神様によって造られた人は、地上にいる間に造り主に出会い、
自分の真の故郷が、天のみ国にあることを知らなければなり
ません。そこから地上に来られた救い主を信じ受け入れ、罪の
奴隷であった人生から、神の子供として生きる人生に変えられ
ます。支配が変わり、所属が変わります。
聖書は一般教養でも文学書でも参考資料でもなく、いのちの言葉
となり、これを食べて人は生きるのだと知るのです。自分が主人
ではなく、主イエス・キリストに自分をささげる人生が、新しく
造り変えられた生き方となります。自分が決めて歩む人生から、
主の言葉に聞き従う人生に変えられたのです。
天に国籍がある人の永遠は天の住まいにあり、天に国籍がない人は
永遠の滅びに定まっていると聖書は明言しています。すべての人に
この知らせが届けられ、受け入れる決断はその人の自由です。
永遠が決まるのが地上の短い時間で、その後はそれぞれの永遠が
待つのです。
私たちは、地上の長い短いに支配されがちですが、永遠の長さとは
比べられません。どれだけ長く生きたかに捕らわれるのではなく、
また、どれだけのことを成し遂げ積み上げたかでもなく、誰の言葉で
生きたか、誰と生きたか、どう生きたかが、はるかに重要です。
上田キリスト教会の主任牧師は上田着任から39年、今年は40年目
を迎えます。その間に行ったキリスト教の葬儀、帰天礼拝は55回を
超えました。10代から90代までのすべての年代の兄弟姉妹が天の
み国に帰ったこと 父の家に帰ったことを伝えて、造り主の御手に
そのいのちと魂をお委ねしてきました。
確かに10代で亡くなるのと、90代で亡くなるのでは、80年もの
違いがあります。しかしその後の永遠がどこなのかは、それ以上に
決定的な違いとなるのです。
私たちは、帰るべき天の家をめざしていることを 遠い先のこととせず、
主を知ることにうえ渇き、主を求めることに人生を使って歩みたいと
願います。そこにすべての宝があるからです。
私の主であるキリスト・イエスを知っていることの素晴らしさのゆえに
いっさいのことを損と思っています。 ローマ3:8
