Room335のブログ

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このブログは自分のmixiの日記からの転載です。
3月11日の大震災から現在に至るまでのボランティアや
現地の状況を綴ってます。

<5月5日の日記、タイトルは「サバイバル飲み会!」>

昨日は万石浦の先生と石巻の繁華街で飲んできました!

そもそも何軒かの飲み屋が5月に入ってから営業再開しているという噂からこの飲み会が企画されたのですが、では飲み屋街がだいぶ復旧したのかっていうといやいや・・・

かつて賑わっていた石巻駅前の繁華街
※時間は19時頃で夜中じゃありません。

<その1>
フォト

<その2>
フォト

真っ暗・・・orz

人の気配がありません・・・orz

なんかわからんけど臭いです・・・orz

瓦礫がぽこぽこ積み上げられていて前見えなくて、街は迷路みたい・・・orz

これでもボランティアの方達の瓦礫除去等のご支援のおかげでだいぶ区画ははっきりしてきたと思うのですが。

ちらほら点いている街灯は自衛隊か自治体が設置した自家発電タイプのものです。

石巻駅前は、震災前はお食事処、居酒屋、カラオケ、ダーツバー、ショットバー、スナック、キャバなどみーんなあわせると数百軒あり、週末や休みの夜は学生やら会社員やら漁師達でわいわい賑わっていた街です。

でも今日現在営業しているのは駅前の魚民、あとバー、スナックたった数軒です。それも5月に入ってからの営業再開らしいです。

再開したという事実だけで、もう賞賛に値しますけどね。

ちなみに一帯は路駐し放題の無法状態でしたあせあせ

まぁ信号はもちろん機能してないし、漂流してきた車も沢山周りにあるので、路駐の車との区別も付かないだろうから警察がいたとしても捕まえようないです。たぶん。

昨日はぎり営業しているバーやスナックを瓦礫を突き進みながら探しあて一杯頂いてきたわけですが、まさに被災地還元サバイバル飲み会でしたげっそり

その中で印象的だったとあるお店のママさんの言葉。

「お店をたたもうと避難所で考えたが、自分の生きる道はこれしかなかった。それにまた賑やかな街を取り戻したい!再開にあたってまた借金を抱えたが、それでも自分達が先陣を切ってやらなければ後がついてこない」と。

もうそのパワーに圧倒されて、そして嬉しくて。このママさんみたいな人が居る限りきっとこの街は近い将来復活するなと安心してしまいました。

ものすごく元気と勇気をもらえたサバイバル飲み会わーい(嬉しい顔)

漁港が機能してなくて、本来の美味しい海の幸は味わえませんが、どこへ行ってもお酒はお酒。美味しいです。これからも被災地盛り上げ飲み会やるしかないね!!
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<5月2日の日記、タイトルは「東京放浪記」>

4/30~5/1に東京に行ってきましたわーい(嬉しい顔)

もともとは3月26日に宝塚観劇も兼ねて上京する予定だったんだけど、震災のため延期となっていたわけで・・・・

昨日は渋谷はセンター街のとある居酒屋にて、東京の仲間達と楽しく飲むことができ、思う存分楽しませてまらいました。

やっぱ別世界でしたね。

今の宮城の惨状を考えれば同じ日本とは思えないくらい違う。

極端に言えば、宮城は「戦後」。東京は「現在」かな。

悪い意味じゃなく「がんばろう」的なキャッチプレーズはほぼ見当たらないし、人もどこに行ってもむちゃんこ居たし、経済活動が縮小しているなんて微塵も感じなかった。

募金活動なども震災当初と比べたらやっぱり減ったんじゃないだろうか?主要な駅の前で、学生などが数人立って呼びかけている程度。また、それに募金する人も暫く見てたがみんな素通りでほとんどいない。

でもこうした傾向は別に普通であって、要は実害が少ない分、現地の悲惨な情報が入ってこなくなると、そういった援助活動をしようとするだけのモチベーションがなくなってくるわけで。

一方の地元では、テレビから地下鉄から店先の旗や垂れ幕からぱち屋の電光掲示板とあげればキリがないが、何から何まで「がんばろう東北」「がんばろう宮城」「がんばろう楽天」「がんばろう○○」って感じでやりすぎ感があるので、ものすごい差を感じた。

実際のところ、うちらはうちらでがんばらなければならないのは事実だし、都心は今までどおりの経済活動が大切だし、これで良いのかなとは思う。

ただ震災に対する考え方、価値観、これからの展望に対しての捉え方にかなり違いを感じたので、そこらへんの温度差は埋めておかないと今後足並み揃えて日本が立ち直るぞ!ってときにちょっと弊害になるかもね。

まーそれは国とかそれ相応の方々が対応していくべきことなのかもしれないけど・・・。

ってことでGW前半は、東京エンジョイさせてもらいましたが、後半3~5日はできるだけ被災地の様子を見に行こうかなと考えています!

でもGWは全国からのボランティアでごった返しているらしいので、中々身動きとるのは大変そうだな~。邪魔にならないようにしないとあせあせ(飛び散る汗)
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<4月26日の日記、テーマは「多賀城へ行ってみた!」>
先日の土曜日は、多賀城に住んでいる友人のところへ行ってきた。

これまで何かと石巻方面にばかり足を運んでおり詳しい状況は掴めていなかったが、仙台港周辺や隣の多賀城市も津波による被害はこれまた酷かった。

バイパスを南下し、45号線から多賀城へ。45号線下りはじめは周囲のお店もそこそこ営業しており、明かりも普通にあったが、中野栄辺りを境に状況が一変。

道路わきにはたくさんの瓦礫や逆さになった車やトラックが目に入ってきた。すでに1ヶ月半近く経ってまだこの惨状。

電柱はへし折れ、建物は破壊され、形を保ったお店も結構あるけど、どこも営業はしていない。東北最大級のアウトレットモールも廃墟のようになって真っ暗のまま。

まだ信号も数箇所しか動いていない。

友人の家は、1階が海水に浸かった。して1ヶ月以上たって先日やっと電気が復旧したというが、ガス機器が海水で破損しお風呂はだめらしい。今でも周辺では電気がなく、真っ暗闇のところがたくさんある。

それなりに発展した大きな街の土曜の夕方だというのにひと気がほとんどなかった。

当人曰く、これでもかなりましになったというが・・・。

三陸の津波地域がクローズアップされて見逃されているが、仙台や多賀城の沿岸部の被害もかなりのものというのが見てとれた。


また内陸部の被害もあまり注目されてこなかったが、結構深刻なところも多い。

例えば、最大震度7を記録した栗原からほど近い大崎市では全壊190戸。

仙台市内でも多くの施設や企業、民家で、取り壊しや事業所移転を余儀なくされている。

個人的に困るのは道路のひび割れ、うねり、段差、陥没。

これらはどこの道でも見られ、県内でまともに走れる道路なんてあるの?という感じ。あと余震の影響で日々進行するので、修繕してもきりが無い。

みんな最近では現実を受け入れ平静を装っているが、冷静に周りを見渡せば震災の影響はどこに居ても目に入ってくるわけで、正直本当に復興するのだろうか?と疑ってしまったりする。

でもこれだといかんわけで・・・。

どうやら局所的なものや所に一喜一憂しててもらちがあかないみたい。震災前の状態に戻るのを期待するのは現状ではちょっと無理があるようだ。

復興に関しては、前にも書いたが長いスタンスで構えてないと心身ともに疲弊してしまうので注意しなければ!です。

ということで震災がなければ宝塚花組真飛さんのさよなら公演に東京宝塚劇場へ行く予定でしたが、悔しくも断念(チケット売却)したため、そのリベンジでGWは東京ライフをエンジョイしてきますわーい(嬉しい顔)

HUBでとことん飲むぜ!

新幹線もう止まるなよ!