私は、シャワーのない部屋では眠らない主義である。

したがって、例えば、

風呂ばかりかシャワーすらない

山田の部屋でひと晩明かすなど、

頼まれてもお断りである。



その点、私のオートロックマンションには、

部屋の広さに見合った大きな風呂がついている。

ただ、一般的に言えば“大きい”のだろうが、

私の恵まれた体格からすると、

いささか窮屈なものがある。



そこで私は、ふと思い立って、

銭湯なるものに出向いてみることにした。

私のようなセレブでも、

庶民感覚を肌で感じることは必要だ。

何より、思い切り手足を伸ばせる

湯船に浸かるのは気持ちいいではないか。



ただ、私が解放感に浸りながら、

生まれたままの姿で銭湯の湯を楽しんでいると、

どういう訳か周囲に人がいなくなってしまった。

皆一様におびえたような表情をしているのは

気のせいだろうか?



いや、気のせいではないのかも知れない。

私くらいの人間になると、

肩書など名乗らなくても

その偉大は人に伝わってしまうのだ。

庶民にとって私のように

人格的にも人の器としても“大きな人間”は、

やはり近寄りがたい存在に映るのだろう。

いやはや、立派過ぎるというのも考えものである。