イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。

父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」

                   ヨハネ18:11

 

ゲッセマネの園でイエス様が捕えられるその瞬間、

弟子のペテロは剣を抜き、大祭司のしもべマルコスの耳を切り落としました。

 

耳は、音や声を聞くことができる器官です。

剣によって神の声を聞くべき耳が落ちてしまったのです。

 

剣とは何でしょうか。

 

1つ目にそれは、『自分の思いや考え』です。

ペテロは、自分だけはイエス様を裏切るはずがないという思い、

自分がイエス様を守らなければならないという考えがありました。

 

2つ目にそれは、「感情」です。

ペテロは、耳を切り落とすほどの勢いで剣を振り下ろします。

他の弟子たちの不甲斐なさ、頼りなさに怒りを感じていたかも知れません、

もしかしたら、イエス様が自分のことを見くびっている、過小評価していることへの

怒りもあったかも知れません。

 

3つ目にそれは、「神の権威への反抗、不従順」です。

イエス様は「父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」と語ります。

ペテロが剣を抜いた行為は、天の父の救いの計画を妨げる行為でもありました。

ペテロは以前にも、イエス様が十字架のことを語られた時、

イエス様をいさめて「そんなことが、あなたに起こるはずがありません」と言い、

イエス様はペテロに「あなたはわたしの邪魔をするものだ。」と言われました。

 

神様の計画やみことば、神の権威よりも、

自分の思い、考え、感情を優先して、その剣を抜くならば、

耳が切り落とされるということが起こります。

 

あなた自身が、神の声を聞くことができなくなってしまうのです。

 

ヨハネ18:26

大祭司のしもべの一人で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類が言った。

「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが。」

 

ペテロは、

「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言う」

というイエス様のことばを聞いていたはずでした。

しかし、剣を手に持っていたため、

聞いてはいても、実は聞こえていなかったのです。

耳があっても聞くことができないとはまさにこのことです。

神の声を聞く耳が落ちてしまっていたからです。

 

「剣をさやに収めなさい」

そう語られた後で、イエス様はマルコスの耳を癒されました。

 

私たちが、剣をさやに収める時、

神の計画や神のことば、神の権威の前に、

自分の思い、考え、感情を優先するのではなく、

それをさやに収める時、

私たちの聞く耳が癒され、

神の声を聞く者とされていきます。