「彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに触れ合っていて、
もう二つはそれぞれのからだをおおっていた。
彼らはそれぞれ前を向いてまっすぐに進んだ。
霊が進ませるところに彼らは進み、進むときには向きを変えなかった。」
エゼキエル1:11〜12
神に召し出されたエゼキエル
彼が最初に見せられた幻は、神に仕える御使いの姿でした。
神に仕える者としてのあるべき姿を、
神は幻を通してエゼキエルに見せられた。
御使い(天使)には、6つの翼がある。
「セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、
おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、」
イザヤ 6:2
エゼキエルが見た幻でも、
天使たちは上方に広げた二つの翼で互いに触れ合い、
もう二つの翼でからだをおおい、
残りの二つの翼で前を向いて進んでいた。
これには意味がある。
・二つで顔をおおい
顔を覆うということは、自分の栄光を隠す(捨てる)こと。
自分ではなく、神に栄光を帰す姿。
・二つで両足をおおい
足を覆うということは、自分の恥をおおうこと。
汚れを取り除き、神のきよさを求める姿。
・二つで飛んでおり
飛ぶということは、私たちの歩み。
私が生きていくのに十分な力を表す。
つまり
私たちの人生の力の3分の1は神を礼拝することに、
もう3分の1の力はみことばによってきよめられ、造り変えられることに、
そして、残りの3分の1の力があれば、私たちは人生を歩んで行くことができる。
ということです。
これは、私たちが持っている時間やお金、体力を、
ちょうど3分の1ずつ分ける。という意味ではなく、
優先順位を表します。
まず何よりも先に、神を礼拝すること、神に栄光を帰すことを選ぶのです。
そして、みことばによって自分を変え、悔い改めてきよさを求めます。
そうするなら、
私たちは「何のために生かされているのか」「神が求めておられることは何か」
を知り、進むべき方向がはっきりとします。
進むベき方向がはっきりしているので、3分の1の力があれば、
「前を向いてまっすぐに進み、霊が進ませるところに、向きを変えずに進む」
ことができるのです。
しかし、神を礼拝することを後回しにし、みことばに聞くことを後回しにし、
悔い改め(方向転換)を後回しにするなら、私たちは進むべき方向が分からなくなります。
すると、私たちは目の前のことに振り回され、
大事なことがあっちこっちに見えるので、
忙しく動き回り、向きをころころ変えるようになります。
そうなると、二つの翼、3分の1の力では足りなくなり、
六つの翼全部で飛んでも、忙しく、疲れてしまいます。
神様を礼拝する時間、神のことばに静まって聴く余裕など、
なくなるでしょう。
大切なことは、
まず二つの翼で顔をおおい、
もう二つの翼で足をおおうことです。
神を礼拝することを最優先に置くなら、
みことばによって悔い改めることを最優先に置くなら、
その人は、残りの二つの翼で十分に飛ぶことができます。
十分どころか、疲れることも、たゆむこともなく、飛んでいくことができます。
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」
イザヤ40:31