もう何年になるでしょう❓ 礼拝後に始まった祈りの輪!
ポルトガル語で祈られて、日本語の祈りが続きます。金曜日の
祈り会に来られない人も、この輪に入って共に主の前に心を開き
ます。
ここで祈りによる宣言が、心の叫びが、主の前にささげられて
います。誰でも入ることができます。礼拝が終わると一人一人
集まってきます。クリスチャンが心を合わせ、手をつないで
主の名で祈ることは、神様の願われることですから、敵には脅威
です。もしクリスチャンが手をつないでその町のために祈るなら、
そこに圧倒的な勝利の力が働きます。
私たちクリスチャンは多くの祈りを 自分の「お願い事」に使って
目の前のこと、切羽詰まればなおさらそればかりを祈るものです。
確かに祈りの対象を知っていることは重大で 決定的な問題です。
そして、そこに応えてくださる主の栄光を 私たちは数えきれない
ほど体験しました。さらに互いの必要を伝え合って互いのために
とりなし祈ります。互いのとりなしの祈りは、実に毎日、毎週、
応えられていて★主にハレルヤ!と歓声が上がることも日常に
なっています。これもビックリするような祝福だと⭐感謝です。
確かに、祈りの習慣が身につくことはクリスチャンの宝ですよね!
祈らずには何もしない、何もできないと決断したいのです。そう
やって祈りの生活が導かれ積み重ねられます。
ところが私たちは目を外に向けて、近所のため、地域のため、町の
ため、国のために祈ることには それほど切羽詰まりませんよね⁇⁇
主の前にそのうえ渇きが、その賜物が、その祈りの油注ぎが与えられ
ますように!!!と求めていきたいです。この祈りの鎖の力強さを見て、
個人レベルから家族レベルへ、地域レベルへと祈りの境が広がって
いくのを見る思いがしました。


