「自分」の世界
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「自分」の世界~現実と自分の世界の壁
・まえがき
今、自分自身がこのように生きている人生は決して他の人が経験することは出来ない。
そこで私が思うに、人生とは自分の世界である。
自分の人生は自分にとってかけがえのないものである。
しかし、私たちがこの現実の世界にもつ見識は本当に正しいものなのだろうか。
これから自分の存在を軸にしてこの世の不確かさを述べたいと思う。
そして、この不確かな世界のなかで自分自身がどのように生きていけばいいのかを考えていく。
目次
・そもそも現実とは
・全ては自分中心に回っている ~現実はトリックorゲーム~
・他人の存在の不確かさ
・思いやりは虚像
・死の概念の不確かさ
・結論 ~この現実の不思議から見る自分の存在の素晴らしさ~
・そもそも現実とは
現実とは、「いま目の前に事実として現れている事柄や状態」(Yahoo辞書より)と書かれている。そして、「現実界」という言葉があり、この意味は「事実として存在する世界。現実の世界。」(Yahoo辞書より)である。しかし、ここでひとつ疑問がある。それはなぜ目の前のものを「事実」と言えるのかということだ。
事実という言葉の意味は、「実際に起こった事柄。現実に存在する事」(Yahoo辞書より)と述べられているが、「実際に起こる」というのは現実といわれる次元に依存していることによって言えることである。私たちはこの現実と言われる次元に依存しすぎているため、この世界で起きていることには何の疑いもなく素直に受け入れてしまう。しかし、この世界の上手く出来すぎてる部分に着目すると、この世界に疑いが持てる。
この現実世界の中に「自分」が存在しているという認識を持っている人が大多数だとおもうが、この世界と「自分」が切り離して考えられるものだと考えると、この現実世界は自分の世界の一部にすぎなく感じられる。自分の存在は自分によってのみ証明される確かなものだからだ。
・全ては自分中心に回っている ~現実はトリックorゲーム~
この世の世界は自分を通してしか見ることが出来ない。つまり、人生とは自分がいつも中心にいる世界の中で生きていくことである。
そう考えると、今この世の中で起きているニュースや出来事も全て自分のために起きていることのように感じられる。
身近で起きる出来事から、地球の裏側で起きているニュースまでの全てが自分のために起きている言っても過言ではなくなる。
この世の全てのことに必然性があると仮定すると、全ては自分に何かを訴えかけてくるものという意味で考えられる。こう考えると、独立した無意味な現象などないように思える。
人は出来事が起きるとそれに対して何かしらの考えを持つが、それらのことに影響されて成長していくことはいいことのように思えるが、これはそういう出来事に自分が踊らされているということではないだろうか。
今自分が生きていると思い込んでいるこの世界は何かのトリックやゲームなのかもしれない。世界は不確かなものだ。
・他人の存在の不確かさ
この現実世界では、人との関わりに不安を感じる人は多い。
その理由は自分の思っていることと他の人が思っていることが違うことから生じる衝突を恐れるからだ。
しかし、他の人と自分が違うのは当たり前のことである。
そして、それ以前に他の人が自分と同じ人間のひとりとして存在していると考えていることが私にはおかしく感じる。
自分や他の人がひとりの実在する同じ人間として思われているのは、人間としての容姿や特徴などによりカテゴライズされているからである。
しかし、このカテゴライズを無視すると、周りの人が本当にこの世に自分と同じように存在するかどうかは私的には確かな証拠がないように感じられる。
というのも今自分がひとつの精神を持ってこの世に存在しているが、他人も同じようにひとつの精神というシステムを持ってこの世に存在しているのかどうかははっきりわからない。
そして、周りの人の存在は自分の存在があって成り立つのであって、自分がもしこの世にいなかったら自分自身がその人達の存在を証明することは不可能であるため、他人の存在は不確かである。
・思いやりは虚像
自分の存在は絶対で他人の存在が不確かであることを述べたが、この自分の世界という考え方の中では、思いやりは虚像である。
思いやりとは「他人の身の上や心情を推し量って、同情する」(yahoo辞書より)ことだが、これは前に述べた、他人が自分と同じようにひとつの精神を持ってこの世に存在しているのかどうかがわからないというところを考えると、他人が同情されることで自分が他人に同情されたときと同じ感覚を持つかわからないということだ。
そして、自分の世界の中で他人を思いやることは自分にメリットはない。
思いやることで人からの信頼を得ることが狙いならば、最初から思いやりの心などいらないだろう。自分が他人を思いやって行動しているその瞬間には自分にメリットは無いからだ。
だから私は、思いやりは自己満足だと認識する。思いやって行動しているその瞬間の自分に酔いしれることに意味をもつものであると思う。思いやりとは、思いやりという言葉から感じられる他者へのベクトルのイメージよりも、ただの自己満足だ。自分の世界においてはこのような自己満足が多々存在していて、それらによって私たちはこの不確かな世界に生きがいを感じ生きているのだと思われる。
・死の概念の不確かさ
この世には死という概念がある。これによって自分のこの世の生活には限りがある。死んだあとは自分がどこにいくのか分からない。消えてしまうかもしれない。しかし、自分の精神が消えるとは言い切れない。この現実が全てだとは限らない。そのため、死が全ての終わりと考えるのは間違っている気がする。この世以外に自分の世界の軸となる世界がある可能性もある。死んでその人が終わりというのはこの世が勝手に決めたものである。よって、この世の死の概念は不確かなものだ。
・結論 ~この現実の不思議から見る自分の存在の素晴らしさ~
人は幽霊や宇宙人の存在に恐怖を感じるが、現実世界で私たちが存在を当たり前のことだと思っている地球、自然、人間のようなものも、冷静に見ると不思議さと恐怖が感じられる。上手く出来すぎてるのだ。しかし、そのようなものへ不信感をもってしまっても、たったひとつ自分の精神だけは信じられる。自分というひとりの実体が自分の精神ほど信じられるものはない。だから、自分の精神のありがたみを感じて、それを信じて、この不確かな世界を生きていくべきである。