とちぎのルーツを知る。
蔵の始まり例幣使街道と
巴波川の舟運。

蔵が有ると言うことは、そこに入れておく物質や資金が
あったということです。
栃木市が[蔵の待ち]として
発展したのは、北関東有数の
商都であったからです。それでは、その歴史を紐解いてみましょう。1617年、家康公の霊廟が日光山へ改葬され
その後、朝廷からの勅使が
日光東照宮へ毎年参向するようになりました。
その勅使を例幣使と言うことから、通る道を例幣使街道と
呼ばれ、栃木はこの街道の
宿場町となり、人が集まり、
物が集まるようになりました。
これが商都としての発展の
きっかけになったと言われています。
更なる発展の原動力となったのは、巴波川の舟運での
江戸との交易であると言われています。
江戸からは日光御用の荷や
塩などが運ばれ、栃木からは
木材や農作物などが運ばれました。
舟運は江戸の初めから利用され、次第に交易が盛んになり、江戸の終わり頃には、
栃木の商人達は隆盛を極めていたと言われています。 
その豪商達が白壁土蔵を
巴波川の両側に沿って建てていきました。
栃木市の蔵の街並みは、かっての栄華を極めた豪商達の
歴史が築いてきたものなのです。
マップを持つてゆっくり散歩
も秋の時期いいですね。
見所としては、県庁堀
栃木市は明治16迄は
栃木県庁の所在地でしたが、
当時の県令が宇都宮に県庁を
移転させました。
現在ではその敷地に巡らされた堀だけが残り、県庁堀と
呼ばれ、市民の想い出の場として親しまれています。
(栃木駅から徒歩🚶で15分)。

山本勇三ふるさと記念館
[路傍の石]などで知られる、
山本勇三は栃木市出身です。
江戸末期の見世蔵を改修した
記念館の中には、愛用の
貴重な美術品が多数整列されています。













休館日とかは
栃木蔵の街観光館
2282_25_2356

栃木市商工観光課
0282ー21ー2543

散歩に最高の季節です
宜しく😢⤵⤵お願いいたします。
読んで頂きありがとうございます。