年末の忙しい中、私だけは何故か余裕です(=⌒▽⌒=)
見上げるくらいの大木ですよ(=⌒▽⌒=)
この公孫樹の年代を探ると、鶴岡八幡宮より古いように思うのだが?
1030年 源頼義、矢畑村の南佐塚大明神の丘に懐島八幡宮を建立し関東での守護神とする。
1031年 平忠常の乱(長元の乱)を源頼信が鎮圧する。
1051年 東北で前九年の役が勃発。安倍頼時、安倍貞任が源頼義と戦う。
1051~2年 源義家、懐島八幡宮に公孫樹を植える。
1053年 宇治の平等院鳳凰堂が完成。
1063年 源頼義、由比ヶ浜に鶴岡八幡宮の前身、元八幡を勧請
1083年 後三年の役が勃発する。
1087年 後三年の役が終結する。
1087~1106年の期間に懐島八幡宮を隣村の浜之郷に鶴嶺八幡宮として創建(Wikipediaには、1063年に鶴嶺八幡宮を創建。懐島八幡宮を本社宮に改称とあるが、前九年の役、後三年の役の
1106年 源義家、没する
1180年 鎌倉に由比ヶ浜から、八幡宮を遷す。(Wikipediaには、1063年とありますがこの時点ではまだ由比ヶ浜にあります)
1191年 鶴岡八幡宮が、今の形に整えられる。
1191年大庭景義が鶴嶺八幡宮に大仏殿や三重塔等を建て再興する。
1281年 鶴嶺八幡宮の功は、弘安の役で蒙古軍を退散とされています。
長元三年九月(1030年)、源頼義は長元の乱を鎮圧するため懐島郷において、
源家の守護神岩清水八幡宮を勧請(宇佐八幡宮勧請説もあり)して戦勝祈願をした。
永承六年(1051年)前九年の役が起こり、源義家が、陸奥守であった父頼義の応援に向う途中で
懐島郷に頼義が勧請して建立をした懐島八幡で戦勝祈願をしました。
「元八幡」を建立し、当八幡宮はその旧社であることから「本社八幡宮」といわれました。
当時の鎮守府将軍源義家は、度重なる神恩に感謝の意を込め、広大な神域を隣村浜之郷に
つまり、懐島八幡宮が一番最初に建立をされ、(1051年もしくは1052年)くらいに、この公孫樹が源義家によって植えられたということになります。
鎌倉に八幡宮を遷したのが治承4年(1180年)で、今の鶴岡八幡宮の形に整えられたのが建久2年(1191)(源頼朝が、懐島郷に領地を寄進した)
本社八幡宮と源氏の歴史、鎌倉との関係









































