今日は塚本区の「みんなの交遊会」という催しがあり、函南西小学校へ。
町内会の運動会が無くなってから数年後に、体育館での運動会に準じたものが開催されるようになり、地域内の交流を目的とした身体を動かすイベントになっています。
玉入れや、○×クイズなど、役員の方々の準備や運営に頭が下がると共に、開催に際していろんなアイデアを駆使しているのがわかります。
開催場所は私の母校の函南西小学校。昭和54年開校で、私が入学した時は体育館やプールが無くて中央廊下で入学式をした覚えがありますが、その体育館での催しが行われたわけですが、体育器具倉庫を見ると昭和56年から使っている跳び箱が。私も使ったんだろうなぁと懐かしく眺める。
地元に残った同級生はほとんどいないので、数人の同級生と懐かしい話を盛り上がらせていたのもあるのですが、ちょっと思いついた事があって急遽高校時代の同級生に電話で連絡を取って、とある相談をする。
まあ、この話はあとで成果が出ればいいのだが、このところ調査している内容のことなのでなるべく早く調べたい。
催しが終わった後、昨夜の火災の状況確認をしつつ肥田グラウンドから狩野川分岐点や来光川の観音橋付近まで、堤防を自転車で走って台風後の河川の状況を把握。台風が行ったばかりの時は川の状況を確認しに行って転落したらまずいと思っていたらボランティアが忙しくなってしまいそのままになっていましたが、その痕跡は十分に残っていました。
越水の危険性もさることながら、河川敷内の樹木や堆積物などを除去しないと本来の河川の流量能力が発揮できないのはなんとなく判るのですが、意外に堤防より内側の障害物が多い。堤防増強等も必要ですが、日頃の管理も必要だと強く感じました。
河川の状況はアウトコーナーは急流でインコーナーは泥の堆積は激しいなんて、理科の授業で習ったっけ。
橋まであとわずかの水位まで行った来光川など、今見てもゾッとしますし、この高さの堤防まで来た水が決壊したらと考えたくも無くなるほどの水量と堤防内に堆積した泥の量。
橋脚に流木が載ってるのは、そこまで流れるほどの水位だったってこと?
流れたゴミや泥の高さが橋とほぼ一緒の高さ。
また、部分的に堤防の高さが低くなっている部分もあり、高水位時には漏れてしまうでしょう。
堤防上の道もジャングルのように草が生い茂っている箇所があり、行く手を遮る。
来光川は上沢の新幹線区下にある観音橋付近まで遡ると川幅が広がり、堤防がプッツリ。
これでは溢れて当然だし、河川改修最中だったのが間に合わず、残念だったのが判ります。
いろいろ問題点が詳しく判りました。
実際に被害が発生してからでは遅いのですが、水位が高くなった形跡からは通常時よりわかりやすくなっているので参考になります。
正直、通常時に見たより実感が湧くかと思います。
帰りにそのまま戻ってももったいないので、図書館で少し災害時の郷土史と函南町の植生や動物について調べる。後に役立つのではないかと思うのでしたが、あまり詳しい文献に辿りつけずに肩を落とす。
でも、いろいろな収穫があった1日でした。