地学と歴史と里山散歩
(渋川金井地区)
2026年2月1日(日) 晴れ
9:00~15:45 参加者28名
金島ふれあいセンター~分水石~杢ヶ橋関所跡~吾妻川原~金井発電所~金井東裏遺跡~金井南牧自治会館~金井宿本陣地下牢跡~軽石採石場跡~吾妻山~金井古墳~御袋山~乳池~金井製鉄遺跡~金井下新田遺跡~金島ふれあいセンター
距離 8.7km
累積標高差 300m
コース定数 11
今回は、廻るポイントの多さと距離の長さから時間がかかってしまうかもしれないと思っていたが、さらに異例の参加者の多さに戸惑ってしまった。
まずは分水石、金井宿に平等に水を流すための施設、誰かが水の流れを変えてしまわないように睨みを効かせている不動明王の台座は天明泥流の浅間石。次ぎに水力発電所の水の落ち口を見に行く。河岸段丘の下位段丘面まで落差30m下には電化の草々期の大正時代に建てられた金井発電所がある。メンテナンス中のため水がなく水の入口の鉄の網の部分を初めて見られた。杢ヶ橋関所跡は上野国(こうづけのくに)では碓氷の関所に次ぐ重要な検問所、幕府御用の伊能忠孝測量隊でさえも追い払われた逸話がある。吾妻川の川原へ下り天明泥流の説明をして杢ヶ橋の橋脚の基礎石の四角く大きく掘られた穴を見る。水力発電所では、A氏から詳細な説明をして頂いた。ジャミラ鉄塔が印象に残った。道端には田畑から庭石用に掘られた浅間石、パン皮状溶岩の様な岩に参加者から「相当な高温で流れて来た証拠だね」の感想が出る。鎌倉街道だったかもしれない道を横切り河岸段丘の段丘崖に付けられた急な道を登る。金井東裏遺跡では発見された当時の見学会での私の感想を話した。考古学上の素晴らしい発見かもしれないが親子が被災した悲しい現場という私個人の印象は今も変わらない。金井南牧自治会館では金井の地名の由来碑を見学した。金鋳を語源とする鉄の生産が盛んに行われていた地域だったことによるという。本陣地下牢跡では地元のHさんに解説をお願いした。佐渡へ送られる罪人の多くが地下牢の中で亡くなった事や子供の頃いたずらをすると親から「地下牢に入れちゃうよ」などと言われた話しなど、ここに住んでいる人ならではの話題がとても良かった。軽石の採石場跡ではソフトボールくらいの石を持って「軽~い」と参加者が驚いていた。吾妻山では御御御供(おみごく)の説明と教科書に出てくる様な歴史ではない地域の小さな歴史も大切にして欲しい思いをお話しした。金井古墳は凝ったデザインの創りである。二ッ岳の降下軽石から100年ちょっとでこれだけの古墳を造る実力者のいる地域に復興し得たのは鉄と馬の生産に適した榛名山由来の資源に恵まれていたことによるのだろう。御袋山見晴台からは吾妻川と利根川の合流部での天明泥流の様子や黒井峯遺跡.白井遺跡群.平安期の利刈牧(とがりのまき)の話しをした。乳池ではSさんに渋川市の口伝の民話を朗読してもらった。製鉄遺跡の炉を見学し下新田遺跡のパネル展示を見、当時の馬の説明をしてからふれあいセンターへ戻る。終了予定時間を1時間ほどオーバーしてしまったが参加者の皆さんからは面白かったと労ってもらえた。盛りだくさんな内容の永~い1日がやっと終わった気がした。













