こんな世界があるはずは・・・
引っ越して来た。 家賃が各安なのだ。 今思い返しても、それが決め手であった。
大手自動車メーカー(ヨシダ)の部品工場で働いているのだが、給料は最低賃金に近い。
日々の生活費に酒とタバコ代、あとは家賃を払ってしまえばそれで終わりである。 毎月ギリギリの生活を送っているのだ。 当然貯金は無い。 出来るはずがない。
だからと言って酒とタバコは辞められないだろう。 他に楽しみが無いのだ。
それにしても、一番バカバカしいと思うのが家賃である。 いつまで払っても、自分の物にはならないからだ。 住み慣れてくるとなぜ払わなければいかんのだ、と考えてしまう。 そう思うともうダメだ。 少しでも安い物件を探して、こんな所はさっさと出て行こう。 オンボロの癖に家賃は高い方だ。
大家のばばぁもムカつくのだ。 一階に住んで居るから、出勤する時にいつも顔を合わすコトになる。 勿論こちらから挨拶はするのだが、返って来る返事は聞き取れない程に小さい。 年寄りなのできっと朝も早いのだろう。 しかし毎日顔を合わせていると、何だか監視されている気分になって来る。
思い切って引っ越しを決意したのはこの頃からだ。 そして家賃がずば抜けて安い物件を見つけた。 初めてその物件を情報誌で発見した時は、プリントミスを疑った。 それから不動産に確認入れたが、それでも半信半疑だった。 それ程格安な物件だったのだ。
すぐにでも引っ越したい。 立地条件も今とは真逆の方角だが、工場までの距離はほとんど変わらないのだ。 居ても立っても居られなくなり、決意した。 すぐにでも決めないと、誰かが先に契約してしまいそうな気がしたのだ。 引っ越し費用は友に頼み込んで借りるコトにした。 大した荷物はない。
三万ほど借りればお釣りが返って来るだろう。 来月の給料日で返せるはずだ。 この物件は敷金礼金も無いのだ。 これでばばぁともお別れだ。 もう二度と会うことも無いだろう。 もし何処かで会ったとしても、かるく無視してやるつもりだ。 そんなに安い部屋はおかしい、事故物件だと友人に言われたが、気にもしない。 人間いつかは死ぬのだ。 他所で死んだか、ここで死んだかの違いだけだ。 仮に事故物件だとしても全然かまわない。 幽霊だとか心霊の類は一切信用しない。 見たこともない。 この世にそんなものは存在しない。 人は死んだら無になるだけだ。 新しい部屋は陽当たりこそイマイチだが、今まで住んで居た部屋とほとんど変わりない。 いや、少しだけ広いかも知れない。 コンビニは少し遠くなったが、すぐ近所に安そうな大衆食堂がある。 結構流行っているのか客が絶えない。 きっと旨いのだろう。 これからお世話になるはずだ。
思い切って引っ越して本当に良かったと、吉永正雄は思った。
一
今日も定時で仕事が終わった。 昨日は引っ越し後の荷物整理とかでほとんど眠れていない。 環境が変わったせいもあるだろう。
不景気のせいか、しばらく残業もない。 残業でもして稼いでおかないと、来月は借りた金を返済しないといけないのだ。 しかし定時に終わりすぐに帰れるのが、工場勤めの良い所だ。 ロッカーで私服に着替えると、愛車の原チャリに跨った。 車の運転免許証は持っているが、自家用車はまだ一度も所有したことが無い。 彼女も居ないから、原チャリで充分だ。 通勤、買い物と色々重宝している。 明日は休みである。 今日の夜飯はあそこの店に食べに行こう。 今日は何か良いことが起こりそうな予感がする。 正雄は目一杯アクセルを回しスピードを上げた。
思った通りあそこの店は旨かった。 自宅近くにこんなお店があるとは付いて居る。
昨日余り眠って無いので、お腹が満たされると眠気がやって来る。 少し早いが風呂に入って寝るコトにしよう。 今日は疲れた。
水の流れる音で目が覚めた。 風呂の水道蛇口を締め忘れた。 あれっ身体が動かない。
何かが身体の上から抑えつけて来る様な感覚だ。 声も出ない。 力を入れるほどに抑えつけて来る力も強くなって行く。 もしかしてコレは金縛りとか言うヤツだろうか。
まさか? しかし金縛りは科学で説明が付くのだと、何かの本で読んだコトがある。
脳は起きているが身体の方は眠っているのだと。 きっとソウに違いない。 今日は身体が疲れていたから。 正雄は混乱する自分に言い聞かせた。 それとも自分は今、きっと夢を見ているのだ。 そう考えるしかない。
そうでないと説明が付かないのだ。 さっきから身体の上に人が乗って居るのだ。
女が上から抑えつけて来るのだ。
「ち、ちょっとアンタ誰?」
声が出た。 瞬間さっきまで上に居た女が居ない、消えた。 水の音も止まっている。
何だ、いまのは。 幻覚? いや、違う。
幽霊だ。 本当に存在するのか。 決して人ではなかった。 姿、形は人であったが、アレは決して人ではない。 本当に存在するのか・・・、今度は声に出して呟いた。
お陰ですっかり目が覚めた。 眠るとまたアレが来そうで怖いのだ。 安いはずやで、
このアパート・・・。 また出るんかなぁ?
出るやろなぁ。 事故物件は告知しないといけないはずだが、あの不動産屋一言も言わんやったなぁ。 事故物件の場合、客に対して告知する義務があるのだ。 しかしそれは直近契約の話しで、その次の客に対して告知義務は発生しない。 悪徳不動産になると物件が汚れた場合、自社の社員を一日だけ住ませ既成事実を作ってしまうのだ。 そうするコ
トで、告知義務を回避するのだ。 そして何も無かったコトにしてしまう。 正雄は考えていた。 どこか他所へ引っ越すなど無理に決まっている。 経済的に考えても、やはり無理だ。 ここに住み続けるしかないのだ。
しかし一つだけ分かったコトがある、この
世に霊魂は存在するのだ。