伏見稲荷大社を出て、てくてく。走る人



深草。走る人





JR奈良線の横にビックリマーク



京都市伏見区深草坊町71



持明院統の12天皇が合葬びっくり



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第89代 後深草天皇(在位1246〜59)

父天皇の譲を受け位についたが、父の命により1259年(正元1)位を弟亀山天皇に譲った。その後、子伏見天皇、孫後伏見天皇の代に院政をとり、90年(正応3)出家し、嘉元(かげん)2年7月16日没。後深草天皇は持明院統の祖であり、北朝皇統の祖にもあたる。

第92代 伏見天皇(在位1287〜98)

1275年(建治1)大覚寺統の後宇多天皇の皇太子となり、87年(弘安10)即位。両統が交互に皇位につく例を開いた(両統迭立)。

第93代 後伏見天皇(在位1298〜1301)

父帝の譲を受けて位についたが、その在位中に持明院、大覚寺両統の間に迭立による皇位継承の協定が成立し、わずか3年で退位した。のち花園(はなぞの)天皇および光厳天皇の代になり、院政をとった。

北朝第4代 後光厳天皇(在位1352〜71)

南朝後村上天皇の天下一統が破れ、足利氏がふたたび北朝を樹立することになり、その要請により、親王宣下もなく、また神器もなくして、広義門院(後伏見天皇の女御)の院宣で皇位についた。その在位中、南朝軍に攻められ、美濃小島、近江武佐などに難を避けた。

北朝第5代 後圓融天皇(在位1371〜82)

1371年(応安4)3月践祚、74年12月即位した。82年(永徳2)太子幹仁(後小松天皇)に譲位、院政を行った。当時の情勢はわりあい安定、そのため北朝の天皇としては平穏な生活を送り、和歌をよくした。

第100代(北朝第6代) 後小松天皇(在位1382〜1412)

父天皇の譲を受けて位につき、1392年(元中9・明徳3)閏10月、南北両朝の合一により南朝後亀山天皇から神器を受け、後小松天皇の一統に帰した。1412年(応永19)位を皇子称光天皇に譲って院政をとり、31年(永享3)出家後もこれを続け、永享(えいきょう)5年10月20日没す。

第101代 称光天皇(在位1412〜28)

1412年(応永19)後小松天皇より受禅,14年12月即位。28年7月20日死去。後嗣がなく,後小松院は伏見宮貞成親王の第1王子彦仁王を猶子として皇位を継がせた。生前病弱のため政務に実績なく,また激しい気質で奇矯の言動が目だった。

第103代 後土御門天皇(在位1464〜1500)

後花園天皇の第1皇子。母は藤原信子(嘉楽門院)。父の譲位をうけて即位。その3年後におきた応仁の乱で,京の都は戦火に荒れ、社会不安は地方にまでおよんだ。幕府の権威はおとろえ,財政は窮迫して朝儀もままならず,何度も譲位を考えたという。明応9年9月28日死去。59歳。

第104代 後柏原天皇(在位1500〜26)

後土御門天皇の第1皇子。母は贈内大臣庭田長賢の女(むすめ)朝子。1500年(明応9)父天皇死去の後を受けて位についたが、当時は応仁の乱後の朝廷衰微の極にあり、即位の大礼を行うことができず、21年後の1521年(大永1)3月になって、大坂本願寺僧光兼の献金により、これを挙行するをえた。大永6年4月7日没。

第105代 後奈良天皇(在位1526〜57)

後柏原天皇の第2皇子。母は藤原藤子(豊楽門院)。父の死により皇位をつぐ。戦乱がつづいて国はみだれ(戦国時代),皇室財政も逼迫していたので,即位式は践祚の10年後におこなわれた。天文9年悪疫流行の終息をいのって,般若心経を書写して諸国の一宮に奉納した。在位中にポルトガルによって鉄砲がつたえられ,宣教師ザビエルが渡来した。弘治3年9月5日死去。62歳。

第106代 正親町天皇(在位1557〜86)

後奈良天皇の第2皇子。母は藤原栄子(吉徳門院)。弘治3年父の死で践祚したが,即位式は毛利元就らの献金により3年後におこなった。織田信長,豊臣秀吉らの援助で,宿願だった皇居の修理,伊勢神宮の造営や遷宮,朝儀の復興などにつくした。秀吉を関白に任じた翌年譲位。文禄2年1月5日死去。77歳。

第107代 後陽成天皇(在位1586〜1611)

正親町天皇の皇子誠仁親王の第1王子。母は新上東門院藤原晴子。1586年(天正14)正親町天皇の養子となり即位。88年、関白豊臣秀吉から支度料を贈られ聚楽第に行幸、諸大名から忠誠の誓いを受けた。しかしそれは形式的で、実際は天皇と並んだ関白に諸大名が忠誠を要求されたものであった。92年天皇は宸翰を送り、秀吉の朝鮮渡海を思いとどまらせた。舟橋秀賢から漢学を、細川幽斎から和学を学ぶなど、和漢の学問的教養に造詣が深く、慶長勅版を刊行させた。江戸幕府成立後、政仁親王(のちに後水尾天皇)を擁立しようとする徳川家康と対立し、退位。

伏見宮栄仁親王

南北朝時代の皇族。北朝第3代崇光天皇の第1皇子。伏見宮初代当主。







 

 

 

 

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