわ」と言ったら
「僕も行く」と返ってきた。
別になおじと行くわけではなく、部活の仲間の一人と「よかったら行こうよ」程度の口約束をしたそうな。
現地で探して運良く見つかればいいのだと。
お友達がスマホを持っていなかったから、とボヤージュは言ったが、それならなぜ待ち合わせ場所と時間を決めておかなかったのか、と突っ込みたくなった。
便利なツールを持つと、それが使えなくなった時の対応ができなくなりがちだ。30年前だったら、分かりやすい待ち合わせ場所と時間を決めなければ人と会えなかったのだよ(遠い目)。
ヤツは夕方くらいにベランダに出て「雨降ってるよ、行くの?」と強い口調でボヤージュを問い詰める。大した雨でもないし、少々濡れたところで何が起こるわけでもない。雨に濡れると死ぬかのような物言い。
言葉の裏には「行くな」という圧力が見える。
カルト宗教にはまったヤツは当然お祭りには行かない。
息子が小さい頃にいやいやついてきた時も、屋台では何も買わず、そばのスーパーで弁当を買って食べていた。もうこれは宗教とかではなく個人の性質なのかもしれない。正直言って今のヤツとは根本から合わない。
上の息子(ソース)もお祭りで友達と会うというので、兄弟二人で出かけていった。ソースもしばらくお友達探しを手伝ってくれるそうで。
出かけて1時間ほどでボヤージュが帰ってきた。
結局お友達には会えなかったそうだ。祭り会場とはいえエリアは広い。人も多いので特定の人物を見つけるのは難しい。両方とも移動して探していたらまったくのすれ違いになってしまうことだってある。
当人は「バナナチョコが買えたからよかった」と言っていたのでまあよかった。次はしっかりと待ち合わせ場所と時間を決めるのだぞ。
ボヤージュのスマホの番号を教えてあげてもよかったのだ。
自宅から電話してもらって待ち合わせ場所と集合時間を話すことができたのに。
何にしても、ボヤージュがヤツの呪縛を離れて一人で行動できたことは評価に値する。
その調子だボヤージュ。
さて、3日ほど前にボヤージュがスマホを差し出して「ノートン入れて」と言ってきた。
3月にスマホ契約をした際に、セキュリティソフト(Norton365)も購入したのだが、契約者の方でインストールするようになっていたため、自分に設定を頼まなかったボヤージュは自分でうまくできたと思っていた。
それがどうもうまくできなかったようで、今までそれを言えずにいたんだそうな。
ボヤージュよ、まだチチを恐れているのかね・・・
ボヤージュからスマホを受け取っていろいろといじっていると、おかしなことに気づいた。
スマホ本体はGoogle Pixel8なのに、Google Chromeが画面に見当たらない。Google Chromeがないということはいわゆる「ググる(検索する:すでに死語か?)」ことができない。
アプリフォルダ内を探してみるとなぜか「休止中」となっている。
ボヤージュは「やってない」と言った。
じゃあ誰が・・・というと、証拠はないが疑う相手は一人しかいない。
もしそうだとしたら完全に悪意ある行為だ。
検索できないということは、分からないことを知ることができないことになる。
都合の悪い情報を息子が入手できないよう、スマホに細工をしたのではないか、と推測してしまう。
まあスマホで「エホバの証人」で検索すれば、JWサイトはトップに出るだろうが、その下に背教者の情報が連なっていくだろうから、それを阻止したいんだろう。
子供を無知で愚かなままにしていた方が支配しやすいという分かりやすい思考。
子供の自立という立場からすれば愚の愚の愚の愚の愚。
少し前に鴻上尚史氏の書いた「君はどう生きるか」という本を買った。
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「はじめに」を読んで、「ああ、これは悩める子どもたちに寄り添う内容だ」と感じた。
この本は中学、高校生向けに書いてあるようだが、親世代が読んでもきっとためになると思う。
中学高校時代に感じていたことが腑に落ちるかもしれない。
そう、悩める学生や大人におすすめの本だと言いたい。