というわけで、久しぶりの投稿になります。

 

2026年明けましたが、みなさまこの年末年始いかがお過ごしでしょうか?・・・って問いかけてみたりしちゃったけど、たぶん、誰もこれを読む人(少なくともリアルタイムで)はいないだろうから、気楽にいくべか。

 

結局、半年ぶりくらいの投稿になりました。

 

新年を迎えるって新鮮な気分で物事を始められるから、自分は好きです。

 

他にも冬至だ夏至だ、っていうタイミングも「さぁ、ここからまたやり直そう」というリセット感を持てるから自分みたいに物事が続かない人間にとっては「区切り」があるというのは非常にありがたい。

 

今年も元日の朝には川崎大師に初詣に行った。

 

別に厄年とか気にしてるわけじゃないけど、おそらく20年くらい前から東京に滞在してる時は初詣は川崎大師に行くことにしている。しかも朝、というより明け方。

 

自分は元々、神仏とか信じてなくて初詣もろくにしたことなかったんだけど、どうもそのせいか人生何をやってもうまくいかなかった。そして20年くらい前に「今年こそは人生なんとかしたい」とそれこそ神にでもすがりたい気持ちで自分の身についた厄を落としたい気持ちで思い立って早朝、川崎大師に初詣に行ったのだが、その年、自分らしく人生が動き出すようになったので、それからなるべく毎年、川崎大師に行くようにしている。

 

そして明け方行く理由は、ただ単に空いてそうだから。

 

自分は「混む」とか「並ぶ」とか「待つ」ということが苦痛で耐えられない人間なので、明け方の寒くて人が寝ているタイミングを狙って元日は早起きして暗いうちに出かける。なので、年越しのタイミングでのカウントダウンとかイベントとかは完全に寝てるし、年が明けた瞬間のメッセージのやり取りとかも睡眠を邪魔されるだけで興味ない。

 

いつも、明け方の薄暗いうちに家を出て、混み始める前に参拝し、くずもちをお土産に買って甘酒を一杯飲んで帰りの電車から初日の出を感じる、というのがすごく新鮮で厳かな気分になれて好きだった。

 

でも、今年はだいぶ状況が違っていた。

 

なんとなく「初詣」ということ自体が、入ってきたとある情報から、あまり意味がないような気もしてきていたのだが、「初詣」という習慣が自分にとって新鮮味を味わえるのであれば、それは自分にとって意味あることだ、と思って行くことにしていた。ただ、今年はいつもよりもう少し早い時間に出ることにした。例年の時間帯より早く動けば、その分、家に戻ってきてからの正月の朝の準備も早くできるからだ。

 

たまたま元日の午前3時くらいに目覚めたので、そこから二度寝せずにゆるゆると起きだして4時すぎに家を出て行った。当然、真っ暗。そして電車に乗った瞬間、しまった、と後悔してしまった。

 

自分にとっては新鮮な2026年の始まりの夜明け前の神聖な時間だったが、世間では年明けのカウントダウンを盛大に迎えて明け方まで飲んだくれた大晦日の夜の延長の終わり頃のカオスな世界に街は支配されていて、その余波が電車内でも駅のホームでも参道でも人の集まる賑やかな場所では影響下にあったことに自分は気づけなかったのだ。

 

それは自分にはかなり苦痛な時間と空間と空気だった。

 

電車内では仲間同士で向いあって座って大声で「臭っ!」とわめきあう酔っ払いや、吐きそうな人間が近寄ってきたり、泥酔して眠っていた対面にいた若い外国人が起きだしてわざわざ自分の隣に来て座って眠りだしたり扉の前にへたりこんでそのまま失禁してしまったり・・・

 

もう、自分にとって電車内やイベント帰りの人でごった返した駅のホームは地獄絵図でしかなかった。

 

 

おかしいな、ちょっとおかしいぞ、そんなはずないのにな・・・

 

 

そして初詣は空いてるとはいえ、思ったよりかは人も多く、まったく落ち着かない感じでどうしても厳かな気分にはなれまいまま、くずもち買って甘酒は飲まずにとっとと地元まで戻った。

 

空は明るくなっていて、駅を出るとやっと新鮮な空気を吸えた気がした。

 

こんな気分のまま家に帰りたくなかったので、最寄りの神社にお参りして帰った。

 

神社の鳥居をくぐると、ちょうど初日の出が見えてた頃だった。地元らしき人たちが早起きして少し並んでいるという感じだった。自分のなかでは許容範囲の並びだった。でもこの並んでる時、初日の出を迎えた元日の朝の青空を見上げている時が一番新鮮で神聖な気分に浸れたかもしれない。

 

電車内や新宿駅のホームにいた時、耐えられない気持ちになっていて、失望とともに怒りも感じて始めていて、自暴自棄になりそうなのを収めるのに必死だったんだけど、たまたまその時、電子書籍で読んでいた本の中に出てきた言葉に気づかされた。

 

「怒り」は自分が「こうあるべき」という価値観に触れた時に起こる感情で、怒りの根っこには、たいてい「何かを大切にしていた気持ち」があるというのだ。

 

そう考えると、年明け早々、凄く不快な気分になって怒りを覚えてしまっていけない、って感じてしまってたけど、「怒り」によって自分の本質ともう一度つながる良い機会に出会えたという解釈にこの本ではなるようだ。(ちなみに参考文献「レイキの教科書2~”わたし”が広がるレイキ実践~」より)

 

てなわけで、2026年はこうして幕を開けた。

 

久々のブログ。やっぱり書くための神経が鈍っているから言葉にするまでにすごく時間と労力がかかって疲れてしまった。何時間かかったんだろ?

 

また余力と余裕があったら書こう。

 

んじゃ、今年もよろしくね。