1899~1929年
ACミランは
「ミランフットボール・アンド・クリケットクラブ」として
1899年12月16日に正式に設立された。
ミラノのBerchet通りに
位置するワインショップの近隣に
最初のヘッドオフィスを構えたクラブ。
翌年の1月に
アルフレッド・オーモンド・エドワーズ会長によって
イタリアフットボール協会(F.I.F.)に登録。
晴れてクラブとしての正式なスタートを切った。
チームの初代キャプテン、ハーバート・キルピン
ミランは
1900/01年シーズンに
初の国内タイトルと
2度目の「王のメダル」
(ウンベルト1世から授与されるメダル)を獲得。
翌シーズンも同様の結果を残した。
キルピン主将率いるチームは
これらの結果で
観客の心を次第につかむようになり、
最終的には
ロンバルディア州で
最も人気のあるチームへと成長する。
その後、
国内リーグでは1906/06シーズン、
07/08シーズンで連覇を達成した。
この後、
サン・シーロスタジアムが
オープンするなど、
1920年代までに
ACミランは
現在の強豪クラブとしての
基盤を築いていった。

2000~ そして現在
マッシモ・モラッティが
オーナーになってから
インテルに投資した
約600億円という金額に対して
2005年までの9年間で
獲得したタイトルは
1998年のUEFAカップ1つだった
そして03-04シーズンには
一度会長の座を降りる
新会長には当時の副会長であった
ジャチント・ファッケッティが選ばれた
ファッケッティはグランデ・インテル
そして
アッズーリの名キャプテンとして崇拝されており
人望が厚いことで有名だった
04-05シーズンからは
ロベルト・マンチーニを監督して起用
マンチーニは
ヴェロンやスタンコヴィッチ
ミハイロヴィッチといった
子飼いの選手を中心に
チームを再建していく。
04-05シーズンのインテルは
4度目のコッパ・イタリアを獲得
続く05-06シーズンも2年連続で
同タイトルを制覇した
さらにこのシーズンは
イタリアを震撼させる不正(カルチョ・ポリ)が発覚。
1位のユヴェントス、
2位のミランがペナルティを受けたため、
3位のインテルにスクデットが
降りてくることとなった。
しかし
マスコミの評価は
あくまでも机上スクデット。
インテルには
ピッチで勝ち取るスクデットが
求められていたのである。
翌06-07シーズンは、
インテルにとって試されるシーズンだった。
開幕一週間前、
チームの精神的主柱でもあった
ジャチント・ファッケッティ会長が、
肝臓がんのため他界。
しかし
これがインテルの選手たちを
ひとつにまとめ上げる。
ヨーロッパの各国リーグ戦における
記録である「17連勝」を達成し、
勝ち点97という圧倒的な強さで
スクデットを獲得した。
07-08シーズンは最終節まで
猛追を続けたローマを振り切り、
セリエA3連覇を達成。
08-09シーズンからは
ジョゼ・モウリーニョを監督に迎え、
ヨーロッパの頂点を目指す
1990~ モラッティ一族の手に
90年代前半は
ゴールの詩人
ソサ、オランダコンビのベルカンプとヨンク
その他にも
インスやロベルト・カルロスなど
多くの外国人スターが
ネラッズーリに名を連ねた
しかし毎年優勝候補に挙げられながら
その予想は
1度も当たることはなかった
1995年
インテルは再び
モラッティ一族の子供となる
会長になったのは
アンジェロの三男であるマッシモ・モラッティ
マッシモは父がそうであったように
惜しみなくその私財を投げ出し
チームを補強していった
